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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第三章 御子にまつわるもの
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四. 底で見る悪夢


 その殿舎は、巫女の庄の奥地で権力を誇示するように立派な造りをしていた。すべやかにならされた板葺き屋根は、そそぎおちる昼下がりの陽光を反射してまばゆいほどだ。


 その日陰に守られた透かし渡殿を、ゆいあげた髪をゆらし歩くのは、アイレとセラタの兄のシーヤだった。


 途中に行き交う巫女の娘や侍女たちがシーヤの繊細な顔だちを見るにつけてつつきあいささやきあうそのさざめきすら耳に入らないほどに、シーヤは先を急いでいた。


 いくつもの渡殿を経た先にたどりついた東の離れの館の戸前に立ち、おとないを告げる。その返事があるかないかの際どい間でシーヤは室内に足を踏み入れた。


 飾り屏風に仕切られた書院の奥から、長い裳裾を引きずってシーヤを迎える娘がいる。


 黒地の薄布を垂らした天冠をかぶり、自身も長くつややかな黒い髪をしている。装いも丹念に染め上げた黒一色の衣をゆったりと着込み、懸帯かけおびの黒緋色が際限なく広がる袖のふくらみを抑えていた。その暗い色の装いのなかで、闇夜にひかる月光のように病的なほど肌は青白かった。


 娘は表情なくふせた黒曜石のひとみでシーヤを見つめる。


「何用だ」


 その声は背格好に似合わず、低く豊かで威厳に満ちていた。


 シーヤは膝をついてとりあえずの礼は尽くしていたものの、遠慮なく娘を見つめかえすと口を開く。


「アルヒ様が山で賊に襲われて消息を断った。ルサも、一緒に」


 黒衣の娘が保っていた威風にゆらぎが生ずる。


「まさか…ふたりは」

「まだ見つけられてはいないだろう。先手を打つことはできるはずだ」


 娘は表情までも動揺を走らせない。それでも組んだ手は震えはじめ、膝はくずおれてシーヤと目線の高さを合わせる形になる。


 シーヤの紫のひとみのなかに、娘は不安を探ろうとする。シーヤはその動揺を正面から受けとめる。ほんの少し目をそらすだけで娘は不安に狂ってこの場を飛び出してしまうかもしれない。彼女にはそういう危うさがあった。


 まるで古い森にあらわれる、立派な角をかまえた大鹿のような娘だった。荘厳にかまえているようで、ひどく用心深い。その用心深さで、しなやかな体を守り続けた古強者のように。


「襲われたのは峠にさしかかった頃とのことだ。となれば、姿を消したのは谷底にと考えるのが妥当だろう」

「ルサは、アルヒを助けようとしたんだろう…それで、無茶を」

「ルサがアルヒ様を助けるところを奴らに見られていたとしたらまずい。こちらの思惑が悟られた可能性もある」


 娘のもともと青白い肌は、その白さを増していた。


 彼女が最悪を想定しすぎるのは無理のないことだ。それをなによりも叩きこまれて、彼女は育てられた。


「テロス、手は尽くそう。だから」

「シーヤ」


 恐怖でまなじりを軋ませながら、テロスと呼ばれた娘は口の端を上げる。


「せめて、最悪のときには亡きがらだけでも探し出してほしい。それさえあれば、私がまたアイレのときのように」

「いけない」


 シーヤの声は小さいままで、それでもその言葉は冷水のようにテロスに浴びせかけられた。


「それだけは、してはならない。許されるのは、【結ぶ】ことまでだ。【紡ぐ】ことは…もうしてはならない」

「ああ…。ああ、そうだ」


 テロスが顔をおおい、肩を震わせる。深爪でそろえられた指が顔のふちをかいて、激しい感情をいなそうとするのを、シーヤは膝ついたまま見守っていた。


 ほどなくして、冷静さをとりもどしたテロスは顔を上げる。それは岩山の頂きに突き立つ枯れ木よりなお平坦で、無感情な表情だった。


「頼んだぞ、シーヤ。くれぐれも内密に。口寄士くちよせしはもちろん、斎王にも知られてはならない」

「もちろん」


 テロスに言い聞かせ、言外のものもふくませるよう、シーヤはよく通る声で返事をした。




 アルヒはひどい悪夢のなかにいた。


 菜とともに包丁できざまれそうになるのを逃げまわる。身の丈以上の包丁を軽々とふるうのは女だ。白目の面積の少ないひとみの、薄着姿の娘…ミリクだ。


「愛されたいのです。受け入れてくださいませ」


 アルヒは必死で避けつづける。青菜が、干魚が、かわりにきざまれていく。


「逃げろ!」 護衛士の男の声。わかっている。しかし体が重く、熱っぽく、思うように動かない。足がもつれて、自分の足につまづいて転んでしまう。


 気がつくと、目の前にはセラタが立っていた。長い髪を編みこんだ、あの日隠し宮から手を取りあって逃げたときの容姿のセラタだ。


「私がよごれた手でアルヒ様に触れたと、アルヒ様も責めるのですね?」


 怒気もなく自嘲に満ちた声音で、けれど表情はつゆほども動かさなかった。


 なにかを言おうと思っても、のどがつまって声が出ない。口のなかにいっぱい果実がつまっている。果実茶を飲んだせいだとアルヒは思った。


「私が絲の化けものならおまえはあさましい袖乞いだ。満たされることばかりを望んで、哀れをさそうことにしか脳がない」


 その言葉は追ってくるミリクではなく、アルヒに向かって放たれた。それに肯定なり否定なりを示したかったはずなのに、冷たい無数の手が首を頭を腕を背を押さえつけ、さらには衣の隙間から侵入してくる。


 やがて無数の手はアルヒの体をかつぎあげ、煮えたぎる湯をたたえた鉄なべにアルヒの体を投げ入れる…。


「さだめの上を行くのです」 どこからか、ノーシの声がする。 「よりよいこたえを出すために」


 もう、どうしようもないと思った。燃えてしまった炭を木に戻せないように、落ちはじめてしまえば、上がることなどできない。


 全身をたたく衝撃で息がつまる。そして熱が…煮え立つ湯が、体をただれさせて…


「そこまで」


 パンパンとかしわ手を打つ音とともに、すべては消え去った。


 アルヒは乾いた床の上にいた。鉄なべの壁はあとかたもなく、煮えたぎる湯の名残もなければ、衣はひとつも濡れていない。


 手をついた状態で、そろりと顔を上げる。いつの間にかそこにはしたり顔のラミがたたずんでいた。


「けっこうな悪夢をご覧ですね。むこうみずの代償でしょうか」


 かぶった湯のせいではなく内側から吹き出た汗のせいでびっしょりとこめかみも背も濡れて、のどもからからになっていた。それでも、なんとか声がすべり出る。


「ラミ…なのか」

「ええ、あなたの夢を通じて話をしております。夢を見られているということは、まだお命をつながれているということですね。安心いたしました」


 どこか嫌味がましい言い方だった。しかし責められても仕方ない状況といえばそのとおりだ。


 ノーシを誘い出すときにも言ったとおり、今はおとなしく目立たない場所で隠れていなくてはいけない頃だったのだから。


「反省しておいでのようですね」

「…ああ」


 きまりが悪そうに、アルヒは頭をかきながら身を起こす。


「まったく、はじめて対面したときはこんな糸の切れた凧だとは思いませんでしたよ。それであなたは今どちらにおいでなのですか」

「シウ峠…巫女の庄に向かう道すがら、山賊らしき者たちに襲われて」

「巫女の庄!?」


 すっとんきょうな声を上げたラミに、逆にアルヒが驚かされて身を引いた。声を上げたラミはといえば、よろりと後ろにたたらを踏んでひたいに手をあてると、大きく息を吸い込む。


「なんだってそんなところに…」


 吸った息の量のわりには漏れ出た声はかすかなものだった。


「…アルヒ様、まさかとは思いますが…ご自分を襲ったのは賊だと本気でお思いにはなってませんよね」

「賊にみせかけた者が現れることはあるだろう、とは思っていたが…」

「賊にみせかけた者がいるとすれば、それは巫女の庄の者です」


 ラミが膝をつき、アルヒに目線をあわせる。


「アルヒ様の御妹君…影君とよばれるあのかたは、いま巫女の庄に滞在しているのです。人食い獣の巣穴に丸腰でとびこむおつもりですか」

「巫女の庄に…」


 言われてみて、思い当たらないこともない。


 巫女の庄は、エカサ正教につかえる女性すべてに教育をほどこす機関でもある。巫女はもちろんのこと、女神官、女禰宜…絲の一族の女性も一処に集められる。


 影君とて、絲の一族の女性である。身の拠りどころが決まらないのなら、一時的に巫女の庄へ腰をすえることもあるだろう。


「アルヒ様は無防備が過ぎます」

「うっ…」


 それについてはまったく反論ができない。言ってみれば、これまでの窮地すべてがおのれの無防備さをつけこまれてのことだった。


「イツクシミヤ家の正当な後継者としての知識が『生の知識』にかぎられているのだから、なおのことアルヒ様はその身を守ることについて熱心になっていただかないと。これは見習いとはいえひとりの口寄士くちよせしとして進言させていただきますが…」

「待て」


 アルヒがラミのそでを勢い込んでつかんだため、ラミは口をとめた。


「『生の知識』に限られているとは…どういうことだ?」


 ラミはアルヒの言葉の先をうながすように口を真一文字にむすんだ。


「やはり、俺にあたえられた知識はかたよったものだったと…そういうことなのか」

「…なにをお聞きになりたいのですか?」

「俺は来年の元服にあわせてイツクシミヤ当主としてのふるまい、あつかう術についてはひと通り与えられている。ただ、秘儀について…生命をあつかう神の御業については元服後にあたえられる知識として教わっていない。だとしても、俺は…」


 一度呼吸をととのえてから、アルヒはできるだけ落ち着いた声が出るように努力をしながら口を開いた。


「そう言われながらも、自分のあたえられた知識は半ばだと思っていた。糸を切ることなく結ぶ術しか教わっていないが、本当は…切ることによってなす術があるんだろう?生の知恵のそのさき…死の知恵が」

「若君。人間ひとりが得られることのできるものには限界があります。知識も、技術も、経験も…その業も」


 ラミが立ちあがる。つられて、アルヒも立ちあがった。


「正統なる御子には、後継者として『生の知識』を。けがれなく育まれ、人間を傷つける術はあたえられない。

 サズカリモノの影君には『死の知識』を。人がどのようにして果てるのか、人が死の淵になにを見るのか…けがれのなかに身をおとして、育まれるのです。

 生と死をふたつに分けてそれぞれに育んでいけば、あわせてひとつをひとりに与えるよりも、かぎられた期間により豊かに育むことができると思いませんか。

 そして、どちらかひとつの器にふたりぶんの知識や術をそそぎこむ。そうすることによって、ようやくご初代に並び立つ…あるいはそれ以上の後継者が誕生するのです。

 わかりましたか?双子のかたわれを『サズカリモノ』だなんて呼んでありがたがるわけが」


 ラミは書物をよみあげるように、無駄な抑揚なくうたいあげた。その姿は、それこそ祖霊おろしをおこなう巫女がまじないをしながら心を空にしている様のようだ。


 ―儀式がいつでもそうであるように…なすべきことが大きいほど、要求されるにえはつきものとされるのですよ―


 以前、ラミの話していた内容だ。その意味が、今ではかぶさってくるように理解できる。


「若君は、自然や大気のみならず、人間を構成する編み目もご覧になれるんですよね」

「やはりそれは…イツクシミヤの者にしか見ることができないのか」

「才があるものにはかろうじて見ることができましょうが、その編み目ひとつひとつを知覚できるのはイツクシミヤの者でないと難しいでしょう。イツクシミヤの者であればその編み目に手をいれることすらできるのです。ほどくことも、ほどいた糸を別の織物へ編み込むことも」


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