一. ノーシとアイレの潜入(1)
日ののぼりきった空は深々と青く、たなびく薄雲は朝焼けの情緒豊かな薄衣を脱ぎ捨てて真昼の空に白く流れていた。
背の低い花のなる木はこの立夏の季節に目のさめるようなあざやかな花をつける。その色彩は、高きは山々に、低きはお堀と土塀に四方を守られる、箱庭めいた巫女の庄を色づけて華やぎを添えていた。
なだらかな山のつらなりのなかで巨大な匙でえぐったかのような盆地に造られた巫女の庄は、高みからみおろすと棒付きのアメ菓子に似ている。
刺した棒にあたる部分は庄の入り口となっていて櫓門を構え、奥のふくらんだ部分には広大な舎殿を有する。庄と呼ぶには、さながら城郭のようであった。
『アルヒ様がいるとしたら間違いなく、あの斎王殿です』
「斎王殿…」
ノーシは手で顔にひさしを作って、崖から身を乗り出すようにして巫女の庄の奥に位置する舎殿を見おろした。
アイレが言うには、その舎殿の主こそ巫女の長…斎王だという。他にも斎王殿には高位の巫女や女神官、地方豪族の娘などが暮らしているとのことだ。
「女性の神官もあそこで修行を積むことがある…ということはアイレさんも巫女の庄のことはご存知なんですか?」
『…アイレはすぐにシーヤ兄さんのあとをついて任務に行くようになったから、巫女の庄でのおつとめは知りません。だけど、巫女の庄だってエカサ正教の祀り宮みたいなものでしょうし、多分、構造はわかります』
身の内からひびくアイレの自信なさげな声に、ノーシは上目を向いた。まあ、なるようにしかならないだろう。
アイレの霊体は現在ノーシに取り憑いている。
巫女の庄で修行を積むような娘は、霊視くらいはたやすくできる者が多い。そういった娘たちはこの庄で修行を積み、多くは各地の祀り宮に仕え、なかでも優れた者は絲の一族に嫁ぐこともある。
霊体のアイレは、そんな彼女たちからすればたやすく見出されてしまうのだが、ノーシの体に定着さえしてしまえば、目立ちにくくなるのだという。
ノーシの巫女の庄潜入のお膳立てをしたのはラミだった。もちろん、女性からの依頼によって女性の園に忍び込むという依頼を断るノーシではない。
ラミが用意した女神官の常衣も迷うことなく袖を通した。下位の神官らしい白を基調とした衣に裳を履き、上から萌黄に染めぬいた貫頭衣を羽織る。その貫頭衣がうまいこと体の線を隠してくれる。
それに少女らしい髪型になるようノーシにもあいそうなかつらなどをつけられたが、神に仕える少女があまり化性などを施すわけにはいかないため、仕上がりには少々難があるとノーシは思っていた。が、それもアイレがノーシの体に取り憑くことで解決をした。
ノーシに取り憑いたアイレは、そのノーシの印象に強く影響を与える。何も知らない者が見ればあどけない顔だちのわりには上背のある、ややはれぼったいまぶたの少女という印象を受けるはずらしい。
いまひとつノーシには実感がわかなかったのだが、人間は視覚よりも印象で人を判断するものだとラミは受け合った。
「こういう格好をするのがいやだっていうわけではないんですが、庄内には衛士やら立ち寄りの口寄士やらで男性もいるわけでしょう?無理して女装する危険を冒す必要もないような気がするんですけどねえ…」
『男性がいるって言ってもたかが知れていますよ。女ばかりの園に見慣れない男性がうろつくのなんて、くず糸の上の毒ヘビよりも目立ちます。高位の神官や口寄士ともなると身のまわりの面倒にたくさんの巫女や弟子を取り立てるものだし、見習い神官のひとりやふたり、見慣れない女の子がいても見逃してもらえますよ』
「そういうものですかね」
なんとなく釈然としないノーシだったが、ものものしい櫓門を「宮の口寄士のおつかいで来た」と伝え、ラミにしたためてもらった紹介状をかざせばあっさりと通れてしまったことで、ようやく信じる気にもなれた。
『あの人たち、声もアイレの声で聞こえているはずです』
「すごいものなんですねえ…」
『だから、アイレの声であんまり変なこと言わないでくださいね』
「…まあ、善処します」
斎王殿は地方豪族の屋敷、祀り宮、役所…そのすべての機能をそなえたような舎殿だった。
本来は斎王―巫女の長の座に君臨する国長の血筋の娘と、その補佐をとりしきるエカサ正教の女神官の住居兼祈りの宮として造られたものだったが、時代がすすむにつれて世俗を離れた場所として聖地の色合いが強まり、多くの女性が修行をおこなう場所へと変化していった。
現在では住民など庄内に抱える女性の人数も増えたため、斎王殿には庄を運営するための官衙が敷かれ、天女をまつる祭殿も立派なものとなり、増築をくりかえして都の国長の御殿もこうかと思わせるほどの規模になっている。
ラミの紹介状は、荘厳な築地塀に囲われた斎王殿の見上げんばかりの楼門へ足を踏み入れることさえ容易にさせてくれた。
「さて、どこへ向かうかですが…アイレさん、あては」
『…こんなに大きいものだとは思っていませんでした…』
アイレがかえりみて他を言うのも無理はなかった。
透かし渡殿のそのまた先にも交差する渡殿がツタのように生え、はたして詰め所だか車宿りなのかも判断できかねるような建物が雑然と並んでいる。
かろうじて祭殿らしき屋根のそのまた奥にある大殿が斎王の寝所なのではないかと想像がつくくらいで、この迷宮を初見で生き抜くのは困難をきわめると判断をすることは、もはや無理のないことだった。
「ならしかたありませんね。道に迷ったら現地の人間に聞くのが基本です」
『なっ、なにを言っているんです。アルヒ様をお救いするのは秘密裏におこなうべきことで…』
「べつに、われわれの目的までぺらぺら話さなければいいんですよ」
内股気味に歩き出したノーシは渡殿をゆっくりと歩み行く初老の女性をみとめると、早足で追いかけた。そして、これまでとはうってかわりいかにも自信なさげに話しかける。
「あのう…突然お声かけをする失礼をおゆるしください。わたくし、宮から参った者でして、あなた様のような斎王様にお使えするような高貴の巫女様にこのようにおたずねするのは大変心苦しいのですが…」
「あらあら、わたくしは斎王様のお側にはほど遠い低位の巫女ですよ」
「まあそうでしたの、洗練された足はこびでしたから、てっきり斎王様がお側に置かれるかたかと思いました。宮にはあなたほどの器量のかたはおりませんから」
「ふふ、上手だこと」
アイレは閉口する思いで聞いていたが、初老の巫女はずいぶんと気を良くしたらしい。
「わたくし、斎王殿ははじめてで、右も左もわかりませんの。
それなのにわたくしをつかわせた口寄士ときたら、見習いのくせにあれも見てこい、これも調べてこいとうるさく注文をつけるのです。すっかり困ってしまって」
「まあまあ、それは難儀なこと」
『ラミ様に言いつけてしまおう』
アイレの憮然とした声を聞こえないふりをして、うまいこと巫女を口車に乗せたノーシは、そのまま巫女から有力な情報とともにざっくりとした斎王殿の構造情報まで聞き出した。
この初老の巫女には無邪気なノーシの言葉もアイレの印象をともなって聞こえる。鈴を転がすような、自然の愛らしい声には男性のみならず女性の心もとかす力がある。
相手が右も左もわからない礼儀正しい少女ならなおのことだろう。
とはいえ、自分の声で心にもない言葉を聞くことになれないアイレには、全身がむずむずするような体験なのだった。




