29 運命のままに(1)
決断の時が来た。
そう言えば聞こえはいいが、私の場合はくじで夫を決める日だ。
たかだかくじ引きではあるが、領主が行う正式なくじ「定めの儀式」は運命を告げるものとして扱われ、その結果に従うことが求められる。強制力まで有するのだ。
これまで様々なことに使われてきたが、複数の後継者から当主を決めたことはあっても、複数の求婚者から夫を選ぶなどという使い方はされたことはないだろう。
自分の決めたこととは言え、何とも滑稽な気がして私は朝から何度もため息をついていた。
きっとまた吟遊詩人たちがこぞって歌にして広めるだろう。婚約者に捨てられた悲劇の令嬢の続きの歌として、私は今度はどんな女になってしまうのか。考えるとまた気が重くなってしまう。
今度の主人公は私ではなく、一本のくじで恋を失った貴公子にしてもらいたいものだ。幸い誇張する必要がないほど本当に麗しい貴公子がそろっている。
そんなことを考えながら、私は定めの時を迎えるためにマユロウ産の布を使った衣装を着た。
複数の求婚者に囲まれた令嬢に相応しいような美しいドレスではない。
だがきっと、誰もが男装を予想しているからと、令嬢ではなく次期領主という立場に徹することにした。
鏡の前に立つと、我ながら凛々しい姿が映る。
男性と並んでも引けを取らない身長、鋭い目、幅広のベルトに幾つも付けたナイフなどの小型武器。
完全な男装な上に、どう見てもたおやかな令嬢ではない。……こんな女の隣に立つ人物が、今日決まるのだ。
私は鏡に背を向けた。
いつの間にかやってきていた私の母は、私の男装を見て残念そうな顔をした。
「今日くらいドレスを着てくれればいいのに」
「私には似合いませんから」
「そんなことはないわ。あなたはとてもきれいよ。だから、せめて口紅をつけなさい」
母はそう言うと、私を椅子に座らせて見事な手つきで口紅を掃いた。
「ほら、とてもきれいよ」
一緒に鏡の前に立った母はとても嬉しそうだ。私のような女でも、母にとっては愛すべき娘であるらしい。
鏡に目を戻すと、穏やかな笑みを浮かべた母と、背の高い私が映っていた。
母が選んだ口紅は、私を美しく装ってくれる。何より、そんな私を見上げて微笑む母の姿を見るのは照れ臭いが嬉しいものだ。
私の心は、いつになく温かくなった。
定めの時は正午だ。これは慣例として昔から決まっている。
くじの主催者として、父マユロウ伯は昼の少し前に三人の求婚者たちを館に招いた。
そしてその場にアルヴァンス殿も呼ばれていた。
私もアルヴァンス殿も、立会人として呼んだのだろうと思っていた。立会人はマユロウの血族から選ばれるのが慣例で、アルヴァンス殿の父親は先々代マユロウ伯の同母兄弟の子、上位の当主継承権も持っていた人だ。その血統と都の貴族の血統を持つから、外部も関わる儀式ではいつも重宝されるのだ。
しかし、運ばれてきたくじは四本だった。私は真意を測れなくて父を振り返った。
「アルヴァンスよ。そなたがいるべきは立会人席ではなく、あちらの席だぞ」
父はそう言いながら、三人の求婚者たちが座っている場所を示す。
つられるようにそちらを見たアルヴァンス殿は、慌てたように首を振った。
「マユロウ伯。私は求婚者をやめたんですよ。お三方にもそう伝えていて……」
「そんなものはさっさと撤回してしまえ。だいたい、これがあるのを忘れるとは都で高名な秀才とも思えんな」
にやりと笑いながら見せたのは、何かを書き連ねた紙だ。
マユロウ家で使う紋章入りの紙なのはすぐにわかったが、なぜか文書官の美しい文字ではなく、崩れた文字が踊っている。署名はもっと崩れて読めるかどうかというくらい。それに血判らしき赤いものまで見える。
いったい何の文書だろう。
私が首を傾げる間に、アルヴァンス殿の顔から血の気が引いて行った。
「それは処分してくださいと申し上げていたのに……」
「そなたに飲み勝って得た貴重な戦利品だぞ。我が娘に求婚するという宣誓書を軽々しく扱える父親もおらぬし、そう簡単に捨てられる訳がない」
上機嫌の父はそう言って、アルヴァンス殿の肩を叩く。
「あきらめろ。それにお三方からアルヴァンスを加えるように要請があった。そなたが当たれば愛人として押しかけてくるつもりらしいから、結局は四分の二の当たりくじというわけだ」
どこかで聞いた話だ。ルドヴィス殿が言っていたはずだ。
しかし他の二人の表情も変わらないから、まさか全員が同じようなことを言っていたのだろうか。
そんな話を父と交わして、取り決めをしたのだろうか。
……私の前でやらなかっただけ、お三方の心遣いを感じるべきだろう。
私はため息をついて用意された席につく。アルヴァンス殿もようやく求婚者の席に移ったが、その顔色は悪かった。
太陽がもっとも高い位置に昇った。
広間の中央に台が運ばれてきて、黒くて口の細くなった壺がそこに置かれる。父はその中に四本の細い棒を差し入れてざらりと混ぜた。
「では、お一人ずつ引いてください」
私がぼんやり見守る中、立会人の一人である長老が声をかけた。
定めの儀式の主催者として台の横に座った父は、珍しく厳粛な顔をしていた。しかしその目は上機嫌な時の目だ。
対して、父の斜め後ろに立っているカラファンドは、ひどく緊張した顔をしている。きれいな顔は血の気が引いていて白いくらいだ。いったいどうしたのだろう。姉の運命なのに、自分のことのように感じているのだろうか。
……私も手が震えているのを隠しているから、偉そうなことは言えないが。
私が苦笑を押し殺して考えていると、まずメトロウド殿が立ち上がって前に進み出た。
淀みなく台の前まで歩き、無造作に壺に立てたくじに手を伸ばした。
その手が一瞬とまった。メトロウド殿の繊細な眉がわずかに動き、主催者として最後にくじを触った父を見やる。しかしそれほどの時間を置かず、何事もなかったように一本のくじを選んで引き上げた。
次にルドビィス殿が立ち上がった。
ルドヴィス殿はしばらく壺の口から出ているくじを見ていたが、ふぅっと息を吐いて目を閉じる。そしてすぐに目を開けて一本を引き上げた。
三人目がファドルーン様。
台の前に立ったファドルーン様は、二本だけ残っているくじを見て微笑んだようだ。どこか楽しげに見える麗しい笑みを浮かべたまま一本を選んだ。
そして、最後の一本をアルヴァンス殿が引いた。
三人はどういう表情をしているだろうか。
木を細く削ったくじの根元には印がついている。ただ一本にだけある印こそ、マユロウ家の紋章であり、私の夫になることを意味する。
父の楽しげな唸り声が聞こえた。私はようやく我に帰って見回した。
気が付くと、アルヴァンス殿がいよいよ困惑した顔で私を見ていた。彼が手にしているのは、マユロウ家の紋章が入ったくじ。他の三人はそれぞれ目をそらし、印のないはずれくじを手にしていた。
握りしめていた手から力を抜けていく。
「決まったぞ、カジュライア。そなたの夫はアルヴァンスだ」
定めを告げる父の声がする。
朗々と響いた声は、しかしすぐにいつもの声に戻った。
「カジュライアよ。そなたは実に良い求婚者を得たものだな。これで縁が切れてしまうのは実に惜しい」
「……父上。お願いですから……」
高らかに笑う父を見ながら、なぜかカラファンドは気を揉んでいる。その目がちらちらとハズレくじの三人に向いているから、三人への配慮を促しているのだろうか。
その前でため息をついたルドヴィス殿は、潜めていた眉を戻し、口元を歪めた笑みを浮かべて私の手を両手で握った。
「最悪の事態でなかったから、運命には感謝しておこう。初めてお贈りするドレスが他の男のための花嫁衣装になるのは気に入らないが、あなたを美しく飾る権利は私が頂く」
否とは言わせない語調でそう言い切り、ルドヴィス殿は私の手に口付けて低くささやいた。
「あの秀才殿が物足りなくなれば、いつでもお呼びください。パイヴァーの財力も私自身もあなたのものだ」
もう一度私の手を握りしめ、ルドヴィス殿は離れた。
はずれくじを父に渡したファドルーン様は、座ったままの私の前で身を屈め、口のすぐ横の頬に唇を長々と押しあてた。
「傾城になってみたくなったらお知らせを。帝国全土を献上する覚悟で参上します。……ところで知っていますか? アルヴァンス殿も皇帝陛下のお気に入りなのですよ。陛下が私室に頻繁に招く程度に」
耳のすぐ横で紡がれたその言葉を聞き、私は慌ててアルヴァンス殿に顔を向ける。
今、ファドルーン様は何と言った?
「……皇帝陛下の、お気に入り?」
「そうです……だから私は辞退しようとしたのですが……」
まだ当たりくじを見ていたアルヴァンス殿は低く呻き、重苦しいため息をついた。顔色が悪い。
すっかり青ざめた勝者を横目に、メトロウド殿はどこか不機嫌そうな、だが最高ににこやかなままはっきりと告げた。
「ライラ・マユロウ。私はあきらめませんよ。特に相手がアルヴァンス殿ならば」
なんだか三人に好き放題に言われている気がする。
だがなぜ父はあれほど上機嫌なのか。なぜカラファンドが青ざめているのか。アルヴァンス殿以外の三人は、なぜこれほど落ち着いて見えるのか。
……私はまだ頭が良く動かない。
だが、たぶん全てがおかしい。それだけはわかった。