赤と銀③
ディードとロナは同時に踏み出して、瞬時にロナの姿が掻き消えた。ディードの人工眼球がロナの姿を捉えたと思った瞬間には、すでに別の人工視界に飛びこんでいる。
(空中機雷の射出口を集中させたことで、飛行速度が爆発的に上がったのか!)
エトゥンミュレの速度は厄介だ。悪霊ほどの速さではないが、しかしエトゥンミュレは絶えず動き続けているため、悪用にあった動作の間隙や予備動作などが一切存在しないのだ。
ディードの背中で爆裂が弾けた。飛行時の垂直翼を兼ねた背鰭が砕け散る。
エトゥンミュレの機能が逆転していた。第一形態では身代わりで撹乱しつつ奪った能力で攻撃していたが、第二形態では本体の速度で撹乱しつつ空中機雷で攻撃を仕かけてきていた。
(戦闘に関して素人のロナさんは、不意打ち以外の戦法じゃ勝率が低い。はめて倒す以外の必勝戦術となると、攻撃させずに勝つってのが現実的な選択肢ってことか)
高速飛行で逃げるディードを、ロナが右に左に蛇行しつつ追いかける。ディードの飛行を優雅な曲線とするなら、ロナの飛行は荒々しい直線と鋭角だ。ディードの巻き起こす風圧で水面が割れ、ロナによって波頭が滅茶苦茶に引き裂かれる。
「アナタがアイゼリカ姉さんを殺した!」
「そうさ。俺がアイゼリカさんを殺した」
その引き裂かれた波頭が、ロナの軌道をディードに知らせていた。ディードはロナの軌道を先読みし、槍の刺突を繰り出す。エトゥンミュレの速度がどれだけ速かろうが、ペルテキアの性能とディードの経験値を合わせれば対処できなくはない。
ディード最速の攻撃ですらロナにとっては遅い。槍の穂先をすり抜けてディードの間合いから退避。しようとして、背筋を駆けた本能的な悪寒に思わず上体を伏せていた。
真後ろから引き戻された大鎌がロナの頭上に襲来し、逃げられてなお右肩を引っかけていく。
突進力や機動性、単純な筋肉量そのもので言えば、ペルテキアは第二形態よりも第一形態のほうが優れている。獣の肉体構造が人間より優れている点は多々あるが、しかし人間にとって最も適した肉体構造が人型であるのは言うまでもない。
ペルテキアの第二形態は、人間としての体術を最大限に活かすための形態だ。
「そしてお前もアイゼリカさんを殺したんだ」
ディードの言葉にロナの息が詰まった。その一瞬を突いてロナの右上腕に左回し蹴りが突き刺さり、金属骨格をへし折る。
「お前がアイゼリカさんを止めていれば、彼女は死ななかったかもしれない」
「そんなことは分かっている!」
ロナは折れた右腕でディードの左足首を摑んだ。爪が食いこみ、銀血が滲む。
ディードは躊躇いなく自らの左膝を切断した。直後に爆裂が弾け、ロナの右腕が炎に呑みこまれ、ディードの左下腿とともに消し飛ばされる。
ロナが自らの右腕を犠牲にしたように、ディードも左脚を犠牲にして距離を取っていなければ、危うく左半身を持っていかれるところだった。
「だからワタシはアナタを殺す! 殺して、アイゼリカ姉さんの無念を晴らす!」
爆炎を突き破って出現したロナは一直線に急上昇して制空権を握る。周囲一帯に空中機雷が銀色に輝く粉雪となって降り注ぎ、湖面で次々と爆裂の花弁が開花する。
「お前の意見なんか聞いちゃいねえよっ!」
ペルテキアの鉄鎚が湖面を叩いた。水面が噴火したかのような水飛沫が上がり、大量の水で空中機雷の爆裂が押し流される。叩きつけられる水流でロナの動きも止められた。
「一々他人の意見なんか聞いていて、人を殺せるわけないだろうが!」
ディードは右手で腰当てから三本の突起を引き抜き、投擲。投剣となった突起がロナに飛翔し、右脛から下を奪っていく。
「ワタシだって人殺しの弁を聞くつもりなどありません!」
それでもまだ、エトゥンミュレの機動性は奪えない。気付いたときには、ロナはディードに突っこんできていた。すれ違い様に姿勢制御翼が肩当てを破壊して翅を奪い、置き土産の空中機雷が爆裂。
全身の装甲が砕け散り、ディード自身も爆風にふっ飛ばされていた。ディードは湖面を切って転がり、水面の端を飛び越え、廃墟街の真っ只中に突っこんでいく。
「ああそうだ、俺は人殺しだよ。自分で決めてそうなった」
ディードの右手と薙刀が銀血に染まっていた。五指が握っているのは銀色の肉片。ロナの胸部が丸ごと抉り取られ、脈動する心臓と肺、人工肋骨が剥き出しとなっていた。遅れて、薙刀に切断された左脚が湖面に激突し、沈んでいく。
「俺は〝あいつ〟もアイゼリカさんも嫌いじゃなかった。だけど殺した。
誰も殺したくなんかなかった。誰もが人の死なんて望んじゃいないんだ。だけど殺した。
殺さなければもっと多くの命が奪われると、悲劇が繰り返されると確信したからだ」
「アナタが正しいのは分かっている。知っている。だけど受け入れられない!
アイゼリカ姉さんを手にかけたアナタが、どうしてもどうやっても許せない!」
立ち上がったディードと、降り立ったロナの視線が激突する。二人には妥協点など存在しないことが分かっていた。
どちらかが死ぬしか、この問題に決着をつける方法はないのだ。
「ワタシはアナタを殺すことしか目に入らない!」
ロナの激昂に呼応して、体中から滝のように空中機雷が放出された。それはまるで銀色の雪崩だ。空中機雷が結合され、第一形態のエトゥンミュレが作り出される。
それも数体だけではない。次から次へと、何体も何体も、エトゥンミュレの身代わりが銀色の雪原の中から立ち上がってくるのだ。気がつけば廃市街は千体に及ぶエトゥンミュレで埋められていた。
活動時間の六分間分を消費した、エトゥンミュレの最大稼動が放たれていた。身代わりから速度に変化していた撹乱能力は、さらに最大稼動において物量へと変化したのだ。
一騎当千に及ぶエトゥンミュレの大軍隊が、一斉にディードへと雪崩れかかる。
ディードがエトゥンミュレの一体を斬り捨て、爆裂。人を丸ごと呑みこむ爆炎が膨れ上がり、しかしディードの姿は遥か前方を駆けていた。
「確かあんたらは、自分たちを正義の復讐者だとか言っていたな」
進路上のエトゥンミュレを斬り捨てつつ、ディードは一目散にロナへと走る。
「だったら俺は悪でいい。誰かを生かすために誰かを殺し続ける、ただの悪でいい」
ディードは大斧の最大稼動を発動させ、さらに全身の最大稼動をも発動させる。
エトゥンミュレの最大稼動が同時発動なら、ペルテキアの最大稼動は重ねがけだ。
悪霊の例と同様、一千体のエトゥンミュレを前にして逃げ道などない。ディードの選択肢は一つ、最大稼動同士の真っ向勝負のみ!
ディードと一千体のエトゥンミュレが正面衝突! 銀色の波濤に真紅の刃が激突し、割って入り、左右に切り裂いていく。人間爆弾、いや爆弾人間どもがバラバラに解体され、四肢や内臓や脳漿や血液代わりの空中機雷が撒き散らされる。
ペルテキアの破壊力の前に、エトゥンミュレどもは蟻の子を踏み躙るように蹴散らされていく。しかし一千体という物量の前では、ペルテキアといえど無力でしかない。
解体されたエトゥンミュレの破片、飛散した空中機雷が組み立てられて新たなエトゥンミュレとなり、無尽蔵の軍団として再びディードに襲いかかってきた。
ディードの突進力が僅かだけ弱くなる。その一瞬の隙を突き、エトゥンミュレの一体がディードに取りつく。
そこから先は瞬く間の出来事だ。ディードの腕に、脚に、胴に、数百体のエトゥンミュレが飛びつき、組みついて、巨大な銀色の小山と成り果てる。
ロナはディードが圧殺されるのを待つつもりなどない。即座に全ての空中機雷に起爆を命じる。銀色の小山を形作る全ての空中機雷が同時爆裂! 一軒家に匹敵する体積の爆弾が全てを一瞬で緋色に仕立てる。それはまるで小型の太陽が生まれたかのようだ。
その太陽を食い破って真紅の異形が飛び出した。
ディードは爆発を追い風に超加速。0秒もかけずロナの鼻先まで接近し、大斧を一閃。
同時にロナも迎撃の爆撃をディードに叩きこんでいた。
轟音と爆裂が広がり、銀血と左腕が宙を舞う。ディードの左腕が消し飛ばされ、手から離れたペルテキアが上空で回転していた。その隣では肩口で切断されたロナの左腕が同じように回転している。
先に体勢を立て直したのはディード。即座に反撃すべく振り向いて、しかしその視界からロナは消えていた。
ロナはディードの左にいた。左腕と左脚を失ったディードの死角から、ありったけの空中機雷を叩きつけようとして、
ロナは吐血した。腹部を襲った衝撃に両目を白黒させる。
視線を下ろしたロナが目にしたのは、あるはずのないディードの左腕。変身が解けて生身となったディードの左拳が、ロナの腹部に突き刺さっていた。
「悪いね。十分だ」
にやりと唇を歪めたディードの左手は、奇妙な形に変形していた。
左の拳と手首の骨が折れていた。元々悪霊によって複雑骨折を起こしている上、兵錬武の装甲を素手で殴ったのだ。腕を壊さないほうがおかしい。
変身の解けたディードの出で立ちに、ロナは全身の血液が凍りついた気がした。患者衣をまとっただけのディードは、打撲で皮膚を変色させ、血の滴る縫い痕を敷き詰め、眼帯の下の左目は喪失している。生ける屍としか思えない状態で激闘を繰り広げ、なおかつ優勢に立っている現実が理解できなかった。
ロナは空中機雷を撒き散らし、爆裂の反動で距離を取ろうとする。爆裂が弾け、ディードの右膝から下が肉片に変えられる。
ロナは驚愕に目を剥いた。ディードがその爆裂を踏み台に加速してきたからだ。
ディードはありったけの力を籠め、残った左脚で大地を蹴る。一歩だけでよかった。ディードの右拳がロナの胸部に突き刺さり、貫いて、心臓を破壊して背中に抜ける。
いや違う。感触がおかしい。
ディードが違和感の正体を理解したのは、変身の解けたロナを目にしたからだ。右腕に貫かれたロナの背後に、もう一人のロナがいた。
ディードに貫かれたエトゥンミュレが爆発。至近距離で爆発を受けた二人はふっ飛ばされ、地面を転がり、仰向けに倒れる。
二人は全身に火傷を広げ、エトゥンミュレの破片を突き刺し、満身創痍だ。
ディードの口と鼻からは血が流れ出していた。元から内臓を痛めていたのに加えて、ロナによって輪切りにされた部位の傷が開いていた。爆発で左脚も折れたらしく、両腕両脚が使い物にならなくなって動くことさえできやしない。
ディードにかかる影。エトゥンミュレの破片を握り締めたロナだ。
ロナの顔色は青かった。全身の火傷と裂傷、それに内臓損傷で、常人なら激痛に転げ回っているはずだ。しかしロナの有り余る憎悪と執念が、傷の痛みを忘れさせていた。
「分かっていたさ。いつか、誰かが俺に復讐しにくることくらい」
「なら、大人しく自分の責任を果たしなさい!」
「だったら笑えよ」
ロナは疑問符を浮かべた。ディードが何を言っているのか分からない。もしかしたら、無様な自分を笑えと自嘲しているのだろうか?
「昔、俺にこう言った男がいた。『俺の決断だから、どんな失敗も悲劇も笑って受け入れられる』ってね。そいつは笑って死んでいったよ。
あんたが決断したんだ。だったら笑って俺を殺せよ」
ディードのそれは、挑発にも似た叱責だ。ロナはそこで初めて、自分の顔が強張っているのに気付いた。
「俺に復讐したいんだろう? それが正しい選択だと信じているんだろう?
だったら笑えよ。どうして笑えないんだよ?」
「ワタシ、ワタシは……」
ロナは分からなくなっていた。
ディードは数多くの人間を殺してきた。ディードはそれら全ての遺族感情を覚悟して、それでも笑って背負ってきたと宣言しているのだ。
果たして自分にそれができるのか? ロナは全く自信が持てなかった。
復讐を誓ったはずだ。決意したはずだ。しかし覚悟なんかできていなかった。いつか目の前にディードの復讐者が現れたとしたら、自分はどんな顔を浮かべるのだろうか?
ロナは天を仰ぎ、大きく深呼吸した。思考が落ち着くにつれて、心の奥底から湧き上がる感情を再確認する。
「それでも、ワタシにとってはアナタよりアイゼリカ姉さんの命のほうが重い。でなければ復讐を決意しなかった」
血を吐くような本心だった。唇が噛み切られ、口の端を血が伝う。
「だから今は止めておきます」
ロナは覚悟の足りなさを自覚したからこそ、ディードを殺すことはできないと悟った。
ロナは復讐鬼だ。復讐を達成したいからこそ、危険要素は排除したかった。
「……また会いましょう」
そう言い残して、ロナは廃墟へと消えていった。すぐに足音も聞こえなくなる。
「…………今になって考えると、これがあいつの目的だったのかもなぁ……」
誰もいなくなった廃墟の中心で、ディードは独り言を口にしていた。
「俺を負傷させてロナさんと互角にして、追い詰めて限界を突き詰めて、その上で引き分けにして二人を生き残らせる」
どうしてそんなことをする必要があるのか? 回りくどい上に目的が分からない。
しかし思い返してみれば、十年前といい八年前といい今回といい、連中の考えが理解できた覚えなどなかった。
「あー……くそっ」
ディードは短く呟いて、折れた右手を動かした。途端に右腕が千切れたかと思えるほどの激痛が暴れ回り、少しずつ動かして懐から煙草を取り出す。
煙草を口に銜え、火をつける。青空に漂っていく紫煙を見つめていると、何もかもがどうでもよく思えてきた。
どうでもいいではなく、どうにもならなかった。
自分がアイゼリカを殺したことでロナという復讐鬼が生まれ、そのロナも逃がしてしまった。
結局は《白銀の影》も黒幕も名探偵も、事件そのものが悪霊の掌の上だったのだろう。
眼帯の下の左目は、医療用マイクロマシンによる再生中で猛烈な痒さを訴えてくる。
何より残念無念なのは、この負傷では童貞卒業旅行は中止ということだ。
「上手く行かねえなぁ」




