18 風雲急を告げる(1)
求婚開始から、気がつくと半年が過ぎていた。
私は二十三歳を超えた。求婚者がいなかったら、周囲からの同情と圧力で滅入っていただろう。
しかし肝心な求婚者たちはと言えば、実にのんきな日々を送っていた。
その際たるファドルーン様は、避寒地に遊びにきたと思っているのではないか。もしかしたら亡命の気分かもしれない。そのくらい、都のことを忘れたようにマユロウが用意した別宅でくつろいでいた。マユロウの本邸にくる日も、気分転換の食事会か談話室に行くくらいに思っているのではないか。
メトロウド殿にしても、マユロウの軍事力の視察が主な目的なのではないかと思う時がある。父所有の武器類も幾つか譲られていて、いかにも充実しているようだ。マユロウの武人たちも、エトミウの戦略などを学ぶようになり、両領土の間には友好的な交流が増えた。
ルドヴィス殿にいたっては、絶対にマユロウ内の顧客獲得が目的だと思う。母やご側室方はルドヴィス殿の手土産品以上に買い求めた新しい衣装や装飾品にうっとりとし、マユロウ産の布地なども大商人パイヴァー家が積極的に買い入れてくれるようになった。
このように様々な益が生まれ、互いによく理解することはできたが、いわゆる進展というものはない。
私に結婚という意志が希薄なので大きなことは言えないが、私の求婚者たちは、本当に私と結婚したいと思っているのだろうか。
最近そう言うことを考え始めていた。
この辺りにしては珍しく、その日は天気が悪かった。
冬が終わって雨の少ない季節になっていたのだが、久しぶりに朝から雨が降っていて、メトロウド殿が館に来たころには嵐のようになっていた。
こんな日にまで来なくてもと思うが、メトロウド殿はどんな日でも馬車は使わない。マユロウ家が用意した家からだからそうたいした距離ではないが、雨風が強まった中、メトロウド殿は単騎やってきた。
一方、今朝から気分がすぐれなかった私は自室に引きこもっていた。
そんな私の部屋の扉を叩いたとき、着替えを終えたメトロウド殿に雨に濡れた痕跡はなく、いつものように一分の隙もない姿をしていた。
「こんな日まで、御苦労ですね、メトロウド殿」
いささかだらしなくイスにもたれ掛かっていた私は、愛想がいいとは言えない声を出した。
しかしメトロウド殿は気にすることはなく、慣れた様子でイスに座り、侍女が持ってきてくれた温かい飲み物に手を伸ばす。さすがに体が冷えたのだろう。
「お加減がよくないそうですね」
「よくない。胃がむかむかして食欲もありません」
私は飲み物に添えられている甘い菓子から目を逸らす。
全身がだるくてたまらなかった。急に冷え込んだから体調を崩したのだろうか。
私は朝から乱れたままの髪をかき上げた。メトロウド殿は身体を温める薬草茶を手に私を黙って見つめていたが、木製の器を置くと身を乗り出した。
「つかぬ事をお伺いするが……」
メトロウド殿は、本当に珍しく声をひそめた。私が目を向けると、優美な眉間にはしわまで寄っている。こういう顔も魅力的に見えるとはうらやましい。
しかし続く言葉は、予想もしないものだった。
「ライラ・マユロウ。私以外の方とお会いになる場所は、どこですか?」
「は……?」
私は髪から手を放し、真面目な表情をしているメトロウド殿に見上げる。
メトロウド殿は周囲を見回し、私がもたれかかっている長イスに移動して座り直すと、私の耳にささやいた。
「……月の障りはおありですか?」
「月?」
月というと、空に輝くあの月だろうか。
いやそうではないだろう。とすると……月の障りといえば女性特有のあれだ。
しかも有無を聞くとなると質問の意図は一つだけだ。
しばらく呆然としていた私はようやく思い当たることにいきあたり、メトロウド殿の黒目がちの目を見つめた。
「もしかして……私が妊娠しているとでも……?」
「違いますか?」
メトロウド殿の顔はあくまで真剣だ。
そういえば、メトロウド殿には姉か妹かがいたはずだ。その姉か妹には子供がいたような記憶がある。それですぐにそういう推測にいたったのだろう、とぼんやりと考えた。
私はどういう反応をすべきか悩んだ。いや悩んでいるつもりだったが、メトロウド殿の胸ぐらをつかんでいた。
やはり私はマユロウの血が濃い。
「どうして私が妊娠するんですか!」
「男と女が同室すれば、起こりうる事態ではありませんか?」
私は一瞬絶句した。
メトロウド殿はあくまで真剣で、あとは正気を疑うしかない。
「……私に、そう言う事態がありえるとお思いか?」
何度も深呼吸を繰り返して呼吸を整え、私はできるだけ冷静であろうとこころがけた。
絞り出すように問いかけると、メトロウド殿はやや困ったような顔をした。顔立ちがいいから、こう言う表情もよく似あう。
「私とお会いの時は、そう言うそぶりは拝見しないが……」
「他の女性ならいざしらず、私相手に何を考えておられるのか!」
ついつい叫んでしまった。
しかしメトロウド殿は胸元をつかんでいる私の手を両手で包み込んだ。突然のことに私は戸惑い、とっさに衣服から手を放す。しかしメトロウド殿はそのまま私の手を握り込んでしまった。
こういうときにも関わらず、メトロウド殿の大きな手はやはり武人の手だと感じる。しっかりと厚く、手のひらは硬い。
「あの……メトロウド殿……?」
「私の時はあなたはいつもこういう方だが、他の方の前ではどうなのです?」
「ど、どうって、いつも同じですよ」
やや動転した私は、イスに張り付いて退こうとするが、メトロウド殿は覆いかぶさるように身を乗り出してきて手を放してくれない。それどころか、獲物を追い詰める猟犬のような目をして端整な顔をじわりと近づけた。
「他の方に手を握られたことはありますか?」
「あ、あ、ありません!」
みっともなくどもってしまったが、宴では泥酔状態の人に手を握られたことはあったと思い出す。
しかし素面ではハミルド以外では初めてで、私はこういう状況に馴れていない。メトロウド殿はそんな私を見て、にっこりと笑って手を放してくれた。
「では、私は他の三人に先んじたということですね。光栄です」
メトロウド殿は立ち上がった。
そしてまだイスにくずれ込んでいる私を楽しげに見下ろした。
「そうだ。医者をお呼びしたほうがいいでしょう。手が熱かった。熱が出ておられますよ」