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紡ぎ人アルヒ  作者: 大森亜澄
第三章 御子にまつわるもの
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二. 分かちがたい『他人』

 案の定、アルヒはよくは眠れなかった。なんどかまどろみはしたが、そのつど外を走るけものや風があばら家を体当たりをするささいな音で覚醒することをくりかえし、とうとう明け方にさじを投げてしまった。


 一方でアルヒを見ておくとアイレに宣言したノーシは心地良さげに横になって寝息をたてている。そのノーシを起こさないよう、板の間をきしませながらもそっとアルヒは外へとすべり出た。


 朝つゆに洗い出されたように、森のなかは清浄な空気にみちていた。無数の小鳥が頭上を飛び交い、今日も無事に朝日をおがめたことをよろこびうたっている。

 アルヒはうんと伸びをした。関節をほぐし、その場で軽い跳躍もする。山ごもりの修行中に目覚めた朝はいつもこうして体をならしたものだ。


 すべてが夢のなかにあるように浮足立っている今は、そうしていると今まさによく慣れた修行の日の朝を迎えているように錯覚する。それでも現実に、アルヒをとりまく日常はそのすがたを変えて、盤石に思われた足場はそのかたちをなくそうとしている。


 厳しい修行のさなかでも宮主の後継者を守ろうとする者たちから分け隔たれていることが、その第一だった。アルヒのそばには、今は別の主君を持つ別の目的を持つ者がのんきに眠りこくるのみだ。それが危ういことなのか、それとも好機といえるのかは、判断しかねることだった。


 ふいに、アルヒは森の朝の空気が端から様相を変えていくことを肌で感じた。遠くの小鳥が何羽もあわてて飛び立つのを見る。そして、規則的な馬を駆る音。


 単騎であること、そしてその音は昨晩焼け出されたセト・ラツトの玄関庄とは逆方向から向かい来ることで、アルヒは警戒より好奇心を優先する気になった。馬上の人物に見あらわされないよう木かげに入りながら、蹄の音へ近づいていく。


「…近くにいるみたいだ。間に合った」


 ひとりごとにしては朗々と、低い女性の声が高みからひびいた。間違いなく馬上の人物の発した声だ。それが聞き覚えのある声だったため、思わずアルヒは進み出て声をかけた。


「ラミ。ラミなのか」


 馬足をゆるめるよう馬をねぎらいおだてながら、こちらに近づく馬上の人物はまさしく、赤毛に赤茶色のひとみをもつラミだった。


「よかった、若君が発たれるまえで。いろいろとお伝えしなくてはと思って」




 ラミをともなってあばら家に戻ると、ノーシはいつの間にか起き上がっていた。まるで夜通し起きて番をしていたかのような風情でいるが、実際のところを知るアルヒは、それに合わせてやる思いやりを見せることにした。


「やあ、このような荒れ果てた場所でも口寄士くちよせしさまは女神のようにまばゆくいらっしゃるのですね。かしずき帰依したいばかりです」

「おはよう。ノーシ殿も変わりないようでなによりだ。あと、私はまだ見習いの身だよ」


 余裕めかして流されたことにめげないノーシは、それでも胸をはってほこりをよくよくぬぐった板の間にうやうやしくラミを通した。


 口寄士くちよせし見習いラミは夜間中馬を走らせていたということもあって髪を汗でしめらせ目もとに色濃い疲労の色をうかべてはいたが、そんなすがたですらどこかあだっぽく見える女性だった。


 アルヒが板の間にあがるのを見て、ラミはそのあとにつづいた。アルヒが腰をおちつけるのを見はからって腰をおろし、おもむろにラミは口を開いた。


「さて、アルヒ様も昨晩のうちにアイレに聞いたかと思いますが」

「父が…宮主が崩御した、と」


 ラミはひとみを伏せ、お悔やみの言葉を口にした。アルヒも型にはまった返礼をする。


「お立場があるとはいえ肉親を亡くされたばかりのかたに、このような話をする無礼をおゆるしください」

「気にすることはない。…それで、伝えたいこととは」

「その前に。具体的には、昨晩アイレになんと聞いたのです」


 昨晩のひさしの下で目ばかりを光らせていたセラタのすがたが思い出され、アルヒは戸口に目をやる。


「父が暗殺されたのではないかとアイレは言っていました」


 ラミは大仰に首をふり、肩をおとした。


「あの子は先走りすぎだ」

「あなたに聞いたと、言っていましたよ」

「あくまでそういう憶測がある、という話です。…もしも宮主ほどの者に手をかけることができるとすれば口寄士くちよせしの一派がかかわっている可能性が高いと言ったまでです。それだとしても、口寄士くちよせしたちが影法師を使うのはよくよくのこと」

「アイレは…」


 くちびるを湿しながら、アルヒは記憶のなかのアイレを思い描いた。今にも泣き出して取り乱しそうなアイレのぼやけた顔を。


「セラタの無実を、その場で晴らしたかったのでしょう」


 セラタはそれに気がついていただろうか。


 セラタを信じたい気持ちは、もちろんアルヒにもある。だからこそ、すべてを背負いこみ多くを語らなかったセラタに裏切られたように感じたのも事実だった。その気持ちをセラタにぶつけるのは間違いだったと、今でははっきりとわかる。セラタがすでにアルヒに背を向け出ていってしまった今となってはすべてがむなしかった。


「まあ…私がしに来たのは犯人さがしの話ではないんです」


 色を正すように髪に触れていた手をひざの上に置くと、ラミはアルヒを見すえて顎を引いた。


「私は、忠告をしに来たのです」

「忠告…というと」

口寄士くちよせしのなかには、この件を若君の手引だと声高にうったえる者がおります」

「…は?」


 思いがけず口から出た間の抜けた声に、自分でも信じられないほど度をうしなっていることを耳に聞く。


口寄士くちよせしたちは一枚岩ではないということは、ご存じですか」


 アルヒは何度もうなづいてこたえる。


「もとから口寄士くちよせしたちには考えのすれちがいからあるていどの分団がありました。それが、すべての口寄士くちよせしたちに影君の存在の公表をしたことにより、はっきりと会派がわかれるようになっていったのです。

 …その派閥を大きくわけるとですね…まずは宮と清浄な野山でただしい教育をほどこされたアルヒ様を正当な後継にとのぞむ若君派。厳しい世を生き抜き、”サズカリモノ”として神聖視される御妹君を押す、影君派。そしてこのふたりを争わせることにあくまでこだわる規範派のみっつです。

 しかし、宮主が公式に後継と名指しをしているのはアルヒ様のみです。御妹君はまだ、宮外には秘されるべき存在…影君なわけなのですから。

 おわかりでしょう。この折に宮主がお隠れになる事態が起きて、誰が一番得をするかは。たったひとり、お墨付きをもつアルヒ様です」


 ぐにゃりと、自分をささえていた世界の重力がくるってしまったように感じた。ずいぶんと面積をせばめたように感じていた足場は、その想像よりもはるかに小さくきわどい形になってしまっている。


 情をまじえず淡々と語るラミの声が、洞のなかで反響しているように感じた。


「まだ民には宮主崩御のしらせは公表されておりませんが、宮内で隠しおおせるのは時間の問題でしょう」

「俺は…今すぐにでも宮にもどるべきなのか?」


 ラミは首を横に振った。


「若君の宮内での体制が整うまでは、今少し様子を見るべきかと。本日の夕に影君が後継へ名乗りをあげるとのことです」

「ならば今すべきことは」


「メント・セラタと手を切ることです」 ぴしゃりと言い放ったラミの言葉にほおをはられたように、アルヒは目を見開いた。


「メント・セラタがなによりもあなたに忠義を寄せていること、若君自身も彼に信頼を寄せていることは宮中でも知れたことです。それはある意味、あなたがたの教育をつとめた者たちがそうしむけた節もありますが…彼の影の者としての特権、そして能力は疑いにかけられてしかるべきものです。あの子が思いつめて宮主を手にかけたのだと誰が言い出してもおかしくはない。

 昨晩も、ここに来ましたね。あの子は口寄士くちよせしの紐付きですからどこで何をしていようと気取られるのですよ」


 なにかを、言いたかった。なにか、セラタを庇い立てする言葉を…それなのに、渇ききった口腔はなんの言葉もすべらせはしなかった。


 浮かんだのは、ミリクに刃を向けたセラタのすがただ。あのときアルヒが止めなければミリクはのどぶえを裂かれて絶命していただろう。それをセラタはためらいなく実行しようとした。


 セラタの言うとおり、宮主をあやめたのはセラタじゃないのかもしれない。けれどもしも宮主が…ある日の父が、息子を廃嫡し、影君をおしあげると宣言することがあれば、その凶刃を宮主にも向けたのかもしれない。そうアルヒに思わせるものがあるのも、たしかだった。


 だとしても。


「おのれの保身のために幼なじみを切り捨てるというのか」

「若君、セラタ殿はあくまで臣下です。アイレも、シーヤ殿もそうです。あなたはメント家の者を気にかけすぎるけれど、あなたの肉親は崩御された宮主、そして御妹君です」

「殺し殺される間柄だ」

「肉親というのは、同じ網のなかにいる逃げるのがむずかしい他人のことを言うのです。そのとおり、若君は肉親に背を向ければうしろから刺されるさだめです。その一方で、正当さを認めさせることさえできれば、すべてをとりもどすこともできましょう」


 砂の上に落とした餅をつまんだとき、それが落とす前の餅と同じもののはずがない。信頼が、それだ。ただ、セラタを避けることは…あるいはセラタを守ることにもなるとも言えた。


 痛むこめかみをおさえ、アルヒは血ののぼりかけた頭に涼やかな酸素を送ることにつとめた。


「ラミは、どの派閥に属しているんだ?」

「私の師は、規範派に同調するように見せながら、その実さらなる派閥を形成しつつあります。私はさしづめその理想のための使い走りです。そうですね…儀式を行うことを目的としています。古い神を呼ぶ儀式を」


 手指を組んだラミは上目づかいでそっとアルヒを見つめた。


「儀式がいつでもそうであるように…なすべきことが大きいほど、要求されるにえはつきものとされるのですよ」




 昼にまわるのも待たず、ラミは早々に馬を駆って出ていった。夜通し駆け抜けたばかりだろうに、馬に登るそのしぐさはしなやかなものだった。


 名残おしそうにその背を見送ったノーシはアルヒにむきなおるとその顔をのぞきこむ。


「昨日はあまり寝ていないのでしょう。よくないですよ、睡眠不足は思考をにぶらせます」

「ノーシさんはどうしてああも眠れるんですか」


 嫌味がましい言い方になってしまったが、ノーシは別段気を悪くした様子もなかった。


「まあ、なるようにしかならないからでしょう。進退をせまられたとき、よりよいこたえを出すために眠ります」

「よりよい、こたえ…」


 ラミとの会話をうしろで黙って聞いていたノーシもまた、肉親にうとまれた人だった。家族となった人からも、みずからその絆を断つ選択をしている。


「ノーシは、自分のさだめを呪ったことは?」

「そりゃありますよ。でも、自分はそのさだめの上を行ったんだと自負しています。今はよい主君にもめぐまれ充実した毎日にありますからね」

「遠い異国のお家騒動にまきこまれても、同じようにそう言えるのか」

「クー様を退屈させないみやげ話じゃないですか」


 その言葉のてらいのなさに、セト・ラツトの館で薬を含まされてからこちらアルヒの中でよどんでいたものが出口を見つけられた気がした。歯型がつくほど噛み締めた下唇を湿らせて、アルヒはノーシにむきあう。


「迷惑ついでに、ノーシにつきあってもらいたい場所がある」


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