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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第四章 斎王の思惑
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二. 囚われのアルヒ(1)

二. 囚われのアルヒ(1)


 日がずいぶんと高くなってからアルヒは目をさました。


 畳の上にそのまま横になっていたため、顔にへりの跡がついているのがわかる。


 ここに入れられたあとしばらく待っているように言われ、はじめは気を張っていたが気がつけば泥のように眠っていた。よほど昨晩の疲れがこたえていたのだろう。


 アルヒはおそらく、ルサとともに巫女の庄の斎王殿の一室に幽閉されている。


おそらくというのは、ここにつれてこられる道中ずっと被衣かつぎを頭からすっぽりとかぶせられていたせいで、あまりまわりが見えなかったせいだからだ。


 連行の大義名分はあくまで「巫女の庄の侵入をこころみた嫌疑者の引っ立て」だ。そういう者に、あまりじろじろと斎王殿の内部を見てもらいたくはないのだろう。


 しかしルサはそれも建前だろうと受け合った。


 ふたりが幽閉された部屋はこも畳の匂いも粋な平書院だった。ただしこの部屋は幽閉を目的に造られた部屋らしく、座敷と玄関をへだてる格子が異様な存在感をもって突き立っている。


 ここは斎王殿で身分の高い人間を一時拘束するために使用される部屋らしい。


つまり、アルヒたちの本来の身分を知ったうえで幽閉したのだろう。


「すぐにその場で殺すことも問答無用で刑場に引っ立てることもできただろうに、この部屋にあえて通したということは、何かしら目的があってのことだろう」


 そう言ったルサはあまり緊張のない動作で部屋のすみまで行くと、壁に背をつけてどっかりと座り込んでしまった。


 それにならってアルヒも腰をおろし…気がつけば寝入ってしまっていたというわけだ。


 そっと起き上がってふりむくと、腕を組んだままルサも目を閉じている。自分だけが眠っていたわけではないと知れると人心地ついたような気にもなれるというものだ。


 部屋の外に人の気配はなく、相変わらず事態は『待ち』の状態から進歩がないらしい。


 ひえびえと突き立つ木製の格子を見ながら、アルヒはぼんやりと昔のことを思い出していた。



 アルヒはたいへんおとなしく聞き分けの良い子どもだった。


 いつだって口寄士くちよせしに課されたことに満点で応じて、口答えなどはしたことがなかった。


 母はなく、父に抱かれることもなく、アルヒは他人のなかで育った。そのため、アルヒは自分のことを孤児であると認識している。


 それでもただの孤児の子どもではないアルヒは、貴い血が流れ下にも置かれぬ立場にあることをいいことに、起居に困窮したり度を越した空腹にあえいだ経験をすることなく、大事に育てられた。


 それが、アルヒにとっては恐ろしいことだった。


 幼いながらに、アルヒは自分が途方もない支払いを受けていると感じていた。


 口寄士くちよせしたちはまるでアルヒを祭殿に祀る御神体のようにありがたがり、供物をささげるように衣食を提供する。それに奇跡や加護でこたえなくては、祀られる価値がなくなってしまうとアルヒは思い込んでいた。


 けれど、アルヒがいくらあせったとしても、自分を神の血筋だと信じられるような奇跡は起こせなかった。大気の編み目を見ればその複雑さにくらくらしたし、糸を結ぶこともなかなか上達はしなかった。体力づくりの山ごもりではいつもけがをして、空気の薄さに気分を悪くした。


 よっつ上のシーヤ、ふたつ上のフエゴ、そして同年のセラタが術を上達させた話を聞くたびに喉を内側から締めつけられる思いがした。


 口寄士くちよせしたちはアルヒを急かすことはなくむしろはげましてくれたが、はげまされるたびにみじめさを、やがては恐ろしさすらを感じるようになって、焦れる日々がつづいた。


 このままでは見限られてしまう。見限られるだけで済むのならまだいいが、にせものだったと憎まれるかもしれない。


 アルヒは嘘つきだ。神の子だと人びとをあざむいて、高貴の人びとから多くを巻き上げた。そう言われてしまったら…言われなかったとしても思われていたら…そう考えるだけで、暗澹たる想いは叫び出したいほどの恐怖に変わった。


 あるとき、その想いはとうとう弾けてしまった。


 六つか、七つのころだった。年に数回の父との謁見の日のことだ。


 御簾みすごしに父から修行の成果を聞かれて、アルヒは返事に窮してしまった。


 焦りと劣等感にさいなまれ続けたアルヒは、とうとう自分が何をできて、何をできないのかすらも、わからなくなってしまったのだった。


 御簾の向こうでわずかに父は息をついた。ため息か、苦笑か、失笑か…いずれにせよ、アルヒはそれを失望であると強く思った。


 頭に一気に血がのぼり、熱をうしなった指がわなわなと震える。かろうじてその場を辞したアルヒは口寄士くちよせしたちの目をぬすんで駆け出し、姿をかくした。そして逃げ込んだのが、現在は宮のはずれにある土蔵だった。


 その土蔵はアルヒの曽祖父の代までは土牢として使われていた建物だ。だが牢舎の移転にともない、現在は物置同然のあつかいを受けていた。


 アルヒはその土蔵の奥に積み上げられた書物の下に板があり、その板の下はかつての地下牢に続く階段が隠されていることを知っている。べそをかきながら薄い板をはがし、できるだけ入り口の前に書物を山と積んでごまかし、薄暗い土牢へと逃げ込んだのだった。


 土牢の冷たい床に腰をおろして膝をかかえたアルヒは、大声を上げて泣くつもりでいた。


父との謁見の間でこらえた分も思いっきり泣いてやろうと思っていたのに、長い時間をねばっても、一度ひっこめた涙はなかなか出てきてはくれなかった。


 寒々しいほど心のなかがからっぽだった。


 突然すがたを消してしまい、口寄士くちよせしたちはアルヒをあわてて探しているだろうか。…いいや、もう探しはしないかもしれない。


 アルヒは結局、役目を果たせなかった。きっと、とんだまがいものをつかまされた、とみんな怒っているはずだ。


 ふと、天井からなにかを引きずる音がした。アルヒは息をつめる。続いて板を外す音、階段を降りる音が続いた。


 おそるおそる、アルヒは階段を降りて来た人物へと目線をあげる。それはアルヒと背丈も変わらない子どもだった。


 棒っきれのように細い足、ひざ小僧を出した動きやすそうな装束、無造作に結い上げた赤茶の髪。いかにもはねっかえりといった風貌の子どもが、格子ごしにアルヒを見つけてにやにやする。


「アルヒさま、みーつけた」


 その子どもは下くちびるを噛みながら口のはしをあげて笑った。はじめて見る顔だったが、その笑い方をする人物をアルヒは知っている。


「…セラタ」


 よく知るその子どもは、いつでも自分以外の誰かのすがたで現れる。


 きょうだいのすがたや、アルヒもよく知る人物に化けるとアルヒでも気がつかないことはあるが、こうしてはじめて見る顔なら不思議とアルヒは正体を見誤ったことはない。


「ねえ、アルヒさま。あそびにいこうよぉ」


 そう言ってセラタは格子をつかんでがたがたとゆすった。思わずアルヒは人さし指を鼻の頭につけて「静かに」のしぐさをする。セラタはくちびるをとがらかして、不満そうだ。


「あそびには、いけないんだ。たぶん、これからもずっと」

「なんで?」

「おれは、できそこないだから…もう、そういうのもぜんぶ、できなくなっちゃうとおもう」

「…アルヒさま、みやぬしのしゅぎょう、やめちゃうの?」


 アルヒは返事せず、地面を見ていた。


 それになにを感じたのだろう。突如としてセラタはとびあがり、うれしそうな顔になる。


「じゃあ、セラタもかげむしゃ、やめるよ。セラタはアルヒさまのかげむしゃ、だもの。アルヒさまがやめるなら、セラタだってやめていいはずだよ」


 アルヒは顔を上げ、目を見開いてセラタを見ていた。


 セラタはそのアルヒにずいと手を差し出して笑ってみせる。


「いっしょににげよ。セラタ、いっぱいいろんなとこしってるよ。アルヒさまにみせたいもの、いっぱいあるの」

「だめだよ」


 強く心をひかれたはずなのに、アルヒは真逆の言葉を口にしていた。


「おれには母さんはいないけど、セラタにはやさしい父さんも母さんもいるし、シーヤやフエゴだってしんぱいするよ。アイレもかなしむ。それに…くちよせしさま、セラタのことほめていたから…セラタがいなくなったら、こまるとおもう」

「でももう、セラタはかげむしゃ、やらなくていいんだもん」


 セラタがしゃがみこみ、格子に頭をくっつける。


「だからいなくていいし、セラタはアルヒさまと、あそびたいんだもん。アルヒさまも、みやぬし、もうやらないんだよね?じゃあセラタといっしょ」

「…いいの?」


 さっきはどれだけ誘っても顔を出さなかった涙がじわりじわりとしみ出してくる。人前でしか泣けないというのは卑怯な気もするが、セラタはそれを責めないと信じられるものがあった。


 もう一度、セラタはアルヒへ手をのばす。その手を、今度はしっかりととった。


 セラタの手は砂やらほこりやらで真っ黒に汚れていた。きっとここを探し出すためにあちこちに手をつっこんだのだろう。


 その手をとったアルヒのても汚れてしまったが、アルヒはそんなことを気にはしなかった。



 (結局、宮を出ようとしたところで衛士に見つかってしまって…叱られたなあ)


 アルヒは頬杖をつきながらほほえんだ。


 あんなに叱られたのは生まれてはじめてだった。びっくりしてわんわん泣いたものの、叱られおわって泣き止んだころには、あの絶望的な気持ちはすっかり消えうせてしまっていた。


 今でもあの時の気持ちの残滓が胸を病むことはある。


 そのたびにアルヒは、自分よりもこっぴどく叱られたはずがけろりとしたセラタが言った、『またみやぬしいやになったら、あそびにいこうね』という言葉を思い出すのだった。


 (俺は本当に宮主になれるのだろうか)


 人のいのちをあつかい、神として奇跡を起こす唯一の人。


 人間を構成する編み目を見、それを操ることができると知った今でも、自分が生き神と称されるエカサ正教の法王の座に就くことは信じがたかった。


 しかもそれが肉親の血によってあがなわれると知ってしまえば…。


「ん?」


 かたり、と玄関で音がする。だれかが帯戸に手をかけたようだ。そして、ゆっくりとその戸が引かれる。


 アルヒは知らず立ち上がっていた。いっしゅん、そこに現れたのがセラタではないかと錯覚したためだ。


 しかしそこに立っていたのは別の少女だった。


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