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28 過去と未来(3)


 アルヴァンス殿は全く抵抗しなかった。

 その伏せたままの目を自分に向けたい衝動にかられ、私はつかんだ手に力をいれて揺さぶった。


「ハミルドとメネリアの結婚を望んだのは私だ! その私がメネリアを傷つけるようなことをすると言いたいのか!」

「でもあなたは、ハミルド君を愛している」


 体を揺さぶられても、アルヴァンス殿は銀水色の目を伏せたままだった。しかしその声は静かで、感情が消えたような冷ややかさがある。

 だから私も、つられるように頭が冷えた。


「……そうですね。私はハミルドを愛している。愛していた。でも私が欲しいのはハミルドの純粋な愛情であって、息苦しい忠誠心ではない」

「それがあなたの本心ですか? あなたが夫に選ぶ条件は愛情ではないのに?」

「当然だ。私はマユロウ伯の地位を継ぐのだから」


 頭が考えるより先に、口から言葉がすらすらと出ていく。

 私は次期領主として育てられ、そうであることを自らに課してきた。だから私の言葉は本心だ。

 なのに、アルヴァンス殿の胸元をつかんでいた手は力を失って離れてしまった。

 アルヴァンス殿は無言で乱れた服を整える。

 ふと気が付くと、その顔は表情だけがすっかり抜け落ちたようになっていた。驚くほど整った顔をしていても作り物のようには見えなかった人が、今は冷たい大理石の像のようだ。こんな顔は初めて見た。


 いや、昔見た記憶がある。

 あれはいつの頃だっただろうか。

 確かアルヴァンス殿はまだ少年だった。

 作り物のように美しい顔にあるのは、やはり人工的に作られたような表情だった。

 そうだ。あれはアルヴァンス殿が初めてマユロウ領を訪れた時だ。

 初めて見たアルヴァンス殿は、今知っているアルヴァンス殿とは別人のように冷たい顔をしていた。子供心に、この人は楽しみも喜びも感じないのだろうかと疑った。

 だから私は、目の前の少年が生きた人間であることを確かめようとした。あの時私がしたのは一般的には非常識なことだった。

 私は微笑んだ。

 私の笑みに気付いたのか、アルヴァンス殿は動きを止めた。その右手をつかみ、昔そうしたように、彼の手の甲に口付けた。


「……ライラ・マユロウ?」


 手をつかんだまま目をあげると、動揺を隠せない顔があった。

 あの時と同じだ。目を大きく見開き、何か言おうとするのに言葉にできない口元も記憶のままだ。表情が戻ってきている。

 私は今度は声をあげて笑った。


「やはり、あなたは表情豊かな方がいい」

「……ライラ・マユロウ。以前も申し上げましたが、それはご婦人がやることではありませんよ」

「知っていますよ。今はね」


 笑いながらもう一度、今度はゆっくりと唇を押し当てる。

 マユロウの本邸で幼い頃から見慣れてきた武人たちの手ではない。

 都の優雅な貴族の美しい手。丹念に手入れをし、過酷な使い方もしたことがない優しい手だった。

 マユロウのような猛々しい地方領主たちなら、男のくせになんと軟弱なと笑うだろう。

 でも私は、アルヴァンス殿の手はとても美しいと思っている。護身用として武器を握っている私より、柔らかくてきれいな彼の手が昔から好きだった。


 しかし成人してからは、あまり触っていない。

 未婚の令嬢が異性に触るのははしたないという自覚があったからだ。宴の席では強引に手を握られて来たが、こうして私から触れたのは久しぶりだ。

 彼の手は昔の記憶のままに美しくて柔らかくて、でもやはり男性の手だから大きい。口づけすると一瞬強張った。

 だが唇を離した次の瞬間、アルヴァンス殿はやや乱暴に手を抜き取った。

 怒ったようには見えないが、何だかまた顔が硬くなった気がする。

 だから、手の美しさを褒めるのはやめることにした。


「失礼しました」


 まだ笑いを収められなかったが、真面目な顔を作ろうと努力しながら私はあやまった。

 男と言う生き物には、女にはよくわからない誇りがあるようだから。

 アルヴァンス殿は目をそらしていたが、左手で自分の右手を覆いこむようにつかんでいた。


「……私の方こそ、あまりにも失礼なことを言ってしまいました。お許しください」

「あなたが言ったことは何も間違っていない。私は詰めが甘いようだから」

「いいえ、私は……」

「お互いに悪かった。それでいいでしょう? それよりマユロウ家に伝わるくじはご覧になりましたか?」


 何とか笑いを消した私は、強引に話題を変えた。

 アルヴァンス殿は一瞬迷ったようだ。だが私の意思を尊重してくれたようで、そっと吐息をついてからゆっくりと首を振った。


「……残念ながら、まだ拝見していません」

「では儀式が始まる前の、今のうちに見てください。なかなか立派なものですよ」

「ライラ・マユロウのお誘いなら断る理由はありませんね」


 やっといつものように軽い言い方に戻り、アルヴァンス殿は私に目を向けて笑ってくれた。




 本邸に戻ると、外に出した台の上にくじが並べられていた。

 それを、ファドルーン様がいかにも興味深そうに見ている。どうやら定めの儀式そのものが初めてらしい。他家とは様式が違うのか、ルドヴィス殿も近くで見ている。しかしメトロウド殿はつまらなそうに遠巻きだ。隣り合っているから、くじの形も全く同じなのだろう。


「話には聞いていましたが、実物は初めて見ました。こんなもので家督相続まで決めるとは、よく納得できますね」

「神の信託のようなものですから。カドラス家にも同じ定めの儀式はありますが、最近では出征の人選を行いました」


 ファドルーン様とルドヴィス殿がそんな話をしているのが聞こえた。


「マユロウでは何度も家督相続について儀式を行っていますが、実は……始めから結果がわかっていたものもあったと言われていますぞ。時間が経つと消えるような印をつけたとも、明らかに違いがわかるくじを使ったとも言われていますが、真相は伝わっておりません」


 父が声を一応声を潜めて話しているが、少し離れたメトロウド殿はもちろん、さらに離れている私にも聞こえている。くじを見張っている長老があきれ顔でにらんでいるが、そんなことを気にするような父ではない。ちらりと父を見たメトロウド殿はため息をついていた。

 ……しかし三人とも、いつの間に本邸に来ていたのだろう。

 私は定めの儀式をすると決めてから、三人にはお会いしていない。なのに三人の様子も周囲の扱いも、どう見ても久しぶりのマユロウ本邸という感じではない。

 よほど不審そうな顔をしていたのだろう。アルヴァンス殿は私の視線の先をたどると、納得したように顔を覗き込んできた。


「ライラ・マユロウに会いにきたのではなく、マユロウ伯に会いにきたそうですよ。……そういうことになっています。だいたい毎日来ていたようですが、ライラ・マユロウとは顔を合わせていなかったのですか?」

「……定めの儀式まで会わないことになっていますから」

「意外に真面目な方々ですね。堂々と抜け道を使うかと思ったのですが。三人とも来ているということは、お互いに牽制していたのか」


 アルヴァンス殿はあきれたようにつぶやき、三人のいるくじの台のところへ歩いて行く。

 その後ろ姿を見ながら、私はふと足を止めた。

 アルヴァンス殿はそのまま歩く。台にたどり着くと、マユロウの長老たちに挨拶してからファドルーン様の横に立ってくじを見ている。

 その姿を離れたところから見ていると、私は自分の手が震えていることに気付いた。

 驚いて手を見ているうちに、自分が焦燥感にとらわれていることに気付いた。鼓動も早くなっている。

 私はいったい何に怯え、焦っているのだろう。

 目を上げると、メネリアと話しているハミルドの姿が見えた。アリアナはメネリアの手にしがみついている。お腹が大きいメネリアは娘の頭撫でながら、ハミルドに笑いかけていた。

 その幸せそうな光景を見ていると、心は温まるのに手の震えは止まらない。

 ハミルドの目が一番に探すのはメネリアだ。私は彼が忠誠を誓う次期領主。愛情以上の絶対的な感情だけがこの手に残った。心はまだ痛みを訴えるが、やや落ち着きを取り戻した私はおおむね満足している。

 ……では、私は何に怯えているのだろう。

 何を失うことを恐れているのだろう。

 震える手に力を入れて、ぐっと握りしめる。周囲は温かい陽光に満ちているのに、私の手はとても冷たくなっていた。

 

 

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