(1)呪いと異世界
深夜。
故人、そう呼ばれるようになってしまった老人――望月総司。夕刻から始まった彼の葬儀はとうに終わり、その人柄が偲ばれるように多く集まった弔問客の姿も、今はもうない。
冬ということもあって虫の声もなく、時折吹く風が木々を揺らさなければ、時の流れを忘れそうなほど、恐ろしく静かな夜。
その、人を落ち着かなくさせるような静寂の中、一人の少年が空を見上げていた。
少年の名は、望月律。
望月という名が示す通り、故人の関係者で、望月総司の一番年若い孫にあたる少年だった。そして、今日から望月総司が持っていたすべてのものを受け継ぎ、彼が背負っていたすべてのものを負うことが決められた少年でもある。
律は、喪服から平服に改めることもせずに、寒空の下、ただぼうっと月を眺めている。
彼の頭の中を占めているのは、伯父を通して受け取った、祖父からの手紙。今となっては遺書と呼ばれるそれを読み終えたのは、つい先程のこと。
『望月の男子が代々継承してきたのは、家や財産などではない――呪いだ』
死者からの手紙に書かれる内容としては、最高に嫌われる言葉選びだ、と律は思う。
なぜ若輩の身でありながら、遺産のほぼすべてを受け継ぐことになったのか、そしてなぜそれに対して誰も文句を言わないのか……そういった、周りは理解していて、律だけが理解できていない、その状況を説明してくれるものだと、そう期待して読み始めたのに、書いてあるのはオカルトじみた言葉。
「嘘くさい……よなあ」
異世界に飛ばされる呪い、なんて。
普段、律を嫌い抜いているとしか思えない態度の、しかし一族のことを誰よりも思っている堅物……真面目な伯父の肯定がなければ、老人の戯言だと斬って捨てていただろう。
そして、遺言の証明となるように用意された、地球の科学力では作ることのできない物。いわゆるオーバーテクノロジーの塊を見せられては、信じたくなくても信じざるをえない。
鉄も焼き切れる光の剣、なんてSF映画の中だけのものだと思っていたし、まして呪いだなんてものに関わることになろうとは、予想だにしなかった律だった。
呪い。
オカルトでSF、そしてファンタジックなその存在が、いつ望月という血族に関係し始めたのか。
手紙によれば、それは始祖の代から始まるということなので、それはもう昔のことなんだろうな、とは思う。しかし生憎、律は伯父ほど一族に対して誇り、自己というものの拠り所……そんなものを求めたりも、抱いたりはしていなかったので、わざわざ家系図を紐解いたりはしなかった。そもそも、そんなものがあるのかどうかすら、知らなかったし、有無の確認を行うこともしなかった。
確認をしたのはただ一点のみ。
『異世界に渡ると、生物は歪む。お前は異世界で生を受け、地球に戻ったから歪んでいるのだ』
この言葉の真偽だけだ。
――望月律には性別がない。
戸籍上は十六歳の少年、ということになってはいるが、彼には外性器と内性器、そのどちらもが存在しなかった。
父親は、生まれてきた我が子に不具の烙印を押し、それを産んだ妻にも子にも用はない、とばかりに出て行った。
生まれて初めて成したことが、一つの家庭の破壊。
その原因が、呪いであり、異世界である、と手紙は語る。
地球ではないどこかで生まれてしまったせいで、性別を持たず、父親に捨てられることになった……。
そういうこと、なのか?
だとすれば、なぜ、父親にそれを説明をしなかった?
……いや。
父のことだ、そんな説明をするような人間を、たとえそれが真実であろうとも、まともに扱うはずがない。真偽がどうあれ、呪いを受け継ぐと自認するような血族と、一時でも関わったことを後悔して、同じように去っていったことだろう。
結局、どうしようもない別離だった、ということだ。別段珍しくもない、一つの家庭の終わり。ただ、律にとって、別れに伴う痛みが、尋常ではなかったというだけの話で。
「異世界へ行けば性別を取り戻す……」
それが本当なら、嬉しいことのはず……だ。律には確固とした男の意識も、女の意識もないが、少なくとも生活の中で奇異の目で見られることはなくなる……。母や姉も、そういう視線に晒されることがなくなるのだから。
しかし、性別を取り戻すということは、一族の男子に課せられた義務を果たす必要が出てくる、ということでもある。
義務。
つまり、次代を成し、異世界にて人を助けること。
意味のわからない義務だ。と、最初に聞いたときに思った。前者はともかくとして、後者が。呪いと異世界と人助け……これが一体どんな繋がりを持つのか。
だが、これもまた、理解できていなかったのは律だけだったらしい。
血族はすべて了解していた。
それは何も、律が疎まれていたとか、そういうことではなく、この話は成年を迎えてから伝えられるのが普通だというだけのことだ。律が一族で最も年若い――唯一の未成年だったというだけの話だ。
――律だけが知らなかった話。
一族の始まりは、過去ではなく未来にあるという、おとぎ話。
呪いという因子を一族に持ち込んだ男。望月一族の末裔だったと言われている、始祖の男。
呪いを受け継いだ末裔が、異世界に渡り、その世界で女を助け、助けられた女はその恩に報いるべく男の妻となる。そして男と家族が戻った先の地球は、浦島太郎とは逆で、時間は過去に進んでいた。
その時から強制的に末裔から始祖へと存在を変えられた男は、呪いを子に残し、一族は繁栄して……現在に至る。
鶏が先か、卵が先か、というそんなレベルの、無限ループのおとぎ話。
この呪いの本当の始まりは、一体なんだったのだろう。
いずれ始祖と成る末裔は、一体いつの時代の人間なのだろう。
そんな疑問が律の頭によぎるが、考えても詮無いことだ。
大事なのは因果。
呪いを持つ男子が異世界に行く場合、それは、望月の始祖となる可能性があると言うこと。
わずかでも可能性があるのならば、そこで人を助け、過去の地球に帰還した場合には子を成すこと――そうでない場合にも、子を成し、次代へ呪いを受け継ぐこと。
そうでなくては、ねじれた円環に囚われた一族は、存在すらできなくなってしまう……。
「一族消失のタイムパラドックスを防ぐために異世界へ……死にたくなければ偽善を承知で人を助けよ。…………無茶を言うよなあ」
思わずぼやいてしまう程度には、難事業だ。
女を助ける――具体的にどこの誰を助ければいいのかわからないのだから。
取りあえず、女という性別にカテゴライズされる存在を助け、そのうちの誰かを伴侶とすればいいのだろうか?
それとも片っ端から助ける傍ら、片っ端から手をつける……そういうことを求められているのだろうか?
……いや。いやいやいや、これはないだろう、さすがに。
「…………まあ、とにかく、嫁取りに行くってことか?」
随分と即物的なファンタジィだ。夢というものをわかっていない。
そして初恋も未経験の十六歳に求めるには、高すぎるハードルだ。
しかし、そんな文句も言っていられない。
手紙によれば、呪いの力が最も増すのが、満月の晩――――今夜なのだから。