八. アルヒと斎王(2)
「異形…?」
意味ありげに、強調するように斎王が発音したその単語に強いひっかかりを覚えてアルヒは眉をひそめる。
斎王はアルヒが食いついたことで少し調子づいたように、あごを引いて目を見開いてみせた。
「アルヒ、あなたはエカサ正教の真実をその目で見て判断したいと…そう考えて宮を下ったそうですね。ならばおおかた、ここを目指したのもそのひとつなのでしょう」
アルヒはなにもこたえなかったが、気分を害した様子もなく斎王は続ける。
「わたくしはあなたの欲しい情報をもっています」
斎王がアルヒに向かって歩み出す。
なぜ彼女がそのようなことを知りうるのか、という質問はのどにつかえたまま出てはこない。
ただ…彼女が不吉を口にするだろうという予感だけが、悪寒となって脊椎を駆けぬけた。
「ここが天女に由来する聖地だということはよく知っていることと思います」
「…ああ」
かろうじてアルヒが返事をする。
―巫女の庄のあった場所は、天を追われた天女とその侍女たちが暮らす土地であった。
地上人を蔑み、必要であれば争いをもいとわない姿勢でいた天女を、地上人たちは畏れ、逃れていった。やがて噂が噂を呼び、地上人と天女たちが敵対も辞さない気風が生まれつつあった。
そこで、イツクシミヤ初代当主たるその男は、天女との話し合いにのぞんだのだった。
天女ははじめ巨鳥となり、「いかにして、これなるをおさめるか」と問うた。
初代は万の糸で衣を編んで巨鳥にかぶせ、自由をうばい暖をあたえて寝つかせてみせる。
天女はつぎに大グモとなり、「いかにして、これなるをおさめるか」と問うた。
初代は種をまいて菜や果物を一瞬にして実らせそれを振る舞った。
大グモはそれを食べて肥え太り、とうとうまるまるとふくらんだ腹をやぶってしまった。
その中からあらわれたのは、恐ろしげな天女とはとても似つかない初心な乙女である。そして、あらためて問うた。 「いかにして、これなるをおさめるか」
初代は滝しぶきを織り上げて花嫁衣装を用意し、妻問いをした。
天女はそれに負けて、とうとうすがたを変えるのをやめて、初代と結ばれたのだった。
アルヒがみっつのころからくり返し聞かされた天女の伝説である。エカサ正教の関係者のみならず、エカサの民であれば一度や二度は語りを聞いたはずの伝説だ。
天女はエカサ正教の母とされ、その天女の加護厚きこの地が女性神官の聖地とされた。
「あなたたちの母はここで教育を受けました。ここには多くの女たちがいるから…もしかしたら、このような庄を作って女たちを集めたことも宮主の花嫁を『つくる』ためなのかもしれません」
斎王がうっそりと目を細め、整えられたまつ毛が潤みあるひとみに網を張る。
「その子は『人間ではない』ために、決まったかたちがないの。いろいろとすがたを変えられるかわりに、本当のすがたがない。同じ人間のすがたで居続けると、だめになってしまうみたいね。だからこの里に集められた同年の少女たちのすがたを真似るのでしょう。
そしてさまざまな少女のすがたで主の前にあらわれて、主を試すのです…どのすがたが一番主の心に響くかを」
吸った息が冷たいかたまりとなって喉にはりつくようにアルヒは錯覚する。
のみこもうとしても、ちっとも肺に落ちていかない。
「そして主の元服にあわせて、その子は主のもっとも心に響くであろうすがたになる。そうやって、はじめて自分のすがたを得る…さあ、これを異形と呼ばずになんと言うのでしょうね?」
それが、その『異形』が誰のことを指すのか。アルヒは察してしまった。
その少女は、会うたびに顔のちがう少女だった。それは比喩などではなく、目の色や唇にりんかく、髪質背格好に、はては性別ですら会うたびに変わる。決まった姿かたちをもたないことが彼女の当為であり、それをなすための修練でもあった。
メント・セラタ。その名前を苦々しく口内で転がす。
「イツクシミヤはその血に秘める術の力をたやさぬため、とうとう異形との婚姻に手を出したのよ。まあ、それを正当化するために小賢しい伝説をでっちあげたこと。いくらうつくしい伝説を謳ったところで、しょせん異形は異形。なんていったって、その子は天から降りてきたわけじゃないのだもの…その子は、つくられるのよ。
絲の一族のなかから優秀な女を母体として選び抜き、その体に呪魂を詰める。その呪魂が肉体を得て生まれだした『モノ』が天女の正体。イツクシミヤの術系を次代に伝えるための理想的な配列と術式を血肉とした、イツクシミヤの跡継ぎを産むだけの存在。
それがあなたたちの母親。表向きは宮主の影武者として仕えてはいるけれど」
その言葉のひとつひとつの意味がのみこめたとき、胃を突き上げた不快感は相当なものだった。
胃の中のものが逆流しようとするのを押しとどめ、アルヒは青い顔で口もとをおさえる。口内にはすっぱい味が広がる。
「…なぜそのようなことを」
「シユウザという口寄士はご存知かしら。カラドならわかるでしょう。師事するリゥガは、あなたの付きも兼ねていたものね。わたくしに賛同してくださる口寄士のかたがいろいろと教えてくださるのよ。…それに、わたくし自身もこの目で確かめたのよ」
声を出すとそのまま吐いてしまいそうだった。
悪いものを食べたように、受け入れがたいことを聞かされた心が全身で拒絶をしめす。
「宮主を手にかけるときに捕縛した影武者の体を暴いたのよ。術式の解析はそこのリズルがしてくれたわ。口寄士の秘伝と言うだけのことはあったわ」
「…うそだ。そもそも、そんなことを、ぺらぺらと話すわけが…」
「平気よ。だって、あなたとても受け入れられそうにないんだもの」
くすくすと無邪気な子どものように笑って斎王は続ける。
知らないうちにアルヒは膝をついていた。めまいがする。
斎王は父を弑し、母を殺してその体を暴いた。それを憎み、怒りをぶつけるべきだとどこかで思いながらも、知り得た情報を感情にのせて行動するほどの気力はついえていた。
怪我が重すぎて痛みが麻痺してしまうように、麻痺した心がとなえるのは諦観の感情のみだった。
「あなたは…なんの目的があって、神をも畏れないようなことを…」
「神なんかいないからよ。いるのは怪物だけ」
斎王が膝をつくアルヒへ目線を合わせるようにかがむ。
「人間はせいぜい英雄やら偉人やらと言われるものが限界。それ以上のものを望めば、たちまち理非なき怪物となる。…あなたはそんなものになりたい?」
斎王の声はひどく慈愛に満ちたものだった。
「イツクシミヤの力は本来うしなわれているべきのもの。それを延命処置をほどこして、怪物に成り果ててまで、この国に神の恩恵を演出しようとする…。
わたくしは、ただこの国をその怪物の手から開放してあげたいだけ。そして、あなたのような哀れな子どもたちも」
無意識に、すがるようにしてアルヒは斎王へ目を向けていた。
斎王の粉をはたいた肌は石膏のようになめらかで、若さの盛りを過ぎていてもうるわしい。品と情を兼ね揃え、アルヒに向かって大きく腕を広げていた。
「もういいのよ。わたくしの子となりなさい。役目を投げたとしても誰もあなたを責めやしない。わたくしがそうさせません」
その腕に抱かれ、アルヒは目を閉じた。
心地よい花のかおりがする。やけに眠りを誘う、甘いかおりだった。
「かつてイツクシミヤ家はその生命をあつかう術によってこの地の人びとから尊敬を集めたのかもしれない。けれど、今は尊敬を集めたいがために術を使っている。過ぎた力を制御するためにいるはずの口寄士が、今や巫女の庄、国長の屋敷にも出入りをして大きな顔をしているのがなによりの証でなくて?
わたくしにその現状を憂いてくださった口寄士のかたがたは、いつも漏らしていましたわ」
吐き気の過ぎた後の体がひどくけだるかった。こうしていることがどこか現実感がないことのように感じる。
そのアルヒをいたわるような優しい声で、斎王が語りかける。
「わたくしと意見をともにする口寄士たちは、テロスを後継に立てることで改革を謳っていますが、わたくしの真のねらいはエカサ正教の瓦解です。セト・ラツトを見たでしょう?すでに命の加護がなくても生きていけることは証明されている。
あなたが残酷な役割を演じる必要はどこにもないのですよ」
たしかに、そのとおりなのかもしれない。
いつでも物事はアルヒの外側で起こっていた。妹の不幸、ルサの受難、アイレの負傷―そのかげにはいつでもイクシミヤ家正統後継者たる自分の無関心があったと恥じて、何が何でもそれに向き合わなくてはならないと思っていた。
けれど…外側はしょせん、外側なのだ。アルヒがその立場にあるのだから、関係ができるというだけのこと。
アルヒがアルヒであることをやめたとき、そのすべては苦しまなくてはいけないことではなくなる。
「歴史の表舞台からすがたを消すことにはなるでしょうが、わたくしはあなたの無事を保証しましょう。だから、先代のように異形との婚姻をする必要もない…あなたには人間としての未来が約束されるでしょう」
異形。その言葉を耳にしたとき、陽光が雲の切れ間から差し込むがごとくひとつの声がアルヒの脳裡に響きわたった。
―またみやぬしいやになったら、あそびにいこうね。
「だめだ」
押し出すように発した声はかすれたものだった。
しかしその言葉をきっかけに、アルヒは斎王の腕から逃れて立ち上がった。
「あなたには、従えない」
頭に立ち込めていたもやはすっかり晴れ渡っていた。




