三. 切っ先となる
存外ノーシはすんなりとアルヒの申し出を了承した。他ならぬ、行き先が女性の多い場所であったから、というのが動機としては大きいのだろう。
アルヒがノーシをともなって向かいたいと言ったのは、巫女の庄と呼ばれている場所だ。
霊体をあつかう術は、元来女性のほうが得意な者が多いとされる。アイレのように霊体のまま術を使うという離れ技をやってのける者はいなくても、霊視や未来視、祖霊おろしなどを修練の果てにきわめる素質を持つ者はいつどきもそこそこの人数いるものだ。そういった素質ある女性たちを集めて巫女としての素養をみがくのが巫女の庄だ。
もっとも巫女の庄というのは俗名であり、巫者たる女たちがいくつも館をかまえて生活することからつけられた通称である。
「しかしなんで、そのような場所に?」
「巫女の庄の敷地にある御滝には天女伝説があり、絲の神の御子が滝に降りたった天女に妻問いをした聖地だと言われている。絲の一族に嫁ぐ女性、エカサ国要人の娘、さらには王家の姫も、行儀見習いに巫女の庄で修行をするんだ。だから、そこに行けば母のことがつかめるのではないかと思ったんだ」
ノーシがあごに手をあててなにかを考え込むのを見て、アルヒは言葉をかさねた。
「この時分に…疑いのかけられている時期に、ふらふらと口寄士や神官の多くが出入りする場所へたちよるのは軽率だとは思うが…宮にもどってしまえば―――俺が正式な後継となったとしても、廃されたとしても―――こうやって出歩く機会はなくなるだろう。とはいえ、いっしょに行動するノーシにも危険がおよぶかもしれないが」
「なにを言っているのです。おともしますよ」
あっけらかんとノーシが言うので、アルヒは拍子抜けする。
「婚礼前のうら若き乙女のつどう清浄の館。一見の価値はあります」
あくまで、ノーシは軸を見失わない男なのだった。アルヒもこれ以上言いつくろうのは必要ないと判断した。もしかしたらアルヒに気を使ってそう言っているふしもあるかもしれないが、語気からあふれる想いはいつわりないものにちがいないと信じられる。
「そういえばノーシも俺のことを呼びすてにしてくれていいんだけど…敬語も」
「アルヒさん、わかってませんね。これは演出です」
ノーシは芝居がかった所作で人差し指をつきたてて左右にふってみせる。
「演出というと?」
「ここぞという意中のひとりにだけ、くだけた口をきくのです。他のかたはみなあえて、丁寧に接します。これは基本のワザですよ」
エカサ国には存在しない基本だなとアルヒは半眼になって思った。
「あ、でもアルヒさんは自分にたいしてくだけてくださっていいんですよ。せっかく遠いエカサでできた友人です。これからもどうかよろしくお願いしますね」
くったくもなく笑って差し出された手をとりあえずかさねると、異国式の握手をされる。気恥ずかしくもあったが、悪い気はしなかった。
セト・ラツトに向かって歩いた道をさかのぼり、行きにも泊まった宿でうまいこと巫女の庄にも寄るという隊商を口説いたノーシは、その馬車に同乗させてもらうことをとりつけた。
エカサ正教が大きな力を持っている以上、少々薄汚れてきたとはいえ上等な神官服を身につけたアルヒへ手をさしのべることを惜しむ商家はなかなかいない。エカサ正教のおぼえめでたくなることは、あらゆる商店の悲願なのだ。
有力な先行投資をしぶらないことは優秀な商人の条件だなどとよくまわる舌でうそぶいたノーシだったが、実際は彼が大奥様を口説きたおしたことも大きいだろうとアルヒはにらんでいた。
生い立ちを知らなければ口から生まれたなどという与太話すら信憑性を持たせる、ノーシの話術はもはや驚嘆の域であった。
アルヒたちを馬車に乗せてくれた商家のミレンカ婦人は、巫女の庄に大量の織物を仕入れに行くと言っていた。
巫女の庄で修行の一環としてつくられる織物は、その繊細な色づかいと質のよさから国内外問わず高値がつく。かわりに庄で外国から仕入れた香辛料などを売るそうだ。
ミレンカ夫人の商家はなかなかのやり手らしく、国内ではまだめずらしい馬車(国内では牛足馬というずんぐりとした巨体の馬に車を引かせる牛馬車が一般的である)三台だてでの移動だった。アルヒたちは最後尾の馬車に乗せてもらっているが、どの馬車にもものものしい、いかにも手練といった風貌の護衛たちが乗馬してつきしたがい、油断なく四方を見張っている。
現在一行は山道に入っており、護衛の男たちの緊張感はますますたけなわとなっていた。
通り抜けるのにはそう険しいわけではなく、通い路も広くととのえられた場所だが、山賊の目撃や被害の報告もある場所である。
せめて好意にあまえるだけではなく役にたてればと、アルヒはアイレがするように霊体でうかびあがり、俯瞰して隊商が行くのを見守っていた。まわりに注意をはらい、異変があればすぐに降りて伝えるつもりで身構えたアルヒのその目に怪しい人影が映ったのは一行がまさに峠にさしかかるころだった。
一行がすすむ街道の右手は切り立った懸崖となり、その人跡のおよばないはるか上方に雑木林を冠している。その斜面ばかりのけもの道に人が動くのを見た。
すぐに知らせるべきだとアルヒの霊体が肉体へとすべりこんだ、その時だった。
なにか四本足のものが、切り立った懸崖から彼らの目前に降りたった。つづいて二匹三匹と躍り出て、隊商を囲うかたちとなる。
ツノオオカミだ。体長はむくむくと大きく、ほうきのようなしっぽの中にヤリの穂先によく似たツノを隠しもっている。人間をわざわざ襲うことはないが、害あると判断されればなりふりかまわず襲いかかる、危険な猛獣だ。群れで狩りをするけものだが、その様子は泡をくったように混乱して、集団での狩りにしてはずいぶんずさんな陣形をくんでいた。そもそもこの季節に人の多い場所へわざわざ降りたつ生き物ではない。
ツノオオカミの登場におどろいたのは人間だけではなかった。馬車につながれた馬はキバを持つ野生動物の登場に度をうしない、後ろ足で立ちあがった。御者は振り落とされ、その一連の大きな動きと音に相対したツノオオカミも動揺をあらわにする。八方塞がりの敵意をむきだしにし、キバを剥きとびかかる。
ギャンッ、とあわれっぽい声を上げ、地面に尻もちついた御者にとびかかったツノオオカミは護衛の男になぎはらわれた。
「走れっ!」
火蓋は切られた。ツノオオカミたちの総攻撃がはじまるのを待たず、転んだ御者のかわりに最前列の馬車の座におさまったノーシが馬を走らせる。アルヒに助け起こされた御者は二番目の馬車へ、そしてアルヒは三番目の馬車へと飛び乗った。
ツノオオカミたちは眠っているところを起こされてもしたのか、動きがにぶい。そのスキをかすめとるように、すべての馬車が速度を上げて距離を離す。泡を吹くいきおいで狂乱のまま駆ける馬にまたがった一番年かさの護衛の男ががなり声を上げた。
「次の道で二手にわかれるぞ!前の二車は左手の道、最後一車は右手の道だ」
ほどなくして護衛の男が言ったとおりに道がふたまたに別れる場所へさしかかる。ノーシは言われたとおりに左手の道へ、つづいた馬車も同じ道へとすべりこんだ。最後の馬車の御者が手綱を右に引きかけるやいなや、風を切ってはやぶさのような矢羽がふりそそいだ。
矢の一本は幌布に突き刺さり、その他数本は鋭いいななき声を上げて足をとめた馬車馬の足もとに突き立っていた。狙ったというよりも、威嚇的である。アルヒは何も考えずに馬車をとびだした。
しんがりをつとめる護衛は怒れるツノオオカミたちを相手取り引き連れるかたちでこちらへ向かっている。ためらう間は用意されていなかった。
アルヒはひとつ、大きく息を吸い込む。はげしく暴れまわるように脈うつ心臓をおちつかせるように。胸があつくなるのを感じながら、精気こめた息を吐く。
「神官さま…」
「次の矢はすぐには来ない。俺がみっつ数字を数えたらすぐに馬車を走らせろ」
いっしゅん、ばかなことをしているかもしれないという考えが頭をよぎる。けれど、馬車に乗り合わせた年若い商人の顔を見、せまりくるツノオオカミの爪音を聞き、そのためらいは霧散した。
「ひとつ…」
アルヒはすばやく幌布をよじ登る。そして親指と人差し指でつまんだ霊気をよじりあわせて、霊気のこよりを作る。
「ふたつ」
こよりを丸め、それが手のひらにおさまるほどの玉になったのを見て、アルヒはその玉から垂れた糸を持ち直してふりまわした。玉は意志持った生き物のように上空へとびあがり、弧を描いて背の高い針葉樹にからまりつく。その手応えを感じたアルヒは覚悟を決めた。
「みっつっ!」
アルヒが跳躍する。それと同時に御者は馬を走らせた。
宙に踊った体を、腕にからませた糸が強く懸崖のさらなる上の喬木へと引きよせる。下からつぶさにその様子を見ていた者があれば、アルヒが木に吸い込まれたようにも見えただろう。
目前に樹皮を尖らせた太い幹がせまり、アルヒは空中で体勢を変えた。幹を力いっぱいに蹴り、さらに空中へとその身をはなつ。
足したに見える峠には、大気のみならず木々や動物たちをも構成する無数の編み目が見えていた。そして、森に交わらない人間たちのもつ編み目が、弓を手にぼうぜんとこちらを見上げているのがわかる。
いちか、ばちか、だった。
踏み場にした針葉樹を構成する編み目を、アルヒは指に絡ませた糸でもって断ち切る。
喬木は一度はねあがり、根本から横倒しになる。そのまま斜面を転がり落ち、ひそんでいた者たちに襲いかかった。
街道のツノオオカミも異変を感じたのだろう。つんのめって立ち止まると、あっさりときびすを返して駆け去っていった。追われていたしんがりの護衛もこれ幸いと距離を広げる。
襲撃者たちをけちらし灌木を巻き込んで転がりすすんだ丸太はそのまま誰もが背をむけた街道へと落ちて行った。
ドスンと腹にひびく音をたてて丸太は突き刺さるように落ち、地鳴りとともに倒れる。
アルヒは近くの木のたわんだ木枝にぶらさがりながら、それを呆然と見ていた。
糸の結び方を学んだとき、切れやすい目には気をつけるように教わった。とはいえ、その切れやすい目を糸で「切ってみた」ことははじめてだ。
辺りは狂乱のあととは思えないほどに静まりかえっていた。木をつたってそっと街道に降りたったアルヒは、丸太の下敷きに人もけものも下敷きになっていないのをのぞき込んで確認し、安堵の息をつく。
さあ早いところ駆け去った隊商に合流しよう、と顔をあげようとしたそのとき背後に風を切る音が生じ、アルヒはとっさにふりむいた。白刃がひらめくのを目の端に見て、考えるよりもさきにアルヒは地にふせる。
頭上すれすれを切っ先が通り過ぎる。その刃を握りしめた目もと以外を布で隠した者は、すぐに刃を持ち直してアルヒへ振り下ろした。
地面を転がりのがれたアルヒは、つづいて振るわれる斬撃を身をひるがえすことで避ける。そのうちに追い詰められ、気がつけばかかとは山道の終端、浮石を踏んでいた。あと一歩後ずされば…あるいはかかとに全体重がこもれば、アルヒは谷底の闇の餌食になる。
あえてとびおりようか、それともとっさのところを避けて相手を突き落とすことを考えるべきか、思案するいとまも与えず襲撃者は刃を突き出す。が、すんでのところで駆けつけた何者かに襲撃者はふっとばされた。
手から落ちた刃がぐるぐると回転しながらすべってそのまま谷底へ落ちていく。襲撃者に体当たりしたのは、暗い色の衣を身にまとう、やけに顔だちのととのった者だ。たしかにどこかで見た…
「何をしている!こちらへ」
あっ、と思う間もなく、アルヒのかかとが踏んでいた浮石は足場を崩しはじめた。崩れはじめればすぐだった。踏み出した足も地面をもろく失い、アルヒの体は谷底へ落ちていく…その腕を、紺の衣の人物はがっしりと掴んだ、
その腕は男ひとりの体重をささえるにはあまりにも細い。苦悶の汗をじっとりと浮かべながら、アルヒを引っぱり上げようと苦心する。
一房をのぞいて髪を短くし、その一房を編み込んでいる。そして白目の面積の少ない灰青色のひとみ。アルヒはその顔を知っている。それは…あの日、隠し宮にあらわれた闖入者の顔、そのものだった。
「手をはなせ…」
アルヒは困惑しながら言う。 「君まで落ちてしまうぞ」
「お前ごとき死んでもかまわない。だが、テロス様がお前との会話を望まれた。ここで果てられては困る」
「うしろ!」
端正な顔に緊張がはしり、背後をあおぎ見る。
湖面よりもなお冷たいひとみでふたりを見下ろす襲撃者が、勝ち誇ってそこにたたずんでいた。
ほどなくして、ふたつの体が谷底へ投げ出される…。




