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木下さんのお守り

作者: 上野羽美

 短大を出て就職してから早二年。学生時代を愛しく思う。

 

 思えば中学校なり高校なり大学なり、行けば必ず友達がいた。嫌だ嫌だと思っていても休み時間には他愛ない話ができる人がいて時間があった。

 

 有意義に使いこなしていなかっただけで時間はたくさんあった。学校、合間合間のバイト。遊んでる時間がないと悲観しつつ思い出をたくさん作ることができた。胸が高鳴るような出会いさえもあった。


 梅雨の明けない七月のとある一日。いつもと同じ雨の一日。

 夜九時、仕事の帰り、信号待ち。音を立ててフロントガラスを叩く雨をワイパーが拭う。数秒持たずしてフロントガラスに水滴が溜まる。ワイパーは忙しく動きそれを拭う。


 私の毎日もきっとこんな感じだ。降り注ぐようなストレス。合間合間の休日でそれを拭って、次の日には埃のように積みあがっていくばかり。


 ため息をついてから青になった信号に向かってアクセルを踏む。ラジオからは名前すら聞いたことのないアーティストが静かな曲調の歌を歌っている。


「まぁ、でももう少し頑張ればみんなとも会えるしね」


 自分に言い聞かせるようにして独り言をつぶやいて車の通りの少ない家路を走らせた。





 『明美:じゃああと二週間、お互い頑張ろうね!』


 家に帰ってベッドの上に寝転んでトークアプリに表示されたグループの会話をタップして会話履歴を辿る。

 久々に、と言っても二か月ぶりだけど高校の友達と会うことになった。場所は県内でも随一の大きさを誇るアウトレット。場所が場所なだけにここぞという時しか行けないので今までも片手で数えられる程度の回数しか行っていない。


 メンバーは私と明美と由乃。高校の時からのいわゆる「いつメン」だった。


 高校のころから毎日会っていた私たちが今では月に一回会えるかどうかというところまで来てしまった。社会人の多忙さを実感する。

 先月はスケジュールが合わなかったのでなおさら楽しみが増している。あと二週間があと十日になって、あと一週間があと五日になって、とうとうあと三日というところまで来ている。明日以降の連勤を乗り切れば電車に乗ってアウトレットにみんなで買い物に来ている私になれるのだ。

 

 興奮を抑えてスマホの時刻表示を見て早々に就寝態勢に入る。一人暮らしを始めた今、遅刻しても起こしてくれる人はいない。電気を消してアラームがきちんとセットされているかどうかを確認しようとした途端、私の手元でスマホが震えた。


 明美からの着信だった。


「もしもし、ごめん美咲・・!もう寝る時間だったよね」


「ううん全然大丈夫だよ。なにかあったの?」


「うん。アウトレットの話なんだけどさ・・ちょっとなんていうか・・さ」


 言葉尻を濁す明美に『もしかして中止になったわけじゃないよね』という心配が脳裏をよぎる。


「メンバーが一人増えそうなの。どうしても一緒に行きたいって」


「ああそうなんだ。別に、私は全然かまわないけど・・誰?大学の友達とか?」


「ううん。高校の時の。ほら、木下さんって覚えてる・・?確か三年生の時クラスが一緒だったじゃない?」


 名前を聞いて十数秒ほどでクラスの女子の一人一人をサーっと思い出していくと最後の方で彼女の顔に行き当たった。


「・・ああ!いたね!・・でも、どうして急に?」


「さぁ・・?由乃が木下さんと大学一緒なんだけどさ、たまたまその話したら付いていきたいって言ったらしいよ」


「そうなんだ。まぁいいんじゃない?特に話すことはないんだけどね」


「言えてる。大学でも高校のときみたいに物静かな感じらしいから存在に気づかないで終わっちゃうかも」


「明美ちょっとそれは言い過ぎー!」


「だって実際そんな感じじゃん!まぁ、でもそういうことだから当日はよろしくね。美咲も遅刻しないようにさっさと寝なね」


「うん分かった。じゃあお休み」


 液晶の発光を止めて、天井の小さい電気の点いた照明を見上げながら彼女の事を思い出す。


 木下さんはクラスに一人はいる静かな女の子で、特徴だとかそういうのを強いてあげるとするならオカルト趣味のある子だった。・・こんなことを一番最初に特徴として挙げたのは、彼女がきっとロングヘアーだからだとか、日に焼けたことが無いんじゃないかってくらいに白い肌のせいだと思う。オカルト趣味に関してはあくまで彼女と中学校が一緒だった友達からの噂程度だったけれど、確かに心霊番組があった日の翌日には珍しくほかの女子の会話に混ざって感想を言っていた姿も見かけた。

 

 私が彼女と直接会話した記憶はほとんどない。きっと当日も由乃の近くに立っているだけだろう。


 一つ大きなあくびをして私は眠りについた。







「美咲久々ー!と言っても二か月ぶりなんですけど!」


「でも十分久々でしょ!今日は晴れてよかったね!由乃たちももうすぐ来るって」


 休日のターミナル駅はやっぱり人で溢れていて、私と明美は由乃たちの到着をキョロキョロしながら待つ。北改札からか、それとも南改札か。それぞれの改札口からぞろぞろと溢れる人たちを目で追っていた。


「あ、あれじゃない?」


 明美の指さす方向には見慣れた姿の由乃と、久々に見かけた木下さんの姿があった。

 明美は由乃を見つけると子供みたいに駆けだす。


「おはよー!元気してた!?」


「半々くらい!」


「だよねー。私も半々くらい。むしろ元気じゃない方が強かったよ」


「でも今日は元気?」


「当たり前やん!」


 いつもの調子で挨拶を交わす二人から少しだけ離れたところで立つ木下さんに挨拶をする。


「・・木下さんも、久しぶり」


「うん、久しぶり前田さん」


 私の苗字を呼んで小さな声であいさつを返す木下さん。彼女は高校時代いつも下を向いていたので初めて私と目を合わせてくれたようにさえ思う。

 それが理由なのかは分からないけど、彼女の瞳はとてもきれいに見えた。


 アウトレットまではターミナル駅から出ているバスを使う。電車でも行けないことはないけれど時間はバスで行く方が圧倒的に早かった。

 

 案の定、由乃の隣に座った木下さんは窓の外を眺めたままで、私たちの会話には混ざろうとしなかった。それでもたまに私は木下さんと目が合って、そのたびに声すらかけられない私はせめてもと笑顔で返す。彼女は静かに頷いて窓の外へと視線を戻した。






「これ可愛くない?」


「あぁ結構可愛いかも。でもこんなの部屋に置いてあったらどんどん数が増えるか他の置物に埋もれるかのどっちかじゃない?明美は後者だけど」


「えーそんなことないよ!」


「じゃあ買えば?」


「うーん・・結構真剣に悩んでる」


 外国の民芸品を揃えた雑貨屋。すでにアウトレットに来て三時間が経っている。木下さんはやっぱりほとんどしゃべらないで、今も興味があるんだか無いんだか、人形を手にとっては棚に戻している。


「木下さんこういうのとか好き?ほら、幸運を呼ぶ人形だって」


「ああ・・うん。でも、幸運だとかそういうのは私には信じられないし」


「・・じゃあこれは?ちょっと可愛くなくなるけど魔除けだって」


 少し気合の入ったポップとともに置かれていた人形を木下さんに渡す。長いひげに歯をむき出しにしたおじさんの人形だった。きっと「うがー」って小さい子を威嚇しているに違いない。昔近所にそんなおじさんが住んでいた記憶がある。


「・・これは前田さんが買いなよ」


 私は木下さんが冗談を言ってみせたことに驚き、同時にそれが嬉しかった。


「えー、だって可愛くないしなぁ・・それに魔除けよりも私は幸運を呼んでくれる方が良いな」


「・・魔除けは必要だよ。これじゃちょっと心もとないけど」


 そういって私を見ながら木下さんは人形を元に戻した。木下さんの丸くて綺麗な瞳は別の何かを言いたそうにも見えた。





 午後三時、曇り空から時折日差しが差している。ひょっとしたらこのあと一雨あるかもしれない。テラスに出た私を包む湿気が雨の予感を告げていた。


 木下さんは歩き疲れたのかこの場所で少し休むと言った。


「私はここにいるから、その間みんなでお店周ってて大丈夫だから」


 私たちを気遣ってくれたのか静かに笑った木下さんを見て、明美たちと顔を見合わせる。

 いくら話をしないからといってここに一人というのもなんだか申し訳ない。けれども本人がそう言っているのだから気にせずに行くべきかもしれない。

 言葉には出さなかったけれど明美も由乃も私と同じことを考えていただろう。


「明美はなんか見たい店はあった?」


「・・まぁ数件あるけど」


「由乃は?」


「私も、ちょっと悩んでたやつ買おうかなって。美咲は?」


「・・・・」

 

 ペットボトルのお茶を飲んで生暖かい微風にあてられる木下さんを一瞥する。


「・・私も疲れちゃったから木下さんと一緒にここで待ってるよ。とりあえずここにいるから見てきて大丈夫だよ」


「本当?じゃあ遠慮なく行っちゃうけど?」


「うん。全然大丈夫だから。移動するときはまた連絡するね」


「・・分かった。じゃあちょっと行ってくるねー」


 店内に入る二人を見送ってから振り返るとテーブルに座る木下さんと目が合った。


「・・残るの?」


「あ、うん。別に気にしなくていいよ。私も疲れちゃっただけだからさ」


「・・そうなんだ」


 私はバッグから小さいペットボトルに入ったミネラルウォーターで喉を湿らす。

 何故残ろうと思ったのか自分でもわからないけど、疲れていたのは本当だ。日に当てられていた白い椅子はとても暑かったので建物の影の下にあった椅子に座る。今度は大丈夫そうだ。


「・・・あの」


「ん、どうしたの?」


 珍しく木下さんから私に話しかけてきた。できるだけ好意的に接しようと意識した結果だろうか。心の中でガッツポーズをとる私がいた。


「・・私の事覚えてる?」


「・・え、ああ、うん、もちろん、覚えてるよ」


 何を今更・・。そう思ったのが顔に出てしまったのか木下さんは慌てて言い直した。


「あの、えっとごめん。そうじゃなくって、私がどんな人だったかってこと。ほら、なんか・・自分で言うのもなんだけど不思議ちゃん・・みたいなところあったでしょ?」


「ぶっ」 


 木下さんの言葉に思わず吹き出して笑ってしまった。


「あはは・・!!ごめん・・!なんていうかその、木下さんでもそんなこと言うんだって・・!!」


「えへへ・・。いいの、別に、そういう風な人間だってのは自分でもわかってたから・・それでね」


 木下さんは自分の前で手を組み真剣な面持ちで続けた。


「・・私がそういうオカルト少女だってこと前提で聞いてもらいたい話があるの。・・本当に一対一で話せればって思ってたから前田さんが残っててくれてよかった」


「そうなんだ・・!まさか・・そのために今日私たちと一緒にここまで来たの・・?」


「そう」


 未だに笑い続ける私に木下さんははっきりと言い切った。私の笑いもようやく止まる。


「だから変な話になるのは前提で聞いてほしいの。でも前田さんを怖がらせようとか、そういう事を思って話すわけじゃないってことも分かってほしい。結構・・その、命にかかわることかもしれないから」


 木下さんの瞳はまた私をまっすぐ見つめていて、それが冗談でないことを知る。


「・・・・どういうこと?」


「・・まず質問がいくつかあるから、ゆっくりでいいから答えてね」


「・・分かった」


 急に流暢に喋りだす木下さん。私の手には暑さ以外の理由で大量の汗が握られていた。


「ここ最近・・一応ここ数年のことも含めてでいいの。どこか心霊スポットとかいわくがありそうな場所に行った記憶はない?」


 水を一口飲んで考える。数年前も考慮に入れるなら一年半前に短大の友達と心霊スポットに行ったことがあった。私は戸惑いながらも首を縦に振って答える。


「・・・・・そう」


 木下さんの丸い瞳は私を見ていたけれど、私の目は見ていなかった。


「今日まで霊的な現象は・・何もなかったよね?」


「うん・・。とりあえずは何もなかった」


「・・・じゃあ何が目的なんだろう」


 木下さんは小さい声で呟いた。


「・・ひょっとして憑いてる?」


「・・・正直に言っても良い?」


「・・・・うん」


 頷いた私に木下さんは両手の指を七本立てる。


「・・・七?」


「・・前田さんに憑いてる霊の数」


 その一言に背筋が凍りついて、私を覆っていた生暖かい空気が一瞬でどこかに吹き飛んだ。


「嘘でしょ・・?」


 木下さんはかぶりを振って答える。


「・・悪いけど、本当。実は数か月前に町で前田さんを見かけてね。でも最初は見えなかった。前田さんの周りを白い靄が覆っていたの。普段からそういう人はよく見かけるんだけど、ここまで靄の濃い人はなかなかいなかったから。それで目を凝らしてよく見てみたら前田さんだった」


「それで・・私に・・七体も・・?でも心霊スポットに行ったのは一年半も前の話だよ?その間はまるで何も起きなかった」


「・・それが問題かもしれないの。この人たちの目的が分からない。あんまり言いたくない事なんだけど、ここまで影の強い霊を、それも多数憑けてるってことは・・命にかかわってくるようなことかもしれない」


 口を開けたまま私はしばらく黙り込んでいた。いくら喉を潤しても一瞬で乾いてしまった。


「・・・霊能者とかに相談するべき?」


「・・それが一番かもしれない」


 そうは言っても霊能者だなんだといってすぐに行動に移せるわけもなく眉間にしわをよせたまま小さなペットボトルを両手で握りしめていた。


「・・・もしアレなようだったら・・あんまりおすすめはしないけど・・私も・・」


「・・木下さんが何とかしてくれるの!?」


 それは藁にもすがる思いの私に流れてきた藁だった。


「あんまりおすすめはできないよ・・?」


「で、でも・・なんとかできるんでしょ?」


「・・うん。まぁ、少し手荒なところもあるけど、ちゃんと除けてあげられる」


「じゃあお願い・・!良かった木下さんがいて・・!あとでお礼はするから」


「そんな・・お礼なんて大丈夫だよ・・!それに・・私の方法はちょっと怖い思いをさせるかもしれないの。前田さんにとって」


「・・それって」


「・・・詳しく説明するね」


 そう言って木下さんは赤色のお守りを白いテーブルの上に置いた。


「これはもう必要な処置をすべて終えた後のお守り。簡単に言えば前田さんは毎晩これを手にもって寝ていればいいの。枕元に置いてあっても大丈夫だと思うけど、とりあえず寝室の、自分の近くに置いておいてほしいの」


「・・そうなんだ。本当に何かのお守りみたいだね」


「・・正確にはお守りじゃないんだけどね。だからこそ今までなんともなかった霊障が急に起こるかもしれない。このお守りは憑いている霊を祓ってくれる力はあるんだけどその時に霊を刺激しちゃうの」


「・・それって」


「でも大丈夫。前田さんに実害はないから。霊障に関してはともかく、お守りのある前田さん本人には霊は干渉できない。なにかあったときはいつでも私に連絡して。私も毎朝電話はするから。・・その・・迷惑じゃ無ければ」


「迷惑だなんて・・そんなとんでもないよ」


 私はしばらく考え込んで木下さんの目を見て口を開いた。


「うん。・・分かったやるよ。ちょっと霊障は怖いけど、木下さんがいてくれるなら私、きっと耐えてみせるから」


「・・本当?・・じゃあ今日から始める?」


「うん。・・なにかあったらすぐ連絡はするよ」


「うん。私もいつでも前田さんの傍にいるつもりで協力するから」


 木下さんは私の手にお守りを乗せて「一緒に頑張ろうね」と言って優しい笑みを浮かべていた。


 それから私たちは何もなかったかのように明美たちと合流して暗くなるまでアウトレットにいた。

 帰りのバスでは何度か木下さんと目があった。正直、憑いている霊の事も、除霊の事も不安はたくさんあってそれを察してくれているのか木下さんは目を合わせるたびに静かに微笑んでくれた。







『今日はおつかれー!木下さんとなんかあったの?』


 トークアプリの通知を開くと明美から連絡が入っていた。


『おつかれー。別に変ったことはないけど、なんで?』


『だって結構仲良さそうだったしさ』


『えへへ・・私とは結構話してくれたんだ』


『ひゅーひゅー』


『なにそれ笑』


『連絡先交換したの?』


『一応ねー。っていうか木下さんは女の子だからね!明美なんだか男と勘違いしてない!?』


『そんなことないよ!別に女の子同士だからって私は応援してあげるけど』


『・・おこだよ?』


『怖いからおこならせめてスタンプなり顔文字なり使ってよ・・』


 明美との会話に少しだけ笑ってベッドの上に寝転ぶ。今日一日歩き通しで疲れた四肢は溶けるようにベッドの上に吸い込まれてまぶたが自然に降りてきた。


「・・いっけない」


 危うくお守りの事を忘れそうになった。普段ならそのまま寝てしまう体を起こして、バッグから赤いお守りを握ってベッドに再び身を預ける。


 頭上には小さな電気。薄暗い室内で母からもらった目覚まし時計の秒針の音がやけに大きく響いていた。


「・・電気つけたほうがいいかな」


 一人暮らしには考え物の光熱費のことが頭によぎる。ああ、貧乏性。

 仮に明かりを点けたとして霊障とやらはどうしても私に降り注ぐのだろう。見える方が怖いのか、見えない方が怖いのか。・・・寝てしまう方が一番だろうか。


 できるだけ余計なことは考えずに、いつも通りに小さい明かりを点けたまま眠ることにした。




 


 気づいたら朝になっていた。アラームで目が覚めて私は心の底から安堵する。携帯の画面にはアラームの表示と木下さんからの通知が入っていた。


『起きたら電話してね』


 通知は五時過ぎに届いており、随分木下さんは朝早いんだなぁと感心しながら彼女に電話をかける。


「・・・もしもし?木下さん?」


「おはよう前田さん・・!昨日は大丈夫だった?」


「おかげさまで疲れて寝ちゃったからなんにもなかったよ。あっても気づかなかったかも」


「あははそうなんだ。・・そうだね、最初のうちはほとんど何もないに等しいかもしれない。でも、ごめんね。不安を煽るわけじゃないんだけど、これからは昨日のようにはいかないかもしれないの」


「・・やっぱりそうなんだ」


「・・でも大丈夫だから。私がついてる」


「そうだよね。私も木下さんのお守りの事信頼してるから」


「ありがとう・・。じゃあ明日も電話してくれて大丈夫だから。他にも何かあったらいつでも電話頂戴ね」


「じゃあまた明日」木下さんはそう言ったあと、電話を切る前に一言だけ私を励ましてくれた。


「大丈夫だよ。大丈夫だからね」







 今日は午後から雨が降った。夜になっても結局雨は止むこともなく帰宅したベッドの上の私に小さな雨音を提供している。

 今日は忘れずに赤いお守りを握って、それから小さな電気を点けたまままぶたを閉じた。


『・・これからは昨日のようにはいかないかもしれないの』


 木下さんの言葉から察するにきっと霊障はこれから起こるのだろう。まだ二日目で何かが起こる気配もないのだけれど、明日は、明後日は・・。

 そんなことを考えてたら自分の心臓の音が大きくなって眠れなくなってしまった。


 心臓の音、秒針の音、小さな外の雨音が私の耳を労する。その音たちを聞き分けていることに気づいた私はどうかこれ以外の音が聞こえてしまわないようにお守りをギュッと握りしめた。


 パシッ


 不意に聞こえたその音に心臓が握りしめられたようにキツく拍動する。


 パシッ


 部屋のそこかしこから聞こえる乾いた音。去年やってた心霊番組ではラップ音だって言っていた気がする。・・・ああ、また余計なことを思い出した。

 考えてみれば今まで気づかなかっただけでこれくらいの家鳴りなら聞いたことはあるかもしれない。実家にいた時だってそうだった。これは聞き覚えがある。


 パシッ


 だからこれ以上何も考える必要はない。明日起きた時に木下さんに報告すればいい。


 ・・そう、木下さんに。


 私は彼女の「大丈夫だよ、大丈夫だからね」という一言を思い出すとなんだか急に緊張感が解けてそのまま眠りについてしまった。








「・・そっか。ラップ音が聞こえたんだね」


「・・うん。でも、木下さんの事思い出したら無事に眠れたよ」


「そうなんだありがとう・・」


 翌日、仕事に出る前に木下さんに連絡を入れる。目が覚めた後、私にはいくつかの質問が浮かんでいた。


「・・これからも酷くはなるんだよね」


「・・ごめんね。きっとそうなると思う」


「・・・・それはいつまで続くの?」


「・・・少なくとも一週間はかかるかもしれない。どこかで霊障のピークが来て、そこからだんだん治まっていく感じかな」


「ピークって・・その時にはどんなことが起こるの?」


「・・・程度にもよるんだけど、前田さんの場合は・・その・・周りに出るかもしれない」


 言葉を失った私に木下さんが続ける。


「でもこの前言った通りに前田さん本人に実害はないから。よく心霊番組でやってるような首を絞められたりだとか金縛りに遭うようなこともない。これが励ましになるかどうかは分からないけど・・でも私がついてるよ」


「うん。そうだよね、木下さんがついてるよね」


 私は目覚まし時計の時刻を確認して「そろそろ出るね」と告げる。木下さんは「いってらっしゃい」とあいさつをしてから最後にまた優しい声で言った。


「大丈夫だよ、大丈夫だからね」




 

 


 三日目。曖昧だった霊障はとうとうはっきり「霊障だ」と言える形で私の身に降り注いだ。

 

 帰宅して部屋のドアを開ける前に私はもうお守りを手にしていた。嫌な予感はしていた。確実に降り注ぐ霊障。もうそれは予感ではなかった。


 当たり前だけど部屋は静寂が隅々まで行きわたっていた。もしラップ音がしているならそれはそれで最悪なことだけれど静寂も私にとっては不気味以外の何物でもない。


 バッグを床に置く前にテレビをつけて気を紛らわす。


 それからカラスの行水とも呼べる速度でシャワーを浴びて、布団に入ってお守りを固く握りしめていた。もうテレビは点けっぱなしでいい。人の声が聞こえたらそれはテレビの中の会話だ。


 もう夜はいい。朝になってしまえ。


 私は手に持ったお守りを離すまいと握った手を枕の下にうずめて眠ることにした。


 


 目が覚めたら午前二時だった。時刻を確認するためにつけたスマホの明かりをすぐに消して布団に覆いかぶさってもらう。

 真っ暗な部屋の中、まどろむ瞳をこのまま眠りに誘うことだけを考える。普段ならすぐに二度寝が出来てしまうのに何故だろう。眠ることができない。

 

 今日はラップ音すら聞こえていない。静寂が染みわたる部屋のなか、鳴っているのは時計の秒針と自分の心臓だけだ。・・もう携帯のアラームで起きられるんだから目覚まし時計は押し入れに仕舞おう。

 今は音が怖くてしかたなかった。大きい音でかき消すか、余計な音は消してしまいたかった。小さな音が響き渡る真っ暗な部屋の中で私はあることに気づく。


「・・・・・あれ、テレビいつ消したんだっけ?」


 寝起きの低い声で呟いた途端、全身の鳥肌が立った。

 テレビだけじゃない。小さい明かりだって普段はつけているのに今日は消えている。私の目はもう完全に冴えてしまった。


 ガタガタガタ!!


 雨戸が音を立てて震える。布団の中にもぐって小さな悲鳴をあげた。

 部屋全体が揺れている様子もない。風の吹く音も聞こえない。無機質に雨戸が揺れている。地震でも強風でもない。


 パシッ!パシッ!!


 乾いたラップ音。すべての音の発生源はこの部屋からだ。確実に私にとりつく霊の仕業だ。


 そこから眠るのは困難を極めた。誰かが常に私を見ているような気がした。目を決して開けないようにして真夏の夜にタオルケットにうずまる。

 今この部屋には七人の霊が私を今にも襲わんと私の周りを取り囲んでいるのだ。


 お守りをギュッと握ると力がわいたような気がした。このお守りのおかげで霊たちは私に手出しができない。


「・・お願いだからあっちにいってよ」


 酷く長い夜だった。




 結局私はいつ眠ったのか分からないままアラーム音によって揺り起こされる。


「・・遅刻しなくてよかった」


 自分でも間の抜けたと思える言葉を呟いて寝起きの声で電話をかける。


「・・おはよう。・・・・とうとう来たよ。・・・霊障」


「・・・そうなんだ。それで、その、大丈夫だった?」


「木下さんの言った通り、実害は無かったよ・・。・・でも正直こわいよ。昨日は雨戸が鳴って、つけてたはずの電気とテレビが消えてた。あと人のいる気配もしたし・・まだ酷くなる?」


「・・・・・ごめんね」


 具体的な返事はせずにただ一言だけ謝った彼女に返す言葉は浮かばなかった。


「・・分かった。もう少し頑張るよ・・。それにね、お守りがあれば大丈夫な気がするの。霊は本当に干渉してこなかったしさ。・・じゃあごめん。明日も連絡するね」


「うん。私はいつでも大丈夫だから」


 私は通話終了ボタンを押さずに耳元に携帯をあてたまま立っていた。


「大丈夫だよ、大丈夫だからね」


 その一言を待っていた。






 今ならきっと急にテレビが点いたって、真夜中にインターホンが鳴ったって私は驚かない。無機物が音を立てているからなんだというのだろう。

 

 今日は寝ることもできずに時計の針が深夜二時をまわった。

 とうとう物音は人の声に変わって、聞き取れない会話が私の周りで行われている。私に向けて話しているのかそうではないのかも分からない。

 低い声、女性とも男性とも言えそうなその声が一番大きく聞こえている。けれど何を言っているのかは分からない。外国語という感じでもない。聞き取れるのは単語にも満たない発音だけ。

 

 内容は知らない方がいい。無理して聞き取ることもない。


 変に冷静な私がいた。お守りを持っているから大丈夫だとかそういうことではないような気がする。

 私は言葉にしてそれを否定したいけれど、感覚が肯定する。「もう慣れてしまった」


 掴みようのない余裕が胸に去来したと同時に、会話に変化が起こった。


「・・・・・・・・!!!!!!・・・・・!!!!」


 相変わらず何を言っているのかは分からない。会話は急に怒りを孕んで絶叫にも似た声で私の耳元に届く。さすがに体全部で反応して布団の中にうずくまる。金縛りを併発していたら私はきっと発狂しているのかもしれない。


「・・はやくどっかにいってよ・・!!!」


 相手に聞こえるかどうかの声で呟く。それを気にも留めないのが幸いと言えるかどうかは分からなかったけれど、「声」はひたすらに何かをどこかにむかって叫び続けていた。





「・・・そっか、そんなことがあったんだね」


 翌日も私は木下さんに電話をした。彼女に縋るしかなかった。


「もう・・終わるよね・・?そろそろこれ以上は無いと思うんだけど・・」


「うん。・・もう少し、終わりは近いと思う。徐々に良くなっていくと思うから・・それでね・・」


「何・・?」


 いつもより口ごもっていた木下さんは私との会話中もずっと何かを言いたげだった。


「・・実は今日から急に用事が入っちゃって、数日の間、前田さんとは電話が出来なくなっちゃうの」


「・・そんな」


「でも、安心して。責任はちゃんと最後まで果たすから。・・・・今日の夜から前田さんの家に念を送るね」


「・・念?そんなことができるの?」


「何も効果はないけどね。ただ・・うまくは言えないんだけど、分かりやすく言えば私の半身みたいなものを送るって感じかな」


「あぁ、それって生霊みたいなやつのこと・・?」


「うん。大体そんな感じ。力を持ってはいないけど、でも前田さんの傍についてる。なんだか私を頼りに思ってくれてるみたいだから、それくらいのことはしてあげたいの。・・本当に急にこんなことになってごめんね」


「いいの。木下さんの半身が隣にいるなら一層心強いかも」


「ありがとう。ほんとうにごめん。・・一緒に頑張ろうね」


「謝らなくていいから。きっと木下さんと一緒に頑張ってみせるよ」


「うん。・・大丈夫だよ。大丈夫だからね」


 





 五日目。十二時を周り始めたころからラップ音が立て続けに聞こえて、今では部屋中を誰かが走り回っている音に変わった。窓は揺れ、七人どころでは済まない数の人たちが何かを言い合っている。まるで大都会の中心にいるかのように、すべてが騒がしかった。


 誰かの息が額にかかる。目をつぶっているのにもかかわらず、何かが私を舐め回すように見ている気がする。洗面所のドアが閉まったり開いたりしている。


 


 ここ最近に起きた現象も気にかかっていて今日の朝たまたま駐車場で出会った隣の人に聞いてみた。


「・・たぶん近くの部屋なんですけど・・・夜中うるさくないですか?」


 あくまで自分の部屋が発生源だとは語らなかった。


「・・そう?私のところは平気なものだけど」


「・・ああ、そうなんですね。なら良かったです」


「大丈夫・・?前田さんなんかお疲れみたいだけど」


「・・・ええ、まぁ・・仕事がちょっと忙しくって」


「あら、そうなのね。じゃあ今日はゆっくり寝れるようだったら寝た方が良いわよ」




 今夜も眠れそうにない。


 床を踏み抜くような足音も下の階の人には聞こえていないのだろう。私の周りを囲むかのように大きな音を立てながらぐるぐると回っている。


「・・もうやめて」


「・・・・・!!!!!・・・・・!!!」


「何言ってるのか全然わかんないよ・・」


 涙で枕を濡らす私の心はとうに限界を迎えていて、今やお守りだけが心の支えだった。木下さんとの電話も明日以降はできない。

 彼女が何よりの支えだったのに。


「・・・だよ・・・だからね」


 微かに聞こえたそれは無機質な声ではあったけれど木下さんのものだと思った。


「・・木下さん?」


 目をつぶったまま、彼女を呼びかける。

 駅の雑踏みたいに騒がしい室内で再び彼女の声が聞こえた。


「・・・・大丈夫だよ。・・・大丈夫だからね」


 そうか、これが木下さんの言っていた念か。そう思ったとき、私の枕元に誰かが立っている気配がした。それは今までの気配とは違ってどこか温かみを帯びていた。きっと彼女の半身だ。

 けれどさすがに目を開けることはできずに小さく彼女の名前を呼び続ける。


「・・助けて木下さん」


「・・大丈夫だよ」


「助けて・・」


「・・大丈夫だからね」


 




 それから彼女は毎晩枕元に立ち続けた。きっと昨日がピークだと思っていた霊障はいつまでたっても改善される気配はなく、激しいラップ音と人の気配や声に加えて飾っていた置物が床に落ちるなんてことも相次いでいた。

 朝になると彼女の声が聞きたくなって、出ないと分かっていたけれども毎朝木下さんに電話をかけた。彼女が出る気配は一向になかった。


 そして訪れる夜、訪れる霊障。


 一度私は車の中で寝てみたが結果は散々なものだった。

 狭い車内には到底入りきらない数の人の声が聞こえてきて、何者かの吐息は熱を帯びたように実態を伴って私の頬に触れた。部屋に憑いているわけじゃなく、私に憑いているのだと改めて思い知っただけに過ぎない。何よりもその閉塞感に耐えられず、三十分もしないうちに車から出て部屋に戻った。


「大丈夫だよ・・・大丈夫だからね」


 それでも彼女の半身さえ隣にいればラップ音、人の声、部屋全体が揺れているような感覚に襲われても私の心は平穏を保っていた。

 枕元に立つ彼女の気配が愛しかった。






「・・・もしもし由乃・・?」


 数日の間連絡が取れないと言っていた木下さんは九日目の今日も電話に出なかった。その日の昼休みに私は由乃に電話をかける。


「もしもし、どうしたの美咲?」


「ちょっと木下さんのことで・・」


「っていうか大丈夫?声・・ちょっと元気ないっていうか・・」


「あ・・うんまぁ、最近ちょっと忙しいし・・あんまり寝れてなくて」


「ダメだよしっかり休まなきゃ・・!・・で、なんだっけ?木下さんがどうかした?」


「うん。数日の間連絡が出来ないとは言ってたんだけど、どこいっちゃったのかなって」


「・・・そっかぁ。あれ、木下さんさ、アウトレットに行った翌日からもう見かけなくなっちゃったんだよね。私はもうその時から連絡付かなくなっちゃったし」


「・・そうなんだ。ごめん。急に連絡しちゃって」


「いいのいいの。美咲は自分の事心配した方が良いんじゃない?」


「うん、そうかもね。・・ありがと。また来月あそぼうね」


「おっけー。楽しみにしてるから」


 通話終了ボタンを押してしばらく考え込んでいた。


 ・・まさか、そんなことは。

 木下さんは連絡がつかなくなってからも半身を送り続けてくれている。考えたくない結末が頭に浮かぶたびに私はそれを打ち消していた。




 



 お守りをもらってからすでに十日が過ぎていた。

 ノイローゼ気味の私にはもはや恐怖という概念もなく、その日は目を開けて小さな明かりを見ていた。


 ドンドンドンドン!!


 耳元のすぐそばを誰かが走っている。たった数メートルを行ったり来たり。

 カタカタと写真立てが音を立てて揺れ、地面へと落ちていった。同じ現象はこれで三度目。目が覚めると写真立ては元の位置に戻っている。


 すべて私の見ている幻覚なのかもしれない。

 毎晩毎晩嫌な夢を見ているだけで、霊障とは何も関係がないのかもしれない。


「・・・・・・・!!!!!!!」


 絶叫。相変わらず声は遠く絶叫と呼べるほどの声さえ聞き取れない。叫び声はキャアアなのかうわあああなのか、そんなことさえも聞き取れない。私の耳に届くのは何かが叫んでいるということと、


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


 この声だけだ。


 今日も彼女の半身が現れるのを待っていた。霊障に臆することなくいつも気配のする枕元を見上げていると、だんだんと視界の上の方を真っ黒な影が覆っていった。彼女は本当に枕元に立っていたのだ。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


 それは確実に木下さんの声だったけれどやはりどこか無機質で、聞こえようによってはおぞましくも思えたのかもしれない。


「ねぇ・・いつ終わるのかな」


 呟く木下さんに私は尋ねる。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


「もう疲れちゃったよ、木下さん」


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


 半身だからなのか、ずっと同じ言葉を繰り返す木下さん。

 私は彼女の顔が見たくなって勇気を振り絞って黒い影にその目を凝らした。

 

 最初に見えたのは彼女の華奢な足と白いブラウスだった。私を覗き込むように上体を六十度近くまで曲げている。黒く長い髪が垂れ下がって、その表情はうかがえない。


 頭を持ち上げて彼女の顔を覗き込む。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


 小さい明かりに照らされた彼女の口角は上に上がっていた。

 

 ・・・・そうか。彼女は私を安心させるために笑ってくれているのだ。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


「うん。私もそう思うよ。・・木下さんがいるなら大丈夫だよね」


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


 暗闇に目が慣れたのか、その表情もだんだんとうかがえてきた。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


「・・・えっ・・」


 私の足元から、何かがせりあがってくるかのように体全体の鳥肌がざわめいている。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


 彼女は笑っていた。私を見降ろしながら、私の目を見て笑っていた。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


 しかしそれは、あの時アウトレットで見せた優しい表情とはまるで違っていた。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


 木下さんはまるで恐怖に震える私をあざ笑うかのように、醜く顔をゆがめたまま横に開いた口を動かさずに言葉を発していた。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


 私はその憎しみを孕んだ笑顔を見て、ようやく今になってすべてを理解した。


「・・大丈夫だよ・・大丈夫だからね」


「・・全部木下さんのせいだったんだね」


 私に霊なんて最初から憑いていなかった。木下さんはきっとこのお守りを通して霊をここに呼び寄せたのだ。そして霊障に恐怖する私を見て喜んでいた。

 けれどもそうする理由は分からなかった。


「ねぇ、どうしてなの・・・?私・・何か悪いことした・・?」


 あざ笑う木下さんの顔がぐーっと私の顔の近くまで降りてくる。

 今後一生見ることは無いと思うくらいに歪んだ笑顔で木下さんは言う。


「大丈夫だよ。大丈夫だからね」

 







 数日後、私は叔母の知り合いの霊能者である早乙女桃子(さおとめとうこ)さんに相談に乗ってもらった。

 待ち合わせたカフェに現れた桃子さんは外見からでは年齢を把握できないような、綺麗な女性だった。


「・・・なるほどねぇ」


 早乙女さんは私を覗き込むようにして見るとどっしりと席について「とりあえず話、聞こっか」と軽い口調で促した。当然のことだけど、外見からじゃきっと人の本質なんて見抜けない。そんなことを改めて考えてから早速身に起こったことすべてを話した。



「・・それで、その時にようやく彼女の仕業だって気づいたんです」


「・・・そうなんだね。・・うーん・・それさ、」


 桃子さんは私の話した内容には触れず、すぐにバッグを指さして尋ねた。


「・・その中に変なもの入れてない?」


「・・変なものですか・・?」


 聞き返しつつも私はすぐにそれがなんなのかを察してバッグの中から赤いお守りを取り出す。


「・・おーいぇー。・・それだね。すっごい気味悪いのが入ってるなって感じはあったの。・・ああ、万が一気に入ってたらごめん」


「いえ、これが話の中に出てきた彼女のお守りです。・・中、開けますか?」


「・・まぁだいたいどうなってるかは分かるけどさ・・」


 お守りの中を開けて、黒い紐で結ばれた紙を取り出すと桃子さんはまるで道に落ちた吐瀉物を見るかのように口元に手を当てて気味悪がった。


「・・うわぁぁ・・これは・・うっわぁぁ・・。ごめん・・でも・・うっわぁぁ・・」


「紙・・開きます?」


「・・あまりおすすめはしないなぁ」


 それでも私は真相が知りたくて構わずに紐を解いた。すると紐自体がパラパラと解かれてテーブルの上に落ちていく。散らばった紐の正体を見て私は思わず悲鳴を上げた。


「ひゃっ・・!」


 紐の正体は何十本もの束ねられた長い髪の毛だった。絶句する私を横目に桃子さんは折りたたまれた紙を開いて見せた。


「あっひゃぁぁ・・・こりゃもう・・ある意味尊敬に値するわ・・」


 呆れた様子の桃子さんとは違って私はその紙に書かれた内容に戦慄する。


「・・これって・・インクじゃ・・ないですよね」


「でしょうねぇ」


 紙の端にところどころ黄ばんだ指紋を残して、中央には赤黒い文字で「前田美咲」と書かれてあった。紛れもなく血で書かれた文字だった。


「これは・・呪いですか・・?」


 恐る恐る桃子さんに尋ねる。


「・・さぁ?呪いというよりは怨念とか恨みそのもの?とにかくこんな無茶苦茶な呪い見たことないわよ。どの形式にも当てはまらない。完全に衝動でやったみたいなものね。これだけ恨みがこもってれば霊障があってもおかしくはないけど」


「・・なんで、私に・・?」


「・・心当たりがないの?」


「無いですよ!高校のころだってほとんど彼女とは話さなかったし、この前だって・・」


 桃子さんは深く息をついて私の言葉を遮った。


「でもこのお守りとこうなった経緯を聞くに、結構前から計画してたってことじゃない?あなたに心当たりは無くても、どこかで彼女の大きな恨みを買っているのかもしれない。・・例えば自分の片思いしてた男の子をとられちゃったとか・・そういうのはたまに聞くわよ?」


「でもだからってそんな・・」


「でも実際にそういうことは起こり得るのよ。人間どこで恨みを買ってるのか分かったものじゃないの。あたしも今回の件で久々に思ったわ。・・一番怖いのは霊じゃなくて人間だってね。・・あぁー、これ持って帰りたくない。持って帰りたくないわぁー・・」


 そう言って髪の毛を紙で包んでぐしゃぐしゃに丸めると自分のバッグへと詰めた。


「・・いいんですか、それ、そんな感じで」


「いいのいいの。だってこのわけわかんないお守りに何の効果もないもの。あるのは純粋すぎるあなたへの恨みだけ。これからあなたのうちにお邪魔して適当に低級霊をパッパッパってしちゃうからもう霊障で悩まされることは無いけど・・」


 桃子さんはカップにスプーンを入れてクルクルとかき回す。


「・・さっきも言ったようにこれは呪いじゃなくて怨念そのものだから、彼女だけはきっとしばらく残り続けると思う。こればっかりは私にもどうにもできない。彼女、まだどこかで生きてるみたいだしね」


「・・そうなんですね。連絡つかなかったから、もしかしたらって思ったんですけど」


「死んじゃってる方が楽なんだけどねー。怨念なんかより霊体の方がよっぽど祓いやすいわよ!・・とにかくしばらくは頑張って。あとこれ、一応数珠ね。大丈夫、紐は髪の毛製じゃないから」


 あははと冗談めかして桃子さんは笑った。

 私からは乾いた笑いしか出なかった。





 その日から私の周りで今までのような霊障が起こることは無くなった。


 けれど桃子さんの言う通り、木下さんだけは未だに毎晩枕元に立って鬼のような形相で私を見降ろして、怒りに打ち震えたような声で呟いている。


「殺してやる、殺してやるから」


 

長くてごめんなさいでした。連載にして分けた方がよかったかもですね。最後に出てきた霊能者さんに必要以上にキャラ付けしたのはつまりそういうことかもしれないです。もしかしたら程度ですけどね。

ゾンビのやつ、もうちょっとしたら終わりそうなんでよろしくお願いします。読んでいただいて本当にありがとうございました。

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[良い点] 短編なので読みやすい。夜に読んだのですが、思ってたよりすごい怖かったです。背筋がゾワっとなりました。面白かったです。 [気になる点] なぜそんな事をしたのかが知りたかったので、そこの部分…
[良い点] 怖かった(((((((・・;) 日常に潜む恐怖にかなりガクブルです。 [一言] 途中で先がよめましたが、それでも怖かったです。 ホラーは苦手ですが、こちらの話は楽しめました。 これからも…
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