七. ノーシとアイレの潜入(4)
ノーシは、あっさりと座敷牢の錠を外してのけた。いわく、エカサ国の錠はつくりが単純だからたやすい、とのことだ。
「アルヒはテロス様とともに斎王のもとへ連れていかれたのだ。おそらく秘密裏に連れていかれただろうから、隠された謁見の間に向かったのだろう」
檻から解き放たれたルサと名乗った女は、出口をにらみながら言った。
『本当に、その隠された謁見の間とやらにアルヒさまは連れていかれたのね…?』
「おおよそだがな、ほぼそうと見て間違いないだろう。…ボクもそれを追うつもりだ、ウソを言ってもしかたがない」
ルサははげしい運動に入る前らしく伸びなどをして筋肉をほぐすような動きをした。足のケガの具合を確かめているようだった。
「…シーヤがいればもう少し確実なことも言えただろうけど、あいつは話を聞くなりさっさと出ていったからな」
シーヤの名前をふいうちで聞いたアイレは、ぎょっとしてルサを注視する。
『やっぱり、さっきここを飛び出していったのはシーヤ兄さんだったのね』
アイレのそれはひとり言のようでありながら、どこか非難がましさもあった。
横目でノーシのなかのアイレを透かし見たルサは、つくづくとそれを観察してつぶやく。
「お前の気配はどことなくシーヤに似ているな」
『ねえ、あなたはどうしてアイレのことが見えたり、聞こえたりするの?神官…絲の一族だって、どんな才能のある巫女だって、空中にただよう霊体ならまだしも、体に定着した霊まで一目では見分けられないだろうに』
アイレのうっすらとしたすがたを見つめていたルサは、そのまま視線を遠くへ向けた。
「ボクは、昔から視ることだけは得意だった。だから、絲の一族の使う術の真似事ができたわけだし」
『それって…』
「セト・ラツトがかかげた奇跡の姫君、ラツトノ家のご長女ですね」
さらりと言ったノーシに、ルサが冷えきったまなざしを突き刺す。
「無駄話はどうだっていい、さっさとここを出よう。テロス様のことが心配だ。
…ボクが先に行って外の様子をたしかめる。約束だからな、お前たちもついてくるといい」
「ちょっと待ってください。こんなところに囚えられていたということは、ルサさんもしかして堂々と建物内を歩いてはまずいご身分なのではないですか?」
ルサがやや考え、しかめっつらで首肯する。
わかっていたとはいえ、それを他から指摘されるのは(またそれがいけすかない曲者とあっては)、どことなく愉快とはいえないものがあるらしいと口の形に出ている表情だった。
アイレもはらはらとしながらノーシの二の句を待つ。その気持ちを知ってか知らずか、ノーシは人さし指を立ててひょうひょうと口を開く。
「では、アイレさんがルサさんに取り憑いてしまいましょう」
アイレはひととき、ノーシがなにを言っているのかがわからなかった。言われたルサもけげんな顔をしてノーシを見つめる。
「アイレさんに取り憑かれれば見た目の印象も変わるし声もアイレさんの声になるんでしょう。堂々と歩けますよ」
『なにを言ってるの、そんなことしたら…その、ノーシさんがずいぶん目立つことになってしまうじゃない』
小柄なノーシが一目で女物をわかるかつらと衣服を身につけたすがたは言うほど見苦しいものではないが、やはり目を引くちぐはぐさはいなめないというのが正直なところだった。
「まあ、どうせぞろぞろと連れだっては歩けないでしょうし、ルサさんと自分と、アイレさんが交互に取り憑いて移動すればいいでしょう。
それに、そうすればルサさんがわれわれを見捨ててさっさと行ってしまうこともないですし」
言われて気がついたように、さっとアイレはルサを見た。
なぜか彼女のことを信用してもいい気になっていたが、話をまとめてみれば彼女はアルヒの仇敵ともなりうる影君の配下ということだ。自分たちがアルヒについていることが示されている今、背後から襲われても文句を言えない間柄となる。
そのアイレのうたがいのまなざしに気がついたのか、ルサはやや皮肉めいた表情で笑ってみせる。
「お前らをうまく乗せてあざむき、脱出のダシにでもすると思ったのか。かいかぶられたものだな」
「いえ、あなたが逃げる理由について疑っているのではありません。ただあなたほどの女性に逃げられると自分の心が涙を禁じ得なくなってしまうわけでして」
そう言ってルサに差し出されたノーシの手は、派手な音とともにはたき返された。
「堂々と歩けるというのならもっと良い道を選んで連れて行ってやることもできる。いいだろう、お前たちの話に乗ってやる」
ルサの体にのりうつったアイレは、いっしゅん全身をゆさぶられたかのように感じた。
ルサの体のなかにみちた術式や煩雑とした霊力が奔流になってかけめぐり、アイレはそれに振り回されそうになるのをなんとかとどまることにつとめる。
アルヒから漏れ聞いたうわさ話が正しいのなら、彼女の力は先祖返りと言えるものだ。
現在主流となっている複雑化した術式とはちがう、単純ながらも濃厚な術式が彼女のなかに定着をしている。
術式とは、すなわち霊力のめぐる道だ。
その道のかたちによって、術の得手不得手も変わってくる。細い道すじなら微弱な力しか発揮できなくなってしまう。そして道が複雑にからみあえば、それだけ多種の術に通じることとなる。
ルサは多種の術をあつかう器用さはないかもしれないが、この力の流れは小手先の技を補ってあまりある強力なものだ。
アイレもメント家屈指の天才術士だと褒められたものだが、その自負も揺らぐような力をルサは秘めていた。
(この力の流れは、この人がもともと強い力を持っているからだけじゃない…)
ルサの霊力の流れは、彼女の負傷した腕と足へ多く流れ込んでいる。傷ついた部位を癒やすために、霊力がよりいきおいを増して巡っているのだ。
かつて、まだ絲の術が内乱に使われていたころ…わざと体を傷つけることで術の力を増すという禁法があったとアイレは口寄士が言っていたのを思い出す。
(人の体を癒やす術はイツクシミヤの秘伝だと聞いたけど、私たち術士は霊力によって自己治癒能力を高めることができる…自分のことは、癒やすことができる)
アイレは、重傷を負ったときのことを思い起こす。
暗闇のなか、降りしきる雨。兄は必死でアイレを呼び戻そうとこころみたが、ひきつれた痛みは意識とともに遠くなる。なんとか呼び戻そうとする兄の悲痛な声にこたえようとする意志とは裏腹に、手先足先から感覚がなくなるあの恐怖を思い起こすと、今でも冷たい震えが走る。
そして死の峠を転がり、今まさに崖から落ちるそのとき、なにかがアイレの手をぐいとひっぱった。変化のきっかけはそれから…それから、霊気がうなりをあげて全身を駆け巡り、傷口が燃えるように熱くなった。
そのときにアイレは自分の霊力のかたちを感じたのだった。
霊体になった状態で術まで使いこなせることはアイレの自慢だったが、それもせいぜい風を吹かす程度のことだった。
あきらかに、以前よりもアイレの力は増している。
(術士の体は傷つくことによって、霊力を増す…。
それがたとえば、絲の一族の頂点のイツクシミヤ家の技に近づくほどのものなんだとするなら…だったら、イツクシミヤ家の血を引くかたが傷つけば、どれほどの力が巡るのだろう)
想像して、アイレは自分の考えにぞっとする。
しかし、血も涙もない者がただただ力を求めれば―それを試してみようと思うのかもしれない。
(もしかして、アルヒ様が血をわけた双子の妹と戦わなくていけないのは…)
針でつつかれたように浮かんだ考えだったが、その考えを共有できる者は身近にはいない。
とにかく今は、ルサの案内のままに進むしかなかった。




