26 過去と未来(1)
ルドヴィス殿を見送った後、私は父の執務室に向かった。
夕方になっていたが、幸いなことにまだ父は執務室にいた。酒も入っていない。
そのことに少しほっとしたが、私はすぐに顔を引き締めて父の机の前に立った。
「父上にお話があります」
「用がなければここには来ないだろう。ルドヴィス殿はもうお帰りになったか」
嬉々として羽根ペンを投げ出した父は、私の言葉を待つ。
私は大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「マユロウの一族を招集してください」
父の眉が動いた。私はそれを無視して言葉を続けた。
「定めの儀式を行いたい。求婚者たちにくじを引いてもらいます」
「なるほど。そなたの夫を運命の告げるままに選ぶのか」
父は顎をなでる。そして立ったままの私を見上げて首をかしげた。
「だが、それでいいのか? 定めの儀式を行えば、そなたの意にそわぬ男が選ばれてしまうかもしれんのだぞ」
「あの方々なら、どなたでも問題はありません。皇帝陛下への申し開きにもなります」
「そなたがいいのなら、まあいいか」
そういうと父は立ち上がった。がっしりとして背の高い父は、さすがに最近は年をとったと思うがまだ十分にたくましい。今もなお若い女性がうっとりと見つめ、側室になりたいと頬を染めるのもわからないでもない。
正妻にもご側室方にも愛情を惜しまない父は、まさに恋多き男だ。
そんな男の娘なのに、私は恋を振りまけるほど器用な女ではなく、それなのに複数から一人を選ばなければならない。
私が密かにため息をついた時、父は扉を開けて家宰を呼んだ。
廊下の向こうから早足でやってくる足音を聞きながら、父は私に笑みを向けた。
「儀式を行うには、まず一族を招集してからになる。しばらく時間がかかるが……」
「公平を期すために、その間はどの方にもお会いしないようにしましょう。これからその旨の手紙を届けさせます」
「ふむ、妥当な対応だな」
私の答えに、父は満足そうに頷いた。
そして、入ってきた家宰に一族の招集と儀式の話をする。
家宰はため息をついて私を見たが、特に意義は挟まなかった。次期領主である私と現領主である父の合意事項は、一族の総意でようやく拮抗するほど強いのだ。
さっそく招集の書状の作成を始める横で、父は執務室を出ようとした私を呼び止めた。
「カジュライアよ。一族の招集となると、メネリアも呼ぶことになる。ハミルドは来てもいいのか?」
「……叔母上に会わせるために、メネリアは子を連れてくるはずです。ならば、子守が上手いハミルドも一緒の方がいいでしょう」
「ふむ。そうか」
それだけつぶやいた父は顎をなでた。
マユロウ一族の招集は五日後と決まった。
その日のうちに、領内に散らばった一族の元へ書状が送られた。私も三人の求婚者たちに定めの儀式を行うつもりであることを手紙で書き送った。
三人からは特に反対らしい反応はなく、私は密かにほっとした。
もし私が求婚者の立場だったら、生涯の配偶者をくじで決めるなどと言われて納得できるとは思えない。
しかし三人はあらゆる打算ができる人物ばかり。下手に反対してくじ引きから排除されるような事態を避けたのだろう。
一族の招集は順調にすすみ、招集期日には各分家の主だったものは全て本邸に集まった。
驚きがあったとすれば、メネリアが身重だったことか。
私がぼんやりしていた間に、従妹は二人目の母になろうとしていた。結婚して二年以上過ぎているのだから、決して早すぎるわけではない。しかし私は衝撃を感じてしまった。焦りもあっただろう。私は次期領主であると同時に、後継者を産まねばならない女なのだ。
一族は定めの儀式を行うことをあっさりと認めた。
領主の夫をくじで選ぶのだから、多少の苦言もあるだろうと思っていたのに、すでに状況は知れ渡っていたようで、出てくる意見は同情的ですらあった。まさかもう吟遊詩人たちが広めてしまったのかと慌てたが、どうやら父が面白がって手紙を送っていたらしい。
思うところはあったが、説明を始めからする手間が省けたと思うことにした。
定めの儀式が承認されると、あとはくじを引くのみ。
領主の家に必ずあるように、マユロウ家にも代々伝わるくじがある。マユロウがこの地の領主になって以来のものだから歴史は長い。
まったく同じ太さに削られた細くて真っ直ぐな木の棒で、一本だけにある当たりの印以外は見分けがつかないようになっている。
しかしそのくじは完全に公正でなければならず、木の棒に差異が全くないことを確認する必要がある。そのために、よく晴れた明るい日中にくじを蔵から取り出す。その日は二日後に指定された。
「今の季節はよく晴れるゆえ、残念だったな」
蔵から取り出されるのを見ていると、父がやってきてそんなことを言う。
どういうことかと首を傾げると、父は生真面目な顔でささやいた。
「儀式が行われる直前まで、止めることは可能だぞ。作業が遅れればその分よく考える時間になるではないか」
「私はすでに決めています。定めのままに受け入れます」
「ふぅむ。……しかし正直なところはどうなのだ? ファドルーン様になったら、皇帝陛下に召されてしまうのだぞ?」
「実物の私を見れば正気に戻るかもしれません。それに……」
マユロウの長老たちがくじを一本一本手に取り、光にかざして確認しているのを見ながら、私はわずかに苦笑した。
「ファドルーン様は、私が陛下にも無礼な口を聞くだろうと予想しています」
「無礼な口? ああ、なるほど。それはありうるかもしれん。なあ、ハミルドよ」
父の言葉を聞いて、私は慌てて振り返った。
少し離れたところに、幼子を抱いた若い男がいた。
穏やかな目に、少し困ったような表情を浮かべた繊細な美しい顔立ち。私と目が合うと、懐かしい優しい笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「ハミルド。……それに、アリアナだったか」
私は従妹の子の名前を思い出しながら笑みを浮かべる。
一歳を数ヶ月すぎたはずの幼い娘は、私を見て一瞬おびえて父親にしがみつく。そういえばこの年頃は人見知りをするのだったと思い出した時、ハミルドは娘の頭を優しく撫でた。
「アリアナ。母上の従姉だよ。ほら、よく似ているだろう?」
「メネリアとカジュライアは似ているか? 顔立ちは似ているかもしれんが、まとう気の違いは大きいぞ」
「そうでもありませんよ。子供に笑いかける顔はそっくりです」
父の言葉に、ハミルドは穏やかに返す。
その間も幼いアリアナは私をじっと見ていた。しっかりと父親の服を握りしめつつ、私が気になっているようだ。泣かれないだけ良かった。
「カジュライアよ。ハミルドとアリアナを向こうの花壇に案内してやれ。あそこなら幼子が歩き回っても危なくはあるまい。カジュライアも最近は子供と接しておらぬだろうから、触らせてもらうがいい」
「……わかりました」
父の意図は定かではないが、ここは人が多くて幼子の無邪気な散歩には向かないのは確かだ。
私はハミルドと警戒の消えないアリアナを花壇に案内することにした。




