27 過去と未来(2)
冬でも温暖な気候であるため、マユロウ本邸の花壇はどの季節も美しい花で満たされている。
温かくなった今は、ちょうど夏まで咲き続ける花を植え替えたばかり。その見頃の花の中に、丁寧に石を敷き詰めた小道が曲がりくねりながら通っている。
その小道が気に入ったのか、アリアナは何度も何度も小道を歩いている。
私の存在を気にせずに笑顔が戻ったのを見定めると、すかさず手折った花を献上した。ありがたいことにアリアナは笑顔で受け取ってくれた。そればかりか、その花を持って小道を走り、戻ってくると私の足にしがみついてくれるようになった。
贈り物は成功したようだ。
思わず笑顔になっていると、ハミルドが私を見ていることに気付いた。
「カジュライア……ライラ・マユロウ。くじで結婚相手を選ぶと聞きました」
「情けない話とは思うが、誰を選んでいいかわからなくなってね」
「あなたの人生が変わってしまったのは私のせいです。無用な苦労を増やしてしまいました」
幼い娘の笑顔に目をやり眺めながら、ハミルドはため息をつく。
この二年ほどでずいぶん変わった。美しい顔立ちはそのままだが、大人の男性らしい落ち着きと威厳がにじむようになった。笑顔はあいかわらずとても柔らかい。将来有望な若い男であると同時に、若い父親でもある。
とても魅力的な男だ。
だからこそ、彼に負い目は似合わない。私は改めてそう考えた。
「メネリアとの結婚を望んだのは私だ。それにハミルドがいたままだったら、選べずに悩むほど立派な求婚者を得ることもなかった。女冥利に尽きるというものだ。運命はちょうど良いようにできていると思うぞ」
私はできるだけ明るい笑顔を浮かべる。
ハミルドは私を見つめていたが、やがて転びそうになりながら歩く愛娘に目を戻した。
「……メネリアは、男の子を産んであなたの娘を嫁にもらう気でいます。息子が生まれなかったら、アリアナにあなたの息子を貰い受けると意気込んでいますよ」
「私はまだ一人も産んでいないのに、気が早いな」
「メネリアもあなたに恩があります。だからあなたの血を引く子に小領地を継がせたいのですよ。あなたが産む子がどちらの性別でもいいように、メネリアは息子も産みたいのです」
「……私は子を産めるのだろうか」
「ライラ・マユロウ?」
「私は少し年齢が増えた。母は私より若く結婚したが、結局一人産むのがやっとだった。体質が似ていれば、私は一人も産めないかもしれない」
最近考えるようになり、胸に秘めていた弱音がつい口から出てしまった。
しかしハミルドは穏やかに微笑んだだけだった。
「その時は我らの子を差し上げます。誰でも、何人でもあなたのお望みのままに」
子煩悩な父親の顔をしているのに、ハミルドははっきりと言った。
そして笑みを消して近寄り、私の頬に片手を添えて視線を合わせた。
「ライラ・マユロウ。私はもうエトミウの人間ではありません。マユロウに属する人間です。あなたが望むならエトミウを敵に回してもいい。必要ならエトミウの力を利用することもためらいません。あなたは、エトミウ伯の嫡出子である私を最大まで利用していいただ一人の方だ」
優しい声と優しい目だった。
同時に、エトミウらしい酷薄さも漂わせている。
ハミルドは変わった。私を見つめる目にあるのは、今では愛情ではない。……もっと絶対的で揺るぎのない忠誠だ。
二年前の彼がこんな顔をしていたら、私はハミルドを手放さなかったかもしれない。心が私に向いていないと知りつつ、そばに置き続けたかもしれない。次期領主としてとても魅力を感じる。
だが私は、大切な優しいハミルドをメネリアに譲った。私の運命はハミルドとは重ならない。
ハミルドの目から逃れるように、私はアリアナへと視線を動かす。
胸に走った痛みを忘れようと、無邪気な幼女の笑顔を見つめた。
その時、メネリアの声が聞こえた。
娘を探している声だ。アリアナの名を呼んでいる。
ぱっと足を止めたアリアナは、顔を輝かせて早足で本邸へと向かう。ハミルドは一瞬ためらったが、促すように私が頷きかけると苦笑を浮かべて娘の後を追って行った。
私はと言えば、まだ治まらない動悸を抱えてその場に残った。
しばらく花を見ているふりをしていたが、急激に疲れを感じていた。かと言って、ハミルドを追う気にはなれず、花壇の奥にベンチがあることを思い出してそちらに向かおうとした。
しかし、すぐに足を止めてしまった。
植え込みの木のすぐ向こうに、アルヴァンス殿がいた。
鮮やかな赤い髪を認め、私はベルトにつけたナイフに伸ばしかけた手を戻した。
「気配を消して立ち聞きとは、褒められたことではないですよ」
「……すみません」
何か適当な言い訳をすると思ったのに、アルヴァンス殿に真面目な顔で詫びられてしまった。
アリアナを怯えさせないようにとか、綺麗な花があったからとか、そういう暢気なことを言うと思っていたのに。
まさか、本当に盗み聞きしていたのだろうか。
私がつい眉をひそめると、アルヴァンス殿は目をそらしたままため息をついた。
「マユロウ伯に様子を見ているように言われたのですよ。……しかし、ライラ・マユロウももう少し気を遣ってください」
どこか責めるような口調に、私は少しむっとした。
「何に気を遣えと?」
「……ハミルド君はもう既婚者で、あなたの婚約者ではない」
「それが何か?」
「軽々しく二人きりにならないでください」
「二人だけではないぞ。アリアナも一緒に……」
「あの子は離れていたでしょう? 私だってハミルド君が愚かな事をするとは思いません。でも周囲はそう見ないし……あなたが命じれば、ハミルドは今でも、いや今だからこそあなたのものになる」
命じる? 私が何を命じると言いたいのだろう。
一瞬戸惑ったが、しかし私はすぐに理解した。
怒りが湧き上がり、我を忘れそうだ。
「あなたは何を言っているんだ!」
私はアルヴァンス殿の胸ぐらをつかんだ。




