23 結論の出し方(2)
「……もう、うかがいません」
私にしては珍しく激昂気味に、だが低い声でそういうとそのまま立ち上がった。
さすがにファドルーン様もやや慌てて立ち上がり、扉に向かおうとしていた私を引き留めた。
「失礼しました。少々冗談が過ぎてしまったようだ」
扉の前に立ちふさがったファドルーン様を私は睨みつけた。
相手が皇帝陛下のお気に入りであろうとなかろうと、私のマユロウとしての血はあまりにも猛々しくて、時として自分でも抑えがきかなくなる。今がまさにそうだ。
それに、私は少し傷ついていた。
ファドルーン様は本当に度量が大きい。どんなものでもすべて受け入れてしまう。どんな人間でもどんな思想や風習でもどんな食べ物でも、すべてそのままで受け入れてしまう。
私は正直言って、ファドルーン様のそういうところには引かれていた。
それなのに、この方が私に笑いかけていたのは皇帝陛下の御意があったからなのだ。他の求婚者同様、あまり熱心な求婚者ではなかったが、私が見たかぎり、他の二人はそういう飾りや偽りはしていなかった。一族の意思はあっても、自らのためにマユロウに来ていた。
なのに最も偽りとは遠いように思えたファドルーン様が、実は自分以外の利益のために私に笑いかけていた事になる。
「今後、この部屋への入室を拒否します。もちろん、マユロウ領にご滞在の間はファドルーン様への援助は続けさせていただきますし、父にお会いくださることは今まで通りにどうぞ。しかし私は、もうあなたの顔を拝見したくはありません」
「ライラ・マユロウ」
「次期マユロウ伯として、これ以上の侮辱は許せません。皇帝陛下の御不興を買うことになろうとも、マユロウ領を潰すと脅されようとも、私は侮辱を許せるほど広い心は持っていません」
私はそう言いきってしまった。
激昂していても、頭のどこかが冷静に分析する。
皇族への不敬罪として罰せられても仕方がないかもしれない。それでも私は軽く見られたという怒りを抑えられなかった。
ファドルーン様は大きくため息をつき、表情を消して私と視線を合わせた。
「……わずかな弁明も許されないかな?」
表情を消したファドルーン様は、今までの人当たりの良さも消えていた。
これが本当の姿だろうか。私の怒りは少し冷えた。
「少しなら拝聴しましょう」
「では、言おう。私は皇帝陛下よりあなたを紹介された。富と地位を持った、都から遠い独立貴族の一人と聞いて興味を持った。これ以上政争にも後継者争いにも関わりたくなかったから、全くいい条件のように思えたのだ」
その言葉は、初めて顔を合わせたあの最悪のときと同じだ。だからでまかせではないと分かり、私は少しだけ眉を開いた。
ファドルーン様はそれを見逃さず、ほっとしたようだ。いつもは巧みに隠している年齢相応の少年の名残がよぎる。
「陛下はこう申された。ライラ・マユロウの心を得られたら、皇族から除籍してやると。つまり私は争いから逃れられる。そのかわり、結婚を認めるかわりとして条件を出された」
「それが、私を召し上げること、と?」
「言い訳のように聞こえるだろうが、初めは悲劇の令嬢の顔を見てみたいというだけだったのですよ。それが次第に、陛下は本当に興味を持ってしまった。私になびかない女性は滅多にいないからね。時間とともに興味が膨らんで、痺れを切らした陛下は強行に出てきてしまったのです」
苦笑するファドルーン様は、確かに美麗で魅力的だ。
そして私は情けないことに、ファドルーン様の美貌を見ているうちに怒りが消えてしまった。
これは他の求婚者に対してもそうなのだが、美しい貴公子というものは、見ていて悪い気がしない。
しかしあの皇帝陛下直筆の手紙は、やはり恐ろしいものだった。ファドルーン様の話を聞いているとしみじみとそう思う。
「それで、あなたは私の夫になったとして、私を皇帝陛下に差し出すおつもりなのですか?」
「差し出すなど、あなたがそう言う女性ならばね。あなたはたとえ皇帝陛下相手であろうとも、はっきりと申されるだろう。私を得たいのなら皇帝の地位を捨てるか、後宮全てを捨てるかして欲しい、というくらいはね」
「……まさか」
「違いましたか?」
ファドルーン様はようやく笑った。輝くような笑みだ。
私はと言えば、否定したかったがそう断言できないような気がしていた。確かに私が言いそうな暴言だ。
「私としては、あなたにおねだりされてもいいのですが。……皇后の椅子が欲しいとか、帝国全土が欲しいとか」
ファドルーン様は彫像のように整った顔で笑っているが、その目は一瞬ぎらりと光った。言葉の内容も危険そのものだ。
野心はない方だったはずなのだが、こういう方向のやる気は出さないでいただきたい。
ささやかな地方領主一族として、私は完全に聞こえなかったふりをした。
しばらくして私はファドルーン様に目を戻した。
「ファドルーン様」
「何か? ライラ・マユロウ」
ファドルーン様は私が機嫌を直しているのに気付いているらしく、いつもの笑みを浮かべている。私はのぞき込んでくる美しい顔をしげしげと見つめ、ようやく口を開いた。
「私が他の方を夫に選んだら、ファドルーン様はどうしますか?」
「どうしようもないですね。潔く身を引きます」
「そして他の財産家の女性を探す?」
「探してもいいですが、しばらくは傷心を抱えて旅にでも出ましょうか。とりあえず、マユロウから離れ、遠くの地から結婚祝いを贈ります」
私はファドルーン様が冗談を言っているのか、本気なのか、判断できなかった。
笑っているように見えるが、目はいつになく真摯な光を帯びている。私は何と言っていいかわからなかった。笑い飛ばしていいのか、目を伏せればいいのか。
ふと、先ほどのアルヴァンス殿の目を思いだした。
「……アルヴァンス殿は、私の求婚者であることをやめると言っていました」
唐突に私がそう言うと、ファドルーン様は眉を動かし、私をテーブルへと促した。ファドルーン様は薄めた葡萄酒に柑橘を絞ったものを用意してくれ、自分も一口飲んでから口を開いた。
「それが本当なら、私は失礼ながら喜びます。彼が一番勝者に近いと思っていますから」
「アルヴァンス殿は勝ち目がないと言っていましたが」
「御謙遜を。迷いに迷ったあなたが、一番選びやすいのは彼ではありませんか?」
ファドルーン様の言葉は私の心に突き刺さる。
それは、正しい。恐らくそれが事実だろう。
同じマユロウの血。幼いころから見知った相手であり、私が強引に押し切ることのできる相手。
私が気楽に接することができて、マユロウの内情や気風をよく知っている人物。
……酒を飲みすぎることと、顔が良すぎて人目を引きすぎる点は欠点かもしれないが、それを上回る利点ではある。
「アルヴァンス殿が身を引いてくれるのなら、私もそれほど不利ではない。皇帝陛下付きというのは、不利であるが有利でもある。そうですね?」
ファドルーン様はそう笑うが、私は答えられなかった。
そうなのだ。アルヴァンス殿が求婚者でなくなった今、私は本当に誰かを選ばなければならない。一時しのぎの逃げ道はなくなってしまったのだから。
私はファドルーン様から目を離してため息をついた。




