(5)占い
ギルドでミストと別れた後も、律はオイゲンら四人の冒険者と共に行動していた。
その日は、五人で一部屋の大部屋を借りることによって出費を抑えた宿に泊まることになった。
現代っ子からすれば、宿というより山小屋の延長線上にあるような代物に思えたが、野宿よりはマシだった。少なくとも厄介な毒虫や、獣の存在に怯える必要がない。干し草に布を被せて作ったベッドも、不衛生に思えるが、今までは土の上に直に寝転がっていたのだし、毎日干し草を交換していると聞けば、ある種の趣がある寝床を得たと考えられなくもない。
宿代は、デジタル表示の腕時計を売って得た当面の資金から出ている。同じ宿に滞在すれば十日前後宿泊可能という程度の金だ。いずれ尽きる電池という存在を教えてしまったがために、買い叩かれてしまった。
ミストは親切ではあるが、商人である。抑えるべきは抑え、締めるべきは締める人種だった。
それでも、対異世界専用の質草として倉に用意されてた、二束三文でまとめ買いされたであろうガラクタにしては、良い値がついたことに疑いはない。
――これから、どうしようか。
五人の人間の好意のおかげで人里にたどり着けたが、今後も彼らの好意に甘えっぱなしになるわけにはいかない。たまたま知り合い、拾われる形となったが、彼らが律に割けるものは、金銭にしろ気持ちにしろ、有限だ。
彼らに甘えていられるうちに、可能な限りの金銭や知識を得ておかなければならない。
そうすると、腕時計の対価として得た金銭だけでは、資金として心許ない。当初ミストが言っていたように、自転車を売るべきなのだろう。惑いの森の中にある屋敷にはまだ他の自転車がある(屋敷に遭難せずに帰れるかはわからないが、何故だか大丈夫だという根拠のない確信が律の中にはあった)。帰り道はずっと歩きでの移動になるが、渡り人とバレること――目立つことは避けたいので、ちょうどいい。四人の冒険者たちも、これに同意してくれた。ミストはあと五日間この街にいる予定らしいので、それまでに自転車を彼が滞在する宿に持って行けば、相応の対価を得られる。
しかし、素直に彼のところへ売りに行くには引っかかることがあった。
“リツ君は獣人が好きなのかな? であれば、どうだろう。自転車の代金は金貨十枚と獣人の戦闘用奴隷一人で”
この言葉を聞いて、表に出そうになった感情をとっさに押し殺すことができたのは、今までの短い人生で経験した理不尽が、その年の子どもに比べて多かったせいだろう。
律は性別を持たずに生まれたことで、謂われのない誹謗中傷、無責任な噂を向けられることに慣れていた。それらに心が傷付けられたことを、他人に悟られることのないよう自身を戒めていたから、こういった、負の感情を表に出さないことにだけは長けていた。
だからこそ、日本人特有のアルカイックスマイルで“やっぱり少し考えさせていただいてもいいですか? ぼくにとっても大事な故郷の縁なんです”と、ミストに不自然に思われないような、全く思ってもいない故郷の縁などという言葉選びで、回答を先送りにできた。
「奴隷……奴隷かあ……」
ファンタジィの世界。地球ではない世界。
地球でも一昔前にはいた奴隷という存在が、この世界にも存在するということ。それは、異世界に渡った人間が用心深い性格ならば、早くに予測できたことだった。
律は異世界に転移することを事前に知っていた。突発的な転移でなかったのだから、異世界について考えを巡らせ、この可能性にもっと早く気付いていなければならなかった。何の後ろ盾も持たない“渡り人”であるからには。
いつ情勢が変わって、異世界の人間が奴隷という存在に貶められるのか、常に危機感を抱いて行動していなければならなかったのだ。
それを考えずにいたのは、難しいこと、嫌なことを考えないようにする、夏休みの宿題を先送りにしてしまう子どもと同じ行動だったというのに。そして、それは命が掛かっている分、余計にタチが悪いことだった。律の行動に一族の存在が掛かっていることは、地球から離れるぎりぎりまで言われ続けたことなのに。
「――なんだ、まだショック受けてんのか、ボウズ」
声を掛けられて、一人ではなかったことを思い出す。
女性二人は体を洗いに行っているし、カインは消耗品の補充をするため、未だ宿には足を踏み入れていない。律は旅装を解いたオイゲンと二人、荷物番という名の休憩をしていたのだった。
「坊主はやめてよ……」
こういう気分の時に、揶揄を込めた呼びかけに対し、寛容にはなれない。それでも強い調子で言わないのは、今まで許容してきたことを、今日には翻すという行為が、決して褒められた態度ではないという考えがあったからだ。
干し草のにおいのするベッドに顔を押しつけ、そうすれば嫌な気持ちがすべて吐き出せるのだと信じているかの様子で、律は長く、くぐもった唸り声を上げた。
息が続かなくなってやっと、律は唸ることを止めた。五月蠅かっただろうに、その間、オイゲンは律の子ども染みた行動を止めず、黙っていた。
「……オイゲンさん」
「どうした……リツ」
律儀に、しかし少しだけ言いづらそうに名前を呼ばれ、律は微かに口の端を上げた。
「この国の獣人って、みんな奴隷だって、本当なの?」
「ああ。本当さ、例外は……ないな」
肩を竦めて答えるオイゲンから、それに対する個人的な感情は読み取れない。
何をどう尋ねたいのか、聞いてほしいのか、整理がつかず、再び律は顔を伏せた。
「――仕方ない。あの人は、ミストさんは商人で、ラズワルドの出身だ」
律のショックの原因が奴隷という存在だけではないことに、経験豊富な大人は気付いていた。
「利益を得る見込みがあったのだとしても、異世界から来たぼくには親切で、優しかった。なのに……人を、獣人って種の人を隷属させるのに、何の疑問もないんだね……」
「獣人は人間に仕えるものってのが常識の国で生まれて育った人だからな。商人である分、他国にも行くから、生粋のラズワルド人より獣人奴隷の扱いはいい方さ――何の咎もなく、獣人ってだけで奴隷に落とされた奴らには、慰めにもならんがな」
奴隷は、どの国にもいるのがこの世界の普通らしかった。
通常は罪を犯した者への刑罰として社会への奉仕、定められた期間内での人への隷属がある。獣人イコール終身奴隷という図式は、歴史から見てごく最近、突如定められた、ラズワルドにのみ適用されるルールだった。
「昔はこの国も、他の国みたいに獣人と人間がごちゃごちゃ歩いていたらしいが……今は自由な獣人はこの国に絶対に近寄らねえ。狩られるからな」
「いきなり法改正されて、獣人は奴隷とするべし、ってなったの……? 信じられない、よくそんな恐ろしい国に住んでいられるね、この国の人は」
「うん? どういう意味だ?」
「だって、今まで隣人だった人が、明日には奴隷になったっていう実績のある国でしょう。いつ自分がその立場になるか、想像しないのかな……」
「さあ……想像力のない馬鹿の多い国なのか、想像できても行動できない人間が多いのか……まあ、どっちもだろうよ」
想像力の豊かさを失っていない律は、ラズワルドという国が怖かった。
「この国……あんまり居たくないな」
次の方針は考えるまでもなく決まっていた。
◇ ◇
「自転車はミストさんに売るのね? なら次はお嫁さん探しの手掛かりね」
夕食を終え、明日には自転車を売却する旨を伝えると、当然のようにスーリヤは言った。
「お姉さんが占ってあげる!」
「……ふーん」
女系一族とも言える望月一族では、朝の星座占いから始まり、手相、人相、タロット、守護霊、ティーカップ等々、どうポジティブに考えても胡散臭さがぬぐえない、雑多な占いの餌食になるのが男の役割である。妻や娘、姉妹に勝手に運勢を占われ、聞きたくないのに結果を聞かされる。影響されやすい男は朝から盛大にヘコまされてから通勤・通学するという悪夢の環境が整っているのだ。
信じると、たいそう矛盾した行動を取らなくてはいけない日がほとんどなので、律は占いの結果は右の耳から入れて、左の耳からタイムラグなしに通過させることにしている。目には瞼があるから情報をシャットアウトできるが、耳には蓋がないからこその処置だ。もしも人類に最初から耳栓が備わっていたら、確実に占いという情報は、律の耳から通行止めを食らっていただろう。
「その反応、信じてない! これでもスキル持ちなんだから、“千里眼”には及ばなくてもちゃんと当たるのよ!」
「スキル?」
「そうよぉ。魔法だけじゃないの、あたしのスキルは。――まあ、あんまり使わないから、レベルは高くないんだケド」
剣と魔法と、奴隷にスキル。ダークファンタジーをベースにしたシナリオのRPG世界に迷い込んだと言われたら、素直に納得してもいいように思えた。
「スキルねえ……渡り人のぼくもスキルって使えるのかな?」
「確証はないが、おそらくは」
小首をかしげて、ルルーが肯定する。
占いよりもスキルという存在に気を取られた律が気にくわないのか、スーリヤは両手で律の顔を挟んで、強引に自分の方へ向けさせた。その際鈍く鳴った骨の音に、男性陣がうわあ、という表情で首を大事そうに撫でた。
「スキル取るのもタダじゃないのよ、自転車売ってから考えなさい。それより、まずは嫁!」
自分が嫁取りするわけでもないのに、スーリヤは熱心だった。
首に寝違えたような痛みを与えられた律は、首が痛まない不自然な角度に顔を傾けたまま、“お姉さんの占い”を見守った。
彼女は杖を倒してのたまう。
「西ね!」
「……それが占い?」
律は胡乱げな視線を隠しもせずに言った。
地球では、分かれ道に差し掛かったときに行う占術だ。利点は誰にでもできること、欠点は効果が気休めでしかないこと。似たような占術に、テスト時における鉛筆転がしがある。欠点は言うまでもなく、自由記述式のテストでは全く歯が立たないところにある。
「本当よ、次に行くべきは西!」
そりゃあ、このまま東へ行って、ラズワルドなんていう怖い国の最奥部へ進むつもりなんて更々なかったが、それにしたってあんまりだ、と律は思う。
「もっとこう、説得力のある占いはないの」
親切心で占ってくれたのは、かろうじて分かったが、この占いの結果を信じて西へ向かったと思われるのは嫌だった。
「スキル使ってるからこれ以上ない説得力なのに!」
「ほら……リツは渡り人だから」
「世界が変われば常識も変わるということだろう」
「そう怒るなよ。おまえの占いに俺たちはちゃんと助けられてきたぜ?」
なぜか、律が非常識で、物覚えの悪い、駄目な子扱いされていた。
表情には出さないけれど、非常にショックだった。
「本気で、それ、説得力があるの? スキル、だから?」
「そ・う・よ! スキルを使えば杖の倒れる先にどんな障害があっても、杖は占う先に倒れるわ。その威力ときたら、カインのあばら骨を二本折れるくらい」
ピースサインでにっこり笑うスーリヤ。冗談かと思えば、カインは真顔で肯定した。
「すげー痛いぞ」
「障害さえなければころんって、転がるんだけど。あのときはごめんねぇ、カイン」
「あー……まあ、いいさ。過ぎたことだ。でも占うときは周りを確認してからにしてくれ。今みたいに避けようのない狭い室内はちょっと、な……」
「今まさに危険だったのかよ!」
ますます占いを敬遠せざるを得ない。考えたくもないが、地球にこの占いというスキルが持ち込まれたら、望月一族の男性に降りかかる悪夢はもっと酷いものになるんだろう。
「じゃあ……西に行くね。ご親切な……アドバイスに従って」
「そうしてちょうだい、親切なあたしの占いに従って西へ」
「……」
……西といえば、マルバム連邦共和国があるという。それよりももっと西なのだろうか、杖の指し示す場所は。
「マルバム連邦に行けってことかな」
「それより向こうかもな。――ホレ、見てみろ」
がさごそと、先ほどから物音を立てているかと思えば、オイゲンは律のために荷物の中から地図を引っ張り出してくれていた。
マルバム連邦共和国のさらに西は、海がある。洋上にはキルミツ皇国という島国があり、そのずっと西の向こうには大陸があるとのことだが、オイゲンが持っていた地図には載っていない。
「連邦か、皇国。もしかしたら別の大陸かもしれないって……どうやって探せばいいんだ?」
途方もない難事業だ。今すぐ諦めてしまいたいくらいゴールが遠い。過去の偉人たちは数十年かかる事業に対し、どうやってモチベーションを保ってきたのだろう? 切実にその方法が知りたいと、律は現実逃避気味に考えた。
「とりあえず、連邦の首都だな」
カインの指が差したのは、マルバム連邦の中央から少しだけ海側に寄った場所だった。
「ここにはそりゃあ有名な“千里眼”っていう占い師がいるんだ。スーリヤのスキルとは比べものにならないくらい、詳しく、ピンポイントで当て物をする。予約制だとか聞いた気がするから、早く行って、予約だけでも取った方がいいだろうな」
「そうね。専門職にかかればお嫁さんなんてすぐに見つかるわよ」
四人の大人たちは、安心させるように笑って律を見たが、曖昧な笑顔しか返せない。
敬遠したいのに、首都でもっとすごい占い師のお世話になる必要があると聞いて、人生の厳しさをまた一つ味わった心地だった。




