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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第四章 斎王の思惑
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五. ノーシとアイレの潜入(3)

 ノーシ、そしてそのノーシの体に取り憑いたアイレは、息を潜めて周辺の物音に耳をかたむける。


 ほどなくして、渡殿にとりつけられたきざはしの先にある建物から、戸をあけて誰かが出てきたようだった。


『えっ…』


その人物のまとった術の気配を察して、アイレは驚愕する。


 彼は足早に歩み出すとノーシが身を隠した柱のある側とは逆方向へと去っていった。こちらに気がつくこともなく、あわてているようだった。


 ノーシは愁眉を開きその人物の遠くなった背を見送ったが、ノーシと同じものを見たアイレは天地もおぼつかないほどに動転していた。


「いったいなんだったんでしょうね。…アイレさん?」

『…さん…』

「え?」

『シーヤ兄さん!』


 音にはならないアイレの悲鳴じみた声が脳天を突き抜けてノーシはくらくらした。


『あれはシーヤ兄さんだよ!まちがいない、こんなところにいたなんて!あれからどれほど探しに行こうとしても見つからなかったのに!追いかけて、ノーシさん!アイレは兄さんに確認しなくちゃいけないことが、やまほど…!』


「落ち着いてください、アイレさん」


 ノーシはがんがんと脳内に響く声に頭が痛みはじめるのをこらえながら、なんとかアイレを落ち着かせようとした。


 アイレは今にも取り憑いたノーシの体を飛び出してシーヤを追いかけんばかりだ。だがそんなことになってしまえば最後、ここに残されるのは女物の神官服にかつらだけを被せられたノーシだけになる。


「アイレさん、気持ちはわかりますが、われわれは今潜入という危険を冒しています。

 無事になしとげるには、道中で目的を増やすことは命取りです。アルヒさんの救出、無事に脱出すること、それだけでも困難をきわめるというのにさらにお兄さんの追跡までおこなうのは荷が重すぎます。

 お気持ちはわかりますから、どうかおさえて」


 ノーシの落ち着いた声を聞くうちに、アイレは自分の呼吸がととのいはじめるのを感じた。


 自分から剥れ出る勢いだったアイレが落ち着きを取り戻すことを感じたノーシは安堵する。


「シーヤさんもアルヒさんを視野に入れて動いているのだとしたら、アルヒさんを追いかけた先にかならずシーヤさんも現れると思いますよ。だから今は少しこらえてください」

『…それでは、手遅れになるかもしれない』


 アイレの声は泣き出しそうだった。


『あのね…アイレは、アルヒ様にも…リゥガ様にも、ラミ様にも…こわくて言えなかったことがあるの。それを確かめなくっちゃ、アイレはこの気持ちのことを整理できない』


 アイレの感情のたかぶりにつられて、体を侵されているノーシも喉の奥が腫れふさがったように感じる。目頭が熱くなり、ノーシは両目頭をつまんで涙をこらえた。


 アイレの記憶が、奔流のようにしてノーシに流れ込んでくる…。



 ―濃ゆい雨雲に閉ざされて、月のない夜だった。


 かがり火に照らし出された古いながらも立派な祀り宮は雨に濡れている。瑞垣のすきまから坂の下をのぞきこむ衛士たちは弓矢をつがえる。よく見ると負傷した者は多くいたが、緊張の峠をすでに越していた。


 衛士たちに指示を送るシーヤがいる。そのシーヤに駆け寄る。…そこに、無数の矢が飛んできた。


 シーヤはそれを、絲の術でもって大気を結び追い風を起こして払った。あざやかな術さばきだった。あわてて駆け寄ろうとすると、さがっているように言われる。


 シーヤが矢の飛んできた先をにらむ。その顔色がみるみる変わっていくのを間近で見る。そして、シーヤはあえぐように「それ」を口にした。


 シーヤは衛士たちのなかでも年かさの、いかにも古強者といった者になにかを指示する。そして瑞垣を軽々と跳び越えると、闇に向かって走り出す。


 冷たい雨は、雨足を強めていく。不安感が冷気とともに這い上がってきて、矢も盾もたまらずアイレも飛び出した。風の編み目を読み、風に乗って滑りだす。


 兄がもらした言葉を確かめたかった。


 川原ちかくになって、ようやくアイレはシーヤに追いついた。シーヤは川の向こうを睨んで身構えている。


 だが上空からシーヤを見つけたアイレは、同じ岸にいる何者かがシーヤに襲いかかるのを見てしまった。ぎりぎりで殺気に気が付き、とっさに反応しようとしたシーヤの動きが空回りをする。


 アイレは何も考えられなかった。地面に降り立ち術で風を使ってシーヤに襲いかかった人間を吹き飛ばそうとしたが、うまくいかない。わめき声をあげて、アイレは刺客の前に飛び出した。


 冷たい刃がふりおろされるそのときを緩慢に感じながら、アイレは刃の軌跡をその身に受ける―



 それは、アイレが『死んだ』時の記憶だった。


『あのとき…飛び出すときに兄さんはたしかに言ったの。「セラタ」って…』


 アイレがあえぐように言う。


 知らずノーシは自分の体をおさえる。記憶のなかで斬られた場所がうずくような気がした。


『見間違いだと、アイレは思っていた。でもシーヤ兄さんが…責任感が強くて冷静なシーヤ兄さんが、守らないといけない祀り宮を放り出して追いかけた理由を考えると、やっぱりセラタ兄さんのすがたをそこに見たからなんじゃないかって、思えてきて…』


 そこまで一気に言ったアイレは、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。


 ノーシは袖に目頭をあてて水分を吸わせる。やはり化性をしてこなくて正解だと思った。


「…アイレさん、やはりすぐにアルヒさんを見つけましょう」

『ごめんなさい…よけいな話をして』

「その話をアルヒさんにしてすっきりしてしまいましょう」


 アイレは、もしそこに実体があったのならぽっかりと口を開けたに違いなかった。


「アイレさんはこたえがわからなくて苦しいんです。アルヒさんを苦しめているのも、きっとこたえがわからないことです。だったらその苦しみをまとめてひとつにして、ふたつの頭で苦しむんです。頭がふたつあれば、こたえもたくさん浮かびます」

『でもアイレは、メント家の人間のことでこれ以上アルヒ様を苦しめたくないの』

「アイレさんはアルヒさんの婚約者なのでしょう?」


 ノーシが彼にしては珍しい、いじわるげな笑みを浮かべた。


「喜びも悲しみもわかちあってこその夫婦めおとでしょう」


 アイレはなぜだか心の底がくすぐられるように感じた。敵地のさなかで絶望的な気持ちになりながら笑いたくなるような不思議がそこにあった。


 もしかしてそれを勇気と呼ぶのかもしれないとアイレは思う。


『ノーシさん、今度こそ取り乱しちゃってごめんなさい。わかったよ。今はなによりも、アルヒ様をお助けするべきだってこと、よくわかった。行きましょう』

「心得ました」



 板扉には錠がかけられていたが、ノーシは隠し持っていた小袋から細長く自在に曲げることができる鉄の棒のようなものを取り出すと、それを使って容易に開けてみせた。


 なかに見張りがいるかを確認したが、それらしき者は見当たらない。そもそもそのような者が構えていたら錠に手を加えた時点で咎められていただろう。


 ここまでの行為を無邪気で片付けられるのかは甚だ疑問でありアイレはノーシについつい確認してしまったのだが、ノーシはあくまでごまかしきるつもりだった。


あれだけあわてていれば錠をかけ忘れることもありますよと言われ、なんとなく兄が粗忽者であると指摘された気がしてアイレは面白くない。


 ともあれ、ノーシは建物への侵入を成功させた。入ってすぐに地下へと続く階段があり、そこを長く下ることもなく帯戸の前にたどり着いた。


『やっぱり。アルヒ様の術の力が感じられる』


 ノーシはうなづいて、ゆっくりと戸を引いた。



 思ったよりも明るい部屋だった。地下室とはいえ明かり採りに工夫がされているらしく、こも畳の部屋は殺風景ながらもこんな場所にありながら清潔さがある。


 だが、その部屋は檻のなかにあった。足を踏み入れてすぐ、玄関と部屋とを木の格子がへだてている。


「何者だ」


 檻のなかからこちらをにらむ者がいる。


 左足、右腕に包帯を巻いて薄汚れた衣を身にまとってはいるものの、姿勢よく立つ姿はアイレをひとときの間ぼんやりとさせた。細い首がささえるくっきりとした顔だちは凛として、性別をこえて人をひきつけるものがある。


 冴えわたる容貌の囚われ人は目のきわを濃くしてこちらを注視し、探るように口を開く。


「お前は…二重うつしになっているな。だれかに取り憑かれているのか」


 朗々とした声で指摘をされてアイレはびくりとする。修羅場に強そうなノーシはといえば、驚きも怯えもせず棒立ちになっていた。


 うろたえたのはアイレばかりで、ノーシは少し間をあけてうなづくと、檻に手をかけて囚われの人と距離を縮める行動に出る。


「これこそ、さだめです」


 ノーシは真面目くさって言ったが、アイレはすっとんきょうに『は?』と声をあげた。


「なんということでしょう。冬のさなかにも雪を押し開いて純白の花をつけるリーユカーヤの花のようにあなたはかぐわしい美に満ちていながら、りりしくもある…そして三日月が雲間から顔をのぞかせるように、愛らしさすらほのめかす」


 檻のなかの人物はくさいものでも嗅いだように顔をしかめる。


『ノーシさん、お願いだからアイレの声で初対面の人間を口説くのはやめて。しかも男の人相手だなんて、いくらなんでも…』

「まさしく囚われの姫君です。自分でよろしければお力になりたい。よろしいでしょうか、うつくしいお嬢さん」

『えっ?』


 今度こそ、アイレは度をうしなってしまう。


檻のなかの人はみけんのしわをこれでもかと深く刻み、「うつくしいお嬢さん」らしさを感じない表情になっていた。


「さあ、ここから出してさしあげます。あなたのような人は光のなかで咲き誇るのがふさわしい…」

『ちょっ…なに考えてるのノーシさん!だめだってば!潜入中に目的を増やすべきじゃないって言ったのはノーシさんでしょ!?そんなことしてる暇があったらさっさとアルヒ様を…』

「アルヒ、だと?」


 射抜くような声で檻のなかの人は言い、格子を勢い込んでつかんだ。


「お前たちはアルヒを助けに来たのか」

『アイレの声まで聞こえるの…?』


 アイレは見惚れるほどにうつくしい檻のなかの人物を今は警戒心もあらわににらんでいるつもりだったが、ノーシは彼女にすっかり惚れ込んでしまっているらしかった。


「ええそうです。アルヒさんをご存知なんですね」

「取引をしよう。ボクはアルヒがどこへつれていかれたかの見当がつく。ここを出してくれるというのなら案内をしよう」

『あなたは誰なの?』

「トガキ・ルサ。お前たちは…」

「トガキ?ラツトノじゃないんですか?」


 ノーシの間の抜けた問いに、ルサは半眼になる。

「…お前のことはとくにきらいだ」


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