3 悲劇の真相(3)
私はハミルドに想い人ができたことを確信した。
同時に、私への真摯な愛情も感じた。
押し付けられた年上の婚約者なのに、共に過ごす時間を穏やかさで満たしてくれる優しいハミルド。目を虚ろにするほど絶望的な恋をしていながら、私を変わらず大切に思ってくれている。
それを愛と称したのだろう。
なんと優しい男だろう。
穏やかなのに、頑固なほど義理堅く、自ら恋を諦めて捨てようとする強さもある。
彼は立派なエトミウだ。武人ではなくとも、誰が何と言おうと誇るべきエトミウの貴公子で、女領主の夫にしてしまうには惜しい存在。
私は彼が誰よりも大切だった。同時に、彼の資質を認めていた。
だから私は……彼の恋を成就させてやりたいと強く思った。
私の思いは、一般的にはおかしいかもしれない。
恋の自由を謳歌する領民たちは、婚約者に想い人ができたとなると「修羅場」などと表現するらしいから。
実際に、すべてが明らかになった時はかなりの修羅場だったと思う。
私の感情云々ではなく、周囲の目が厳しかった。ハミルドの恋のお相手が、私の異母弟カラファンドの婚約者という二重の裏切りだったから。
そのことを探り当てた時、さすがに驚いた。
いつから恋が生まれたのだろう。
カラファンドが婚約した夜は平然としていたはずだ。
だがそういえば、夏至祭では楽しそうに会話をしていたと思う。アルヴァンス殿と酒を飲んでいた私は、そんな二人を見ながらなんてお似合いの二人だろうと思っていた。
そう、とても似合う二人だった。
メネリアの方が一歳だけ年上なのも、穏やかなハミルドにはちょうどいいと思った。二人とも美しくて賢明で、どんどん会話を交わしながら笑っていた。
きっとあの日から、二人は恋に落ちたのだろう。
お似合いなのだ。私の隣で穏やかに微笑むだけのハミルドより、目を輝かせて笑い合うハミルドの方が好ましかったのだ。
だから私はハミルドの恋を許した。
許さないという選択肢はなかった。私たちの婚約の意味を正確に知った時から、私はハミルドの幸せを誰よりも願っていたから。
私がまずやったのは、異母弟カラファンドを呼び出すことだった。
早朝も早朝という時間帯だったが、私の身が空いている時間でカラファンドも自由になる時間は、意外に少ないからしかたがあるまい。
カラファンドは眠そうな顔をしていたが、呼び出してからすぐにやってきた。
「起きていたのか?」
「……起きてはいましたが、頭はまだ動いていません」
カラファンドはあくびをかみ殺して、椅子に座った。
母親は違うものの、カラファンドと私は似ていると思う。髪は同じ黒色で、鼻の形も似ている。背の高さはカラファンドの方が高いが、身長と肩幅に若干の差があるだけで、ひょろっとした体型もよく似ている。
「簡単な質問をする。お前はメネリアをどう思っている?」
「え? メネリアは僕の婚約者だし、しっかりした女性だと思うよ」
突然の質問に、カラファンドはさすがに戸惑ったようだ。生母であるご側室似の美人顔を、間抜けな少年の顔にしてしまった。
大きくなったが、やはりかわいい弟だ。
「男としてどう思っている?」
「……男としてって……もしかして、ハミルドとのこと?」
カラファンドは眉をひそめた。
どうやら知っているようだ。自分の婚約者であり従姉であるメネリアとハミルドの秘密の恋を。
「おまえは知っていたのか?」
「うん、まあね。最近のメネリアは変だし、ハミルドだって様子がおかしいから。確かめてはいないけれど、もしかしたらそうなのかなって」
私が一番鈍かったらしい。よくある話だ。
仕方がない。男女間の機微など、私にはもっとも縁のないものだから。
己のいたらなさにため息をついたが、私は気を取り直して異母弟に向き直った。
「カラファンド。この姉とともに、婚約者に逃げられた男という汚名を着てくれないか?」
私がそう言うと、カラファンドは目を大きく見開いていたが、やがて深いため息をついて天井を見上げた。
「カラファンド?」
「……僕はね、メネリアもハミルドも大好きですよ。でもこの場合、一番被害があるのは姉上ではありませんか? 失礼ながら、姉上はもう二十一歳で、新しく結婚相手を探すのは大変では?」
「私のことはどうでもいい。しかしおまえには、たった十七歳で嫌な思いをさせてしまう」
「姉上。言ったでしょう? 僕はメネリアもハミルドも好きです。それにライラ・マユロウたるあなたが是とするなら、僕は従うのみです」
「……すまない」
私は異母弟に借りを作ることになった。
異母弟カラファンドの婚約者メネリアは、私たち姉弟の従姉妹だ。
私より年下だが、カラファンドより二歳、ハミルドより一歳年上であり、マユロウの一族の中枢にいる。母親が「ライラ・マユロウ」の呼称を持っている。
つまりは父の同母妹の子で、マユロウ内の格としては庶出のカラファンドより高い。一族の中での地位としても、次期当主である私に次ぐ。
一方のハミルドは、エトミウ伯の嫡出の次男。
メネリアとハミルドの結婚は、当初の目的とは外れてしまうが、形式上は完璧につり合った政略結婚だ。
お互いの顔も傷つかない。運命のままに出会ってしまった二人も幸せになれる。
悲劇と見なされるのは、婚約者に逃げられたという汚名をかぶる私たち姉弟だけだ。
カラファンドの賛成を得た私は、まず父マユロウ伯を説き伏せ、エトミウ伯を納得させ、右往左往する私の生母とカラファンドの生母をなだめ黙らせた。
容易くはなかったが、このくらいできなくては、マユロウ伯など継げないだろう。
身内の次は、吟遊詩人たちにハミルドとメネリアの恋を歌わせた。
歌になると、生々しい政略も華やかなものになり、二人の許されぬ恋は老若男女を問わず胸を高鳴らせる。もちろん、潔く身を引いたカラファンドもまばゆいほどの悲恋の貴公子になっていた。私まで悲劇の女になってしまって、あとあとまで後悔することになるが、これも運命のうち、仕方がないとあきらめた。
こうして私の結婚式は、花嫁だけを変更して予定通りに秋祭の中で執り行われた。
十七歳で婚約者を奪われた形になった異母弟は、さすがに少し可哀想だった。
周囲の目が同情的で、嘲笑がなかったのが救いだ。それでも、婚約者に逃げられたという傷は一生ついてまわるだろう。
私同様に心から祝福していたカラファンドだが、あまりにも周囲から同情されたのでさすがに凹んでいたようだった。
我が弟ながら不憫でならなかったが、アルヴァンス殿が耳元に囁いた言葉であっという間に復活していた。
「カラファンドに、何と言ったのですか?」
ハミルドたちの結婚の儀式後の宴でこっそり聞くと、都の優雅な貴公子は生真面目な顔で教えてくれた。
「ちょっと教えてあげただけですよ。都のお嬢さん方は、吟遊詩人たちの歌の中の悲恋に耐える貴公子に涙を流している、とね」
「それは……」
「カラファンド君は誰が見てもきれいな子ですから、私が都を出る頃には姿絵も密かに出回っていました。興味があるのなら、今度こちらにお送りしましょうか。あなたの姿絵もあるはずです」
冗談にしても笑えない。カラファンドの姿絵はともかく、自分のものは丁重に断った。
しかしである。
私がハミルドを全力で応援したように、カラファンドも年上の従姉を応援していた。
幼馴染のいとこ同士なんて、ほとんど姉弟だ。つまり、決して悲恋ではないが、外から見るとそうなるのだろうか。
悪友であり幼馴染でありほとんど兄弟だったハミルドの横に座り、絡みながら酒を飲ませている異母弟カラファンドを眺める。
都のご令嬢方の夢を壊すようで申し訳ないが、あれはどう見ても悲恋ではない。先に幸せになった友への、見苦しい男の嫉妬だ。
心の中でそう断定していると、私のそばにいたアルヴァンス殿が私の酒杯に酒を注ぎ足した。
「実は……私は少し心配していたのですよ」
前日に都から到着したばかりのマユロウ伯の再従弟は、私の顔を覗き込む。
鮮やかな赤髪に縁取られた顔は、幼い頃から見慣れていても感心するほど美しい。
三十近い男を美しいと形容するなど、吟遊詩人たちが歌う恋物語の中だけと思っていたが、目の前の貴公子はまさに美しいという他はないと思う。
そのくらいアルヴァンス殿は端正な顔立ちをしている。
顔立ちだけでなく、赤い髪も立ち姿も仕草も、すべてが美しい貴公子だ。
私はまだ都には行ったことがないが、都の貴族というものはみんなこうなのだろうか。もしそうだとすれば、まばゆくて面倒な場所ということになる。
そんなことを考えていると、アルヴァンス殿がすっと顔を寄せて私の耳元に囁いた。
「大丈夫ですか?」
「何がですか?」
「あなたの傷心は癒えましたか?」
「傷心?」
聞きなれない言葉に顔をあげると、間近にあった美しい顔はとても真剣だった。
私の顔の表情を一つも見逃すまいと見つめてくる銀水色の目は妖しい輝きを湛えている。
だが私はため息をつく。
どれほど美しい顔がそばにあっても、酒臭い時点で真面目に取り合う気はない。
「もう酒に酔いましたか? 最初から存在しない傷を、どうやって癒せと?」
「……それが本当なら安心しました。さすがライラ・マユロウ」
アルヴァンス殿は晴れやかに微笑み、たっぷり満たしていた酒杯をぐいっと飲み干した。
そのまま立ち上がって、ハミルドの席に向かっていた。
我が父マユロウ伯もハミルドの横に座っていて、ハミルドの父親であるエトミウ伯も酒樽をそばに置いて座っている。
ハミルドは今夜は前後不覚になるまで飲まされるだろう。花嫁には気の毒だが、これも古くからの慣習の一つ。今夜ばかりは諦めてもらうしかない。
そう思っていたのだが、この蛮行は三日間続き、花婿が花嫁の待つ初床にたどり着いたのは、二人に与えられたマユロウ領の端の小領についてからだった。ライラ・マユロウとその異母弟を泣かせた男なのだから、手荒い祝福にも耐えてもらわねばなるまい。
それにこのあとは、二人だけで静かに幸せを育んでいけるのだから。
一方、私はと言えば、「婚約者に捨てられた女」という悲劇的な看板を背負うことに耐え続けた。カラファンドより長く生きているのだから、このくらいでへこたれる私ではない。
ただ、実際に特に負担はないと言っても、事情を知らない周囲の人々の同情には閉口してしまう。
領内を視察する度に、領民たちが元気を出してと言ってくれたり、二十一歳という年齢で婚約者を失うとは、と悲観したりしてくれるのだ。これが果てしなく繰り返されたので正直うんざりしたが、これもマユロウ伯という領主を認め慕ってくれている証なのだと納得することにした。
それでも、婚約解消から一年半が経つと、私を困惑させる周囲の同情は減ってきた。
いくら平和なマユロウ領内でも、さすがに時間が流れれば人々の記憶も薄れて行く。当事者の私があいまいな笑顔を見せる以外は、全く「悲劇の女」らしくないからだろう。
やっと楽になると、私はすっかり油断していた。