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6 それぞれの言い分(1)


 アルヴァンス殿が都に向けて出発したのは、もう一週間前のことになる。

 いつもはゆっくりしていく方だが、今回は皇帝陛下からの密書のためにこの地に来ていたため、滞在期間はいつになく短かった。

 いや、短いと言っても二週間いれば十分だ。

 その間に「酒宴」と称するものが何度となくあった。私も参加させられたのだが、父もアルヴァンス殿も、常識外れも甚だしい。


 もういい年なのだから、そろそろ酒は控えるようにと私が言っても、父は全く聞かない。父は「太く短く」を座右の銘にしているなどとうそぶき、朝まで飲み続けたのは一度や二度ではない。

 アルヴァンス殿も、優美な貴公子然とした外見に合わず、飲みっぷりは牛飲だ。普段が貴公子である分、反動があるのだ、というのが本人の弁だが、マユロウの血は確かに流れているとつくづく思う。

 とにかく、私は二人の酒豪につきあう羽目になった。

 二人とも悪質な酒乱ではないが、私はのんびり酔うこともできなかった。

 やっと酔いが回り始めたと思ったら、父は剣舞を始め、アルヴァンス殿は私に絡んできたのだ。

 父の剣舞はいつものことで、あらかじめ実戦用の父の愛剣を刃を潰した剣にすり替えることで何とかなるのだが、アルヴァンス殿については……正直言って閉口した。


「あの坊やがいなくなってやっと私にもチャンスが訪れたと思ったのに、極上の求婚者が三人も現れてしまった。貧乏貴族でしかない私になす術もありません」

「私には地位も財産もない。あなたに捧げられるのは、この想いだけです」

「ライラ・マユロウの傷心が癒えるのを待っていたのに。私の忍耐は何だったのでしょう」


 剣舞と称した剣技訓練の音が鳴り響く中、確かそんなことを言われたような気がする。

 手を握られ、一つに束ねた髪の毛先に口づけされ、席を立とうとすると引き寄せられもした。

 初めは驚き、酔いも手伝って、人生で初めてときめいた。

 頬だって、柄にもなく赤くなったと思う。


 ……しかし、同じ言葉を何度も繰り返して言われているうちに、さすがにうんざりしてしまった。

 切なげにささやかれるのなら恋に目覚めるのかもしれないが、酒宴の場で大げさな身振りと、酒臭い息と、大きな声で言われてしまっては、恋に落ちろというほうが無理だ。

 その上、似たような言葉を、父の側室や侍女たちや料理運びに駆り出された中年女や老女たちなど、手当たり次第、目につき次第、老若問わず女性たちに言っているのを聞いた後では、うんざりの度合いも高くなるというものだ。


 幸いなことに、アルヴァンス殿は女性を口説く以上の悪酔いはしなかった。

 それでも、この辺りではもちろん都でも珍しいと言われる赤い髪を振り乱したり銀水色の目を潤ませたり、洗練された仕草を過剰に女性に向けたりするアルヴァンス殿は、とにかく色気がありすぎて目の毒だった。

 甘いのに冷たい、というのが都での彼の評価だったはずだから、ただの酔っ払いと化した姿は、都の優雅な貴婦人方にはとてもお見せできない。


 一方父は、結局剣舞だけで飽き足らず、槍や戦斧を持ち出して周囲に止められ、上半身をさらして若い武人たちと剣を打ち合い、正妻や側室方を膝に抱いて口付けを強要したりしていた。

 こちらはこちらで目に余る。

 年頃の娘としては、頼むからやめてくれと心の中で叫んでいた。いや実際に口に出していた気もする。


 こうした二人の姿は、おおらかなマユロウ領民にとっては今さら尊敬の念を失うほどのものではない。それでも巻き込まれた私にとっては悪夢のような宴であり、こういう宴が繰り返されたために疲れのたまる二週間だった。

 私も多少飲みすぎて醜態をさらしてしまったが、おおむね同情を集める程度ですんだと思う。脱いだり暴れたりしていないのなら、未婚の娘としては合格だろう。




 それにしても……。

 私は三通の書簡を前にため息をつく。

 一週間前に終った悪夢は、私にあることを気付かせた。

 私が「悲劇の女」になった後、わざわざ三人から求婚されるの待つまでもなく、マユロウ一族の誰かと結婚すればよかったのだ。和平絡みの政略結婚は必要なくなったのだから、早く見繕うべきだった。

 従兄弟より遠ければ、血統上は問題ない。

 例えばアルヴァンス殿。

 三十歳を超えていまだに独身で優美な貴公子。

 彼は父の再従弟だから、マユロウの血族といってもほどよく遠い。都に人脈がある人だから、その点でも私の夫にふさわしい。私は領地で執務を行い、夫は都で人脈を作る。そう言う図も確かにあったのだ。

 父にそう言うと、いつもの様に大笑いをされたが、その後で真剣に頷いてくれた。


「確かに、アルヴァンスなら神経が太いから、お前の夫になっても何とかやっていけただろうな」


 父の言い分の不要な部分は無視するとしても、そういう選択肢に気付かなかったとは私もまだまだ未熟だ。


 私は三通の書簡から目をそらし、水差しを傾けて銀杯を満たした。銀色の澄んだ輝きの中で揺れる水面を見つめ、面倒な問題の解決方法を考える。

 客観的に見れば、どの求婚者も夫として悪くはない。

 一人だけなら、悩む必要も余地もない人物なのは間違いない。しかし三人がほぼ同時に、となると途端に困りものになる。断るという行為は、家と家の意地が関わる分、一層労力が必要だった。

 それより、三人のうち一人を選んだとして、皇帝陛下の甥御殿との話を断ることは可能なのだろうか。

 思い切ってすべてを断るなら、あるいは可能かもしれない。それにもまず、断る口実となるような約束を交わした相手が必要だ。急場凌ぎに、アルヴァンス殿と婚約が固まっていたと言ってみようか。そう考えたものの、言い訳としては少々苦しい気がする。


 ならば、私の真実の姿を教えると言うのはどうだろうか。

 婚約者に捨てられたのも、私が継ぐ地位や富を顧みてもらえなかったのも、男のような女の夫になるより、美しく優しい女とともに生きるほうが魅力的だったから。

 そういう蛮族マユロウの娘など、皇帝陛下の甥御殿というお血筋にはふさわしくない、とでも言えばお断りできるだろうか。

 恥らいを捨ててそこまで考えたが、相手は上位の帝位継承権を持っていないから、あまり説得力はない気がする。


 だいたい、皇族と縁続きになるなど恐ろしくて考えたくもないのに、非公式とはいえ皇帝陛下直々の手紙をもらってしまったのが不幸の始まりだった。

 こんな密書を持ってきたアルヴァンス殿が悪い。

 せめて、アルヴァンス殿が二週間くらい遅れて来ていればよかったのに。そうすれば、アルヴァンス殿がマユロウにきた時には、エトミウかカドラスのどちらかを選び終えていただろう。厄介な密書を開封することもなく、三十男のくせにいまだに美しい貴公子に婚約の報告ができたのだ。


 運命とは、なんとままならぬものか。

 ハミルドの時には抗えたのに、今回はどうしようもない。

 こんなことに頭を悩ませるのなら、周囲から不必要に同情される「悲劇の女」として日々を過ごすほうが気楽だった。そして適当なときに、誰か同族のものを夫として迎えるべきだった。

 私は天井を見上げて、虚ろなため息をついた。

 

 

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