つきはてぬもの
大地にうちつける雨音がしめっぽく、ぬばたまの闇空へ吸い込まれていく。男がひとり、結い上げたまげが濡れるのもいとわずにうずくまっていた。
膝の上にかき抱いた少女を氷雨から守るようにゆすりあげ、身をよせるが、投げ出されたその白い手足は応えるどころか男に体温すらかえそうとしない。少女のうつろに開かれた紫水晶のひとみはかつての煌めきはなく、男の必死の形相もうつしてはいない。
少女の肢体をなめつくしてつたい落ちる温かい血液が、生気そのものを流し落とそうとしていた。
少女と同じ色のひとみをもつ男は、しきりに腕のなかの少女の名前を呼んでいた。死にとらわれたまま、今まさに連れ去られようとしている少女を引きよせる声はそのかいもなく、夜半のなさけ容赦ない雨足にかき消されていった。
男の心が今まさに折れようとしていたそのとき、背後に雨をふくんだ土を踏みにじる音が生じた。
男はふりかえらなかった。深い絶望が男を目隠しし、それが追手であるのならいっそ自分の息の根を今すぐ止めてくれとすら思った。妹ひとり救うことのできない自分の生になど、存在する価値もないと。
「その娘を、救いたいか?」
その言葉に、男ははじかれたように顔を上げる。ふりかえるとそこには、つりさげ式の火袋をたずさえた黒衣の姿があった。
低くかすれた声だが、大人の男の声ではなかった。編成前の少年の声とも、いかめしい女の声ともとれる。笠を深くかぶり表情までは見てとれないが、その立ち姿は成人男性とみなすには小柄でたよりなかった。
黒衣の者が、火袋をたずさえた右手をつき出す。暗夜に照らし出された少女を抱いた男は、端正な顔だちを深い絶望にゆがめ、一縷の望みにも追いすがるようなまなざしで黒衣を見上げていた。
「お前の妹のいのちは、消えかかっている」
はるか高くから言葉を落とすように、黒衣は口をひらく。
「いかなる犠牲をもいとわないと言うのなら、そのいのちにふたたび火をともすこともできるのかもしれない」
「お前はいったい、何者なんだ」
疑念とかすかな畏怖の声に、黒衣はうすく笑ってみせた。
「この国のかの力を神の恩恵と呼ぶのなら、私のこの力は、この力をあつかうこの私は、死に神と呼ぶべきものかもしれない。さあ、選ぶといい。そうやって、あえて妹に死をあたえるのか。それとも、死に神におのが魂をあけわたすのか」
男がつばを飲みくだす。いっしゅんの逡巡はあったが、手にぬるりとした感触をもたらす血液がそれを無に変えた。
「助けて…くれ…たのむ!い、妹を救えるというのなら、俺は、どうなってもかまわない!」
なかばせき込むようにして言うのを、黒衣は口もとをひきしめて聞きとげた。
「いいだろう。ただし、条件がある」
「なんでも、なんでもいい!妹のいのちを、救えると、いうのなら…!」
「そう急くな。私が欲するもの、それは」
空に雷光がひらめいた。まばゆい光がひととき、男と黒衣の向き合ったりんかくを浮かび上がらせる。
雨はいっそう、強くなるようだった。