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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第三章 御子にまつわるもの
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五. トガキ・ルサ

 ラミの言葉は、ゆっくりと飲み込めた。


 その上で思い知らされる。自分の秘められた力…人間を構成する編み目を見ることができる力…そしてその編み目に手をいれることができる力のことを。


「…やめてくれ」


 手にあるその糸で大木を一刀両断にしたときの感触がよみがえってくる。そしてそれをぼうぜんとして見つめる、複雑な編み目をもつ者たち。


 その糸ひとつをほつれさせ、ほどくことを考えたとき…構成される糸を引っこ抜かれた人間がばらばらと形をうしない崩れ落ちる様をありありと思い描かされ、アルヒは思わず口もとを覆った。


 飲み込んだ言葉が不快感となって、胃にうずまいて暴れる。口にあてた手はいやな汗をかいていた。


「他人の絲を織り込むには、やはりなじむ糸というものがあります。その点、双子というのは最適なのです。ご初代はいずれ時代がくだるにつれてその血が薄れ力がうしなわれていくことを見越し、このような方法を残したのでしょう」

「そんなものは、人間ではない…きょうだいの血肉を喰らい、力を得た者なんて」


「ええ、神です。言ったでしょう、古い神を呼び出す儀式だと。まるで、いけにえを必要とする古い神そのものじゃないですか。

 …若君、覚えておいでですか?あの日私がした提案を」


「ラミは…きょうだいが殺し合う方法を嫌っていたのではないのか。それで、俺の力のすべてを妹にわたす方法を提案したのだと…」


 あえぐようにアルヒが言うのを、どこか哀れみの微笑をうかべながらラミがうけとめる。


「知識、技術、経験…そして業も、すべて人格と切り離しがたくからみついた糸です。これをほどくのは難しいでしょう。それを他人にあけわたしたとき、あなたという人格もうしないます。命をおとすことはないのです。案外幸せなことかもしれません。

 …あの日、若君は私の提案をそのまま飲まなかった。ただ、見きわめる時間がほしいと言って髪を切りおとした。身分の外に見えるものを見てから判断したいと言って。

 私は若君をとめませんでしたが、本当は悲しくもなりました。すべてを知ってしまったら、そのことに気がついてしまう…うしなうことをわかっててうしなうのは、知らずにうしなうよりも、苦しみをともなうでしょう」


 つまりは、どうあってもあの日あの場所にいた、けがれのない世界に生かされていた後継者の少年は死ぬしかなかったのだ。


 アルヒはみずからの刃をもって、髪を切り落とすとともに、その世界を断ち切ってしまったのだった。その先にあるのは殺すか殺されるかしかない世界だ。


 妹に殺されて、その力をうばわれる。妹を殺して、力をうばう。自分という人格をそのままいけにえとして差し出す。


人として死ぬか、神に生まれ変わるかのいずれかだった。


「若君が動いたことによって、流れは変わりました。平穏な世界で行きてきた若君が影君と争うには、『死の知恵』を得る土台が必要になったのです。…だから、あれは良い水先案内人だったのです」


 ラミが遠くを見つめる。その目はまるで昔にこの世を去った者を悼むようなまなざしだったが、彼女が誰のことを語ったのかを察してしまったアルヒは肌が粟だった。


「若君、なぜ他国の者がいるその場で、あなたの身の振り方についてべらべら話したと思いますか?」


 アルヒはかぶりを振る。


 知らない、の意ではない。聞きたくない、の意をしめすために。


「それは、彼がこの国で得た知識を他国で有用にすることなく尽きてしまうとうらに出たからですよ」

「ノーシは、ソシア公国の重要人物の紐付きだ。そういった者を手にかけることがあれば」

「われわれが手を下すのではありません。さだめが、彼を殺します」


 アルヒは目をとじる。


 ノーシをうらやましいと思い、見習おうと思った。厳しいさだめの中にあってもあっけらかんと笑ってくつろげる人物。そうなれたらと思った。


「死やけがれに触れることは、神となるには避けて通れない儀式の一環です。御妹君はすでにそれを済まされている。若君にも必要な、通過儀礼となります」

「まだ神になると決まったわけでは」

「残念ながら、もう若君に選択をあたえられません。あのときとは違うのです。イツクシミヤ家当主の御座おましは長く空席にはできませんから。

 すぐに若君を救いにあがりますので…くれぐれも…御身を…大事に…」


 ラミの声が徐々に遠くなっていく。


 墨に水を垂らしたように視界がにじみ出し、上下すらあやふやになっていく…。




 目覚めたアルヒが記憶をとりもどすとともに襲ってきたのは強烈な痛みだった。全身がずくずくと傷んだが、動かない関節がないことにアルヒは安堵した。


 目がなれるまでは自分がどんな暗がりにいるのかもわからないほどだったが、目がなれるにつれて、葉ばかりをのばした灌木が影を落としていることに気がついた。投げ出した手足にふれる雑草もやわらかく、アルヒの体をふんわりとうけとめてくれている。


 木々のすきまを透かし見れば月のないの夜空があり、黒々とそびえる谷肌を見ることもできた。


 ゆっくりと、あの峪から落ちていく映像が目の前によみがえてくる。あのとき…背後の襲撃者のすがたに気がついたアルヒを助けた人物は、迷うことなく足場を蹴って谷底へ身を躍らせた。


 アルヒの手をにぎったまま、真っ逆さまに落ちていくさなかにその人物はたしかに大気を結ぶ動きを見せた。アルヒもそれに手を貸そうとしたはずだが、なにかがその結び目を断ち切った。


 それからはなにがなんだかわからなくなってしまったのだった。


 衝撃が全身を襲ったそのときにも、いっしょに飛び込んだ人物の手を握りしめていたように思う。


 アルヒは身を起こす。そしてその視界の端に、横たわる人物を見かけた。


 ぎょっとしてよく見てみる。それはたしかに、アルヒの手を取ったまま谷底へ転がり落ちたあの人物だった。細い鼻筋を天に向けて、長いまつげを伏せたまま倒れている。


 とっさににじり寄って、アルヒは力なく横たわった人物を抱き上げる。そして、どきりとした。


 抱き上げた肩は、いざ触れてみると丸みをおびてなめらかで、華奢だ。そしてなによりもアルヒを狼狽させたのが、胸のふくらみだった。よくよく見てみれば、その端正な顔だちも少女めいたものだ。


「うう…」


 紺の衣の娘は、苦しげにうめいた。そのすがたは艶めいて、アルヒはなぜか責められているような気がしたものの、背に腹はかえられなかった。


「大丈夫か」


 娘を軽くゆさぶると、何度めかで苦しげに薄目を開けた。焦点のあわないまなざしでアルヒを見つめ、顔をゆがませる。


「さわ、るな…」

「すまない。だが、」

「腕に、あたる」


 はっとして、アルヒは触れていた娘の腕を見た。アルヒの手にぬるりとした血の感触をおぼえる。よくよく見ると、片足も血に濡れていた。


 手当をしなくてはならないと思い、そっと娘を横たえてアルヒは立ち上がった。


 せせらぎの音をたよりにアルヒがその場をあとにしたことを確認すると、娘は糸が切れるようにふたたび意識をうしなった。



 アルヒにおぶわれながら、娘はふたたび目を開いた。


 気がつくと、腕にも足にも布が巻かれている。それがアルヒの服を破いたきれはしであることはすぐに知れた。


「どこへ向かっているんだ」


 わざと機嫌を損ねたように威圧する言い方をしたつもりだったが、声はかすれてたよりないものだった。当然のようにアルヒは気にした様子もなく返事をする。


「名前を教えてくれないかな。君は俺の名前を知っているんだろう」

「そんなことを知ってどうする」

「これから君と、生き残るために行動をともにしなくてはならないのだろう。いざというときに、呼ぶ名前がないのは不便じゃないかと思って」


 娘はしばしむっつりと口をつぐむ。根気よく待っていると、おぶわれた身で我を張るのがばかばかしくなったのだろう、娘は投げやりな口調ながらもこたえた。


「ルサ。トガキ・ルサだ」

「ルサ…ふるい言葉で、月か。本来の名前は捨てたのか」

「どういうことだ」

「いや、もしかしてラツトノ…の家と関係のある家の名じゃないかなと思ったんだ」


 彼女のような、白目の少ないひとみをしたラツトノ家の女性をアルヒはひとり知っていた。おそらく一生その顔を忘れることはないだろう女性だ。


 ルサが術を使うのを、二回見た。そうなれば…セト・ラツトの消えた姫君の正体は明白だ。


「トガキは母の嫁ぐ前の家名だ。ラツトノの名は捨てたから」


 ああ、と得心したようにうなづいて、アルヒはけがに響かないようにルサをそっとゆすりあげた。


「そんなに似てるのか。ボクとミリクは」


 思わず洩れ出たひとりごとのようだったが、アルヒはそれを耳ざとく拾う。


「目もとがとくに…そういえばシーヤとアイレもどことなく目もとが似ているな。俺も妹と似ていたりするのか?」

「…テロス様はお前とは似ても似つかない」


 突き放す言いようだったが、アルヒは少し声をたてて笑った。


「テロス。テロスというのが、妹の名前なんだな」


 黙り込んだのをみて、アルヒはそれを肯定だと判断した。


 それからしばし歩いて、アルヒは立ち止まる。岩の陰になって暗がりでは見つけにくいが、そこには大人が背をかがめて入れるほどの横穴があった。


 今夜はここで休むことを提案すると、ルサは何も言わなかった。またしてもこれを肯定だと判断する。


 手負いのルサを先に入れさせると、アルヒは近くの岩を運んできたり、近くの木々からほどよい枝を拝借して地面とを「糸」で結んではやごしらえの茂みをつくったりと隠蔽工作にいそしんだ。とりあえずの目隠しにはなるだろう。


 ルサはアルヒのひろってきた小枝を積み上げると腰にさげていた小袋から火打ち石を取り出す。打ちつけて作った火種を積み上げた枝と結び、火を起こすことに成功した。


 あまり煙が出るのは好ましくないと思い、アルヒは木を構成する編み目から、水の流れを切ってあった。乾燥した小枝はしずかな明かりを暗黒の洞にもたらす。


「ルサは絲の術を本当に自己流で会得したんだな。実際にこの目で見るまではやっぱり信じがたかったけど」

「ボクのできることはささいなことだ。…あの巨体の神官はずいぶんとだまされてくれたけど」

「リゥガが無事なのか?」

「テロス様は必要以上の死を望まれないかただ。あのかたがそう望まれれば、ボクはそのようにする」

「そうか」


 ルサの口調からは畏れも受け取れたが、それ以上にテロスという少女にたいしての絶大な忠誠を感じた。まるでラミの口ぶりから思い描く影君像とはかけ離れた印象に、アルヒは妹についてはかりかねる思いになる。


 会ってみたいと思った。会って、その印象を自分で決めたいと思った。その上でしか、きっと判断はできないだろう。


「テロス様が、ボクに術の手ほどきをしてくださったんだ」


 そうつぶやいたルサは、少しだけ目もとを和ませる。火明かりをうけて、くつろいだ表情をかいま見せるルサはハッとするほど品よく美姫めいて、知らずアルヒは見とれてしまった。


 それに気がついたルサが顔をしかめてあからさまに距離を取ったため、アルヒはばつが悪くなる。


「わるいけど、それ以上ボクに近付かないでくれるかな」

「そんなに警戒することはない…君は俺のことを助けてくれたわけだし、立場としては敵になるとしても、ルサをどうこうするつもりは」

「ボクは、男はきらいだ」


 すげない一言にアルヒはとりつくしまもなく、言われるままにたたみ六畳ほどの広さの横穴のなかで最大限距離を取ることにした。なんとなく、自分が見とれていたことを言い当てられたようで気まずくもある。


 アルヒがそろそろと離れ背を向けて横になるのを見張りながら、ルサは洞穴の岩壁に背をあずける。


 足のけがはたいしたことはないが、腕のけがは深い。今夜あたり熱が出ることを想像し、ルサは嘆息せざるを得なかった。



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