8 それぞれの言い分(3)
「メトロウド殿は一の間にお通ししております」
家宰は恭しく告げる。
侍女頭も負けじと頭を垂れた。
「ルドビィス様は二の間にお通しいたしました」
「そうか。そなたらの配慮に感謝する」
父は半分白くなった髪を無頓着にかき乱し、私を見やった。
「さて、どうしたものか。ご本人たちが乗り込んでくるとは思ってもみなかったぞ。せっかくの名文が無駄になったな」
「仕方がありません。……今から私は出奔しましょうか」
追い詰められた私は、半ば以上本気だ。頭の中では逃走経路を描いていた。
それを悟っているのだろう。父は苦笑して腕組みをした。
「賛成してやりたいが、エトミウ家のメトロウド殿が来ているのなら逃げ切れないぞ。しかし、何も同じ日に来なくてもいいものを」
最後は愚痴めいた父の言葉に、私は深く頷いた。
ここで私は、早馬のことを思いだして扉のほうを見た。
「どうした、カジュライア」
「いえ、早馬も我が家についておりましたので」
「早馬……いや、まさかな」
父が苦笑を崩さずにそう言ったとき、扉を叩く音がした。
扉は慌ただしく開き、青ざめた青年が入ってきた。私の異母弟カラファンドだ。
悲恋の貴公子というにはいつも元気のいい異母弟だったが、今は繊細な顔立ちに相応しいくらい血の気を失っていた。体力のある弟が息を乱しているということは、どれだけの勢いで階段と廊下を走ってきたのだろうか。
「カラファンド、どうした?」
「父上、姉上……早馬によると、ファドルーン様が……」
異母弟はそこで言葉を失ってしまったが、それ以上は聞く必要がなかった。それでも父は誰よりも早く正気に戻り、カラファンドに問う。
「ファドルーン様は、いつお着きになるのだ?」
「そ…それが、すでに近くまで来ているとのことで…」
「近くだと? ではもう着くのか?」
「……父上……ファドルーン様とは、あの方ではありませんよね?」
反射的に窓の外を見た私は、震える声を絞り出して街道から延びている道を指さした。
父はそちらを向いて、絶句した。
街道ならよく見かけそうな傭兵風の一団がマユロウの本邸に近付いてくる。その中の一人が、窓から身を乗り出している私たちに気付いたようだ。かぶり物を取り、馬上から優雅な礼をする。
嫌な予感がした。
そっと横をみると、今度こそ父の顔が白くなっていた。
「あのお姿は、間違いなくファドルーン様だ……」
父がこれほど慌てるとは、家宰の動揺した顔以上に珍しいかもしれない。
動揺を通り越して諦めの境地に至った私は、逃避でそんなことを考えていた。
意を決した父は、三人の客人を同じ客間に通すことにした。
この開き直りの早さはマユロウに流れる戦闘民族の血によるものなのか、あるいはあくまで他人事の父が面白がり始めた証拠なのか。私には判断できなかった。
しかし、いつまでも客人を待たせるわけにも行かず、私は「ライラ・マユロウ」の称号にふさわしい衣装に着替え、広間へと向かった。
ただし当初の計画にそぐうような、たおやかなドレスではない。
実物の私は、女性にしてはかなり背が高い上に目つきも鋭い。どんなにたおやかな衣装を身に着けても、マユロウの次期女領主にふさわしい堂々たる大女になる。
目標とする「たおやかな悲劇の女」を演じることはできないのなら、無駄なことに時間を費やす気にはなれない。
それに、私も父と同様に開き直っていた。相手がどういう反応をするかという興味がなかったと言えば嘘になる。
私は、こういう面でも「たおやかな女」ではないのだ。
さすがに客間の扉の前になると足がすくんだが、深呼吸を繰り返してから扉を開いた。思いきって部屋の中を見回すと、マユロウ伯の名にふさわしい威厳を見せる父と、三人の貴公子がくつろいでいた。
来客を知ってから傭兵隊長からマユロウ伯へと変身した父はわかるとしても、三人の貴公子もそれぞれ衣装を換えたらしく、馬や馬車などで旅してきたようには見えない。三人はいずれも美しい衣装をまとい、きれいに髪を梳き、あるいは緩やかに束ね、手に銀杯をもって和やかに談笑していた。
そんな貴公子たちが、私に気づいてほぼ同時に立ち上がった。
「父上」
「おお、来たか。お三人方。これが我が娘カジュライアでございます」
父は私を招き、自分の横の席に座らせた。
その目が一瞬笑ったのを私は見逃さない。私の格好が気に入ったらしい。
私が座ると、三人の貴公子たちも自分の席に着いた。その作法は、まるでたおやかな貴婦人に対するようだ。
しかし私は、目の前の貴公子たちと同じような衣装……早い話が男装している。そしていつものように、恥じらいも何もないまま、図々しいくらいに堂々と三人の求婚者に目をやった。
次期マユロウ伯として生まれ育った私には、こういう場での恥じらいというものが欠けている。そんな私でも、礼儀を忘れて三人の顔立ちを見入ってしまった。
……そのくらい、三人は三者三様の美貌の持ち主だった。
一人は非常に繊細な美貌を持った貴公子。黒目がちの瞳は穏やかな光をたたえている。
一人は浮き立つような華やかな美貌の貴公子。しかし目の光は鋭い。
一人は大理石の彫像のような美貌の貴公子。表情が薄い中、目だけが生気に満ちている。
男性の美貌はアルヴァンス殿で慣れていると思ったが、美貌の方向性が異なると話が違うらしい。
夢見がちな乙女なら、この場にいるだけで失神しかねない。私だって目がチカチカする。このとんでもない三人が私の夫候補なのだろうか。
皇族のファドルーン様に、エトミウ家のメトロウド殿に、カドラス家のルドビィス殿。
父が言うには、ファドルーン様は「動乱が起きれば諸侯にかつぎだされる」ほどの人物で、メトロウド殿はハミルドよりも「いい男」で「豪傑」、ルドビィス殿は「異国系」で「ライラ・パイヴァーの息子」らしい。
マユロウ領からほとんど出たことがなく、三人と面識のない私には誰が誰なのかまったくわからない。
内心の混乱と困惑を顔に出さずにいたのだから、胸を張って誇っていいだろう。
「カジュライア。もうわかっているとは思うが、改めてお三方を紹介しよう」
識別不可能な私に気づいているだろうに、父はわざとらしくそう前置きした。
紹介してくれるだけありがたい。
「右端の方がエトミウ家のメトロウド殿」
父の言葉に合わせて、黒目がちの貴公子が胸に手を当てた。
ハミルドと同じく、光に透けると少し黄色く見える明るめの暗色の髪だが、ハミルドよりもさらに繊細な顔立ちだ。豪傑には見えない。
「中央の方がカドラス家のルドビィス殿」
華やかで目がきつい貴公子が軽く頷いた。
そう言われてみれば、ちょっと異国的な顔立ちをしているが、パイヴァー家の人間はこんなに目がきつくない。
「そして左の方が皇族のファドルーン様」
生きた彫像風の貴公子がにこりと笑みを向けた。
亜麻色の髪は確かに都の貴族のものだし、あふれるような気品もある。しかし実力主義の諸侯が高く評価するほどの人物なんだろうか。
三人の求婚者に対する私の第一印象は、こういうものだった。