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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第四章 斎王の思惑
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四. 囚われのアルヒ(2)

 うしろで座っていたルサが勢い込んで立ち上がった衣擦れの音がした。


 アルヒとルサが囚われる格子の向こうに現れたのは、雪をあざむくばかりの白い肌を純黒の衣に包んだ少女だ。磨きぬかれた漆器の黒よりもなおつややかな黒いひとみを伏せている。


 アルヒのすがたをこわごわと見るように目を上げた少女を、アルヒは知っていた。ルサの夢に見た少女。


 彼女こそ黒衣に身を包んだアルヒの生き別れの妹、テロスだった。


「あ…」


 テロスがかぼそい声をあげる。


 こちらを見開いた目で見ながら、テロスは立ちつくしていた。アルヒも同じように立ちつくしていただろう。


 一瞬のことだったが、数分もそうしているように感じられた。


 自分がいったいどんな顔をしているのか、アルヒはまったく意識ができなかった。相対したテロスはといえば、わずかに口を開けて動揺とも驚愕とも違う注目をこちらにあびせている。


 もしかしたら、アルヒも彼女と同じ表情になっていたのかもしれない。


 もしも、テロス…生き別れの妹に会うことがあればどうするべきか、という考えはすべて頭から抜けていた。


 足が自然とテロスの元へと運ばれる。もっと近くでその顔を見たいと思った。


「テロス様!」


 背後であがった声でアルヒはわれに返る。


 アルヒの横をすりぬけて上がり框を飛び降りたルサは、格子に噛み付く勢いで玄関に立ちつくしたテロスへと駆け寄った。


 テロスもそれで我に返ったのだろう。ひととき表情の上にのぞかせた感情のようなものは、波紋の消えた水面のように平坦になっていく。


「ルサ、無事でよかった。どうなるかとは思ったが…」

「テロス様が手を回してくださったのでしょう。この通り、ルサは無事です」


 テロス以上に、ルサの声色にテロスを気遣う気持ちがあふれていた。


「…そこにいるのは」


 テロスがややにらむようにしてあらためてアルヒへ視線をおくる。その視線の先を体をひねって追いかけたルサはああ、と無表情でうなづく。


「アルヒです。テロス様、この男が…イツクシミヤ家長子を名乗る者です」

「そうか」


 いったいどんな顔をしてどんな言葉を彼女にかけるべきかアルヒは戸惑った。頭に浮かんだのは昨晩のぞいたルサの悪夢だ。


 ルサの記憶を通して見たからだろうか。あの夢のなかのテロスはもっと情感にあふれ、威圧的な口調であってもどこかいたわしげに見えた。


 だが今相対するテロスはよくできた像のような娘だった。冷たく情調に乏しく、情感はかすめとるように見せるのみだ。


 格子ごしに並ぶルサのような人を強くひきつける輝かんばかりの麗質のかわりに、テロスには正確無比の縞地の織物のような無機質の美をそなえている。


「…ルサには、救われた」


 言葉を探しながらアルヒが口を開く。


「ルサが助けてくれなければ、今ここには生きていられないかもしれない。テロスが俺を助けるようにお願いしてくれたのだろう。ありがとう」


 生き別れの妹と再会を果たして最初にかわすのが他人の話というのもおかしい気がしたが、それほどに今はテロスと自分は分け隔たれすぎていると思った。


 その橋渡しのだしにされたルサはアルヒを強くにらみつけてきた。しかし、そこに憎悪は感じない。アルヒをにらむことで複雑な感情をごまかそうとしているのかもしれない。


「…アルヒを助けようとしたわけではない」


 テロスは発音しづらそうにアルヒの名を口にした。名前の響きを確かめるようでもある。


「ルサ、よく働いてくれた。私は、どうしてもアルヒと会って話をしたかったんだ」

「俺も君に会わなくてはならないと思っていた」


 テロスは深く息を吸ってしずかに吐いた。それが大気中の編み目を見るための呼吸だとアルヒはすぐにわかった。


 アルヒを頭から足の先までつくづく眺めたテロスは、まぶしいものでも見つめたように目を細める。


「なんてまっすぐな術式だ。まるで教本通りだな」


 息を吐くようにテロスは言う。


「当然といえば当然か。お前は私と違い、まっすぐに育てられた。

 生の力とはまっすぐ未来にのびるものだ。赤子が誕生だけを視野に入れて参道をがむしゃらにおりてくるのと同じ。前だけを見すえる力だ。

 …私は、アルヒに聞きたい」


 テロスの目に真剣な光がやどる。


「アルヒは私を殺してくれるのか?」

「…え?」


 アルヒはしきりにまじろいで、その言葉の意味をすぐには飲み込めなかった。


 ルサの刺すようなまなざしを感じる。ここで首を縦に振れば、たたき切らんばかりの殺意だ。


 だがテロスは違う。


 不思議なことに、テロスからは敵意を感じない。はじめから、彼女からは殺意も敵意も感じなかった。


口寄士くちよせしから、話は聞いていないのか?」

「おおむねのことは。俺か、君のどちらかがどちらかを…殺して、その力を奪わなくてはならないと」

「死ぬのはこの私だ」


 決定したことを告げるようにテロスは言う。


「私はこの国の人間も、口寄士くちよせしも、エカサ正教のことも、どうなってもいいと思っている…いやそうではないな。憎んでいる。私が、」


 テロスの声は、次第にささやき声になっていく。


「…口寄士くちよせしから、教育と称してどのような仕打ちを受けたか…聞きたいか?」


 アルヒの背筋に、千の虫が駆け上がるような悪寒が走る。うなづくこともかぶりを振ることもできなかった。


「私はただ終わらせたいだけだ。

 口寄士くちよせしたちの描くエカサ正教のあるべきすがたも、イツクシミヤという呪われた家系も、この力も、業も、すべて。叶わぬのなら、そのいずれかでもいい。

 その代償に私のこの命が使われることを願っている」


 アルヒは穴が空くほどに自分と血のつながりがある少女の顔を見つめていた。


 本当に穴が空いているのかもしれないとアルヒは思う。彼女は傷つきすぎて心に穴を作ってしまった…泣きたいときに泣けないときのような心境を抱えたまま、なにかが凍りついてしまっている。


「俺は…知らないんだ。口寄士くちよせしの狙いがなにか、エカサ正教をどうしたいのか。それを知らないままで判断はできないと思っていた」


 アルヒが乾いたくちびるを湿らせる。


「ここへ向かったのだってそうだ。母のことを知れるかと思って…俺と、君が生まれたときのことを知る者がいないかと思って」

「アルヒはあえて知らされずに育てられたのだな。お前には、生きる力があるから」


 テロスははるか遠くを見るように言った。


「生きる力はあらがう力だ。その力を秘めたお前に真実を告げて抵抗されてはかなわないから。私はお前がもっと、何も疑わずにぬくぬくと生きていてくれればと今では思う」

「テロスは、すべてを知らされたのか」

「死の力は、受け入れる力。あらがう力とは真逆のものだ。

 …私からあらがおうとする心を奪うのが最初の教育だった」


 その言葉の意味が覆いかぶさってくるような気がして、アルヒは口をつぐんだ。


 語るうちに、平坦だった少女の表情に情調がわきあがるのがわかる。そしてアルヒは実感した。


 テロスは死にたがっている。はやくこの現実から離脱したがっている…。


「テロスは俺に自分を殺させるために俺に会いたがっていたのか?」

「私がわざわざ会おうとしなくても、さだめがそうさせるだろう。私は、お前に私を殺させていいのか見極めたかっただけだ」

「もしも俺がお前を殺すに値をしなかったら…そのときはどうするつもりだったんだ」

「そのときは…」


 ぶるり、とテロスが寒さを感じたように震える。


「お前の力を、私が使う。そして、この命にかえても、エカサ正教に仇なす。それがさだめではないのなら…私がすべてのさだめを壊してでも」


 アルヒはくちびるを無意識に噛み締めていた。そして白い顔をしてうつむくルサを見る。あんまりだと思った。


「逃げ出そう」


 激情にまかせてアルヒは口を開いた。


「父上は神去られた。イツクシミヤは俺たちのいずれかが継がなければたやすく途切れる。俺たちふたりが姿を消すだけでエカサ正教は立ち行かなくなる。行き先があの世じゃなくても、消える方法くらいはあるはずだろう。だから、ともに…」


 さらに言葉をかさねようとしたアルヒにルサが体当たりをする。


 突然のことで尻もちをついたアルヒに馬乗りをして、ルサはその胸ぐらをつかんだ。


「逃げようなどと…テロス様の気持ちをよくも知らずに、簡単に言ってくれる!」

「ルサ…」

「立ち向かうべき現実から目をそらして逃げつづけることは、苦しみを味わいつづけることだ。終わらせられないことだ。

 この期に及んでテロス様のご覚悟をあざ笑うようなことを、よくもぬけぬけと…!」


「そのとおりです。逃げていただいては困ります」


 はっとして、三人が三人声のした帯戸のほうへ顔を向けた。


 声とともに引き開けられていた帯戸に、ひとりの女が手をかけている。


 白の衣に浅葱の裳をはき、化性っ気のない顔だちは清浄さそのものを体現しているようにすっきりしている、女神官の模範といっていいたたずまいの女がそこにいた。


 その女性をアルヒは驚きとともに見入った。


「君は…あのときの」


 彼女は、あの日アルヒが連れて行かれた隠し宮の守りをしていた女神官だった。


 姿勢良く、真面目そうな雰囲気はそのままに目だけが値踏みするように組み敷かれたアルヒを見つめる。


「若君も息災とのことで、よろこばしいかぎりですわ」

「よくも臆面なく言えるものだな、リズル」


 しずかだがよく響く声で言い、ルサが立ちあがる。


 リズルと呼ばれた女神官はやや首をかしげ、かたちよいくちびるだけで笑んでみせた。


「…ボクとは下手な芝居を打った間柄だろうに」

「そうですね。すっかり立場は変わってしまいましたが」


 アルヒはリズルとルサを交互に見る。―あのとき、なぜ術が使えないように縛られていたはずの場所に部外者であるルサがあらわれたのか不思議だったが、なんということもない。


 守りをしていたリズルが、ルサを手引したのだった。


「あなたもおろかなことをしたものです。その器量、能力をもってすればいくらでも斎王様のご寵愛をほしいままにすることができたものを」

「君のような日和見を好んで手元に置くようなおろかな将をあおぐ気になれるとは、とても思えないね」

「猊下は愛情深いかたですわ。わたくしの心変わりごと、その懐で慈しんでくださる」


 リズルが目を細めてくちびるに袖口をあてる。


「そうですね、あなたのように羽がうつくしいだけの小虫は相手にはなさらないでしょうが、身寄りのない子どもたちなら愛情深く保護をなさるでしょう」


 テロスが身をかたくするのを、リズルが横目に見る。


「テロス様、少々おいたが過ぎますわ。猊下はお嘆きになられています。ともに、来てくださいますね?兄君ももちろん、ごいっしょに」


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