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ドレッドレッドさんの家庭の朝①

 耳に滑りこんできたのは、規則的で単調な音の連続だ。そこで自分が目覚めていることに気付いた。

 ディードが瞼を開くと、最初に無機物の同居人が視界に入った。

 緑色の合成繊維の皮膚に、体の半分を占める巨大な頭。頭を半分に割る大きな口には、軟い牙がぞろりと並んでいる。釦で作られた無機質な眼球は意思などないにも関わらず、こちらをじっと覗きこんでいるように思えた。

 鰐のぬいぐるみの向こう側、室内は暗闇に沈んでいた。ベッド頭の飾り棚には、鰐の他にも河馬に兎に狼、麒麟や駱駝に蛇といった有象無象が寄せ集められている。

 それら同居人の中心にいるのは、黒羊の執事と百合の花の精のぬいぐるみ。

 ディードは寝起きの億劫さで手を伸ばし、黒羊のぬいぐるみを左手で鷲摑みにして、右手で目的の物体を探す。見かった。

 眼鏡を顔に引っかけ、ベッドから立ち上がり、壁まで歩いて照明をつける。

 最初に目に入ったのは、部屋の半分を占める大型のベッド。というか部屋が狭いので、ベッドと箪笥を除けば足の踏み場しかない。

 寝室に窓がないのは、避難壕を兼ねて地下に建造されているからだ。床下には避難用品と貴重品が常備され、箪笥の裏には秘密の抜け道まである。

 このご時勢、いつ何時兵錬武による犯罪が起こるか予測できない。兵錬武犯罪の専門家であるACCが、寝ている間に家ごと消滅、なんて事態はさすがに御免こうむりたい。

 ディードは下着姿のまま床板が張ってあるだけの寝室を進み、箪笥の引き出しを引く。内部は見事なまでに赤一色、かと思いきやキャラクター物や花柄、動物柄のシャツ、使い古された合成革のパンツやジーンズなど、意外と良心的な品々が並んでいた。

 ディードは少し考えて、改めて仕事着の段を引き出す。見事なまでに赤一色だった。

 ディードは片手に着替えを携え、上履きを履き、階段を上がって、家の中心に出る。

 足取りの終点、台所にはすでに人の姿があった。軽快な音を響かせ、規則正しい律動で包丁が上下している。ディードを眠りから起こした音の正体だ。

 前かけ姿の女性は手際も鮮やかに、鼻歌混じりで朝食を作っていく。鍋の中の汁を味見しようとしたところで、背後のディードに気付いた。

「あ、お早う」

「おう、お早う」

 ディードとスティは笑顔を浮かべて朝の挨拶を交わす。

 二人が同棲を始めてから、すでに一か月が経過していた。

「もう少しで朝ご飯できるから、ちょっと待ってて」

「んじゃ、その間に風呂でもいってくるか……」

 ディードは廊下を戻り、脱衣所に入って、籠に着替えと眼鏡と黒羊を突っこむ。下着を脱いで、『アナタの汚い下着と一緒にしないでよ!』なんて言われたら嫌だなぁと、未来の不安に怯えながら洗濯機に放りこむ。

 浴室に足を踏み入れると、正面に設えられた鏡に自分の姿が映された。

 昨日の火傷だけでなく、ディードの全身には大小古今の様々な傷跡が敷き詰められている。擦過傷に打撲、創傷に刺傷、弾痕。右手の四指と右脚、左足首は、途中から奇妙にも無傷となっていた。一度失われたのを再生させたためだ。

 ACCやPMC、軍人には珍しくもない負傷の数々だ。現代の医療なら失った手足や内臓の再生すら可能だが、重傷でなければ自然治癒に任せるのがいいとされていた。つまり今現在残っている傷痕は、比較的軽度のものばかりという意味だ。

 ディードは傷痕を勲章として誇る、武人気質の持ち主ではない。強いて思い入れがあるとするなら、背中一面に広がる無数の刺傷と、肋骨の骨折。スティを庇って受けた傷と、シェラと同じく《大戦》時の古傷だ。

 蛇口を開き、シャワーからの熱い湯を額から浴びる。火傷に沁みて一瞬体を竦めるが、すぐに慣れて痛みは遠くなっていく。

 ディードは改めて、スティとの出会いから交際に至った経緯を思い返してみた。大学の卒業を控えて《厄介者の群》を下見した折に、スティと出会ったのが九か月前。

 初対面で殴り合いを始めて双方病院送りとなった二人が恋仲になるなど、周囲どころか本人たちですら予想していなかった。

(…………あれ? 惚れるきっかけとかあったっけ?)

 ディードはあまり深く追求しないことにした。人類の全てが自分の好みを正確に把握しているわけでもあるまい。きっかけなど、興味程度の些細な出来事で充分だった。

 ディードは髭を剃り、髪を濯ぎ、体を洗って、浴室から出る。着替えを終えて戻ると、食卓には色取り取りの朝食が並べられていた。

「ちょうど珈琲が入ったところよ」

 スティがお揃いの陶器の杯に漆黒の液体を注いで、ディードの杯に角砂糖を三つ、自分の杯には一つ入れる。ディードは食卓の端に黒羊のぬいぐるみを置く。

「それじゃあ、」「いただきます」

 二人一緒に口にして、朝食に手を伸ばす。

 ディードは自家製酵母のパンを齧り、サラダを咀嚼し、スープで流しこむ。

「うん、スティの作る料理は本当に美味いな」

 言って、ディードは椅子ごと後ろに倒れた。直後鼻先を掠めたのは、冷たい光沢を放つフォークの槍だ。フォークに刺さっていた白身魚の焼き身を咀嚼しつつ、ディードは体勢を戻す。

 ディードは恋人の行動を完璧に予見していた。それでも疑問が口を突いて出る。

「……なぜ、褒めて致命傷を負いそうになる?」

「だって、ディードが恥ずかしいことを言うから」

 スティは頬を赤らめてそっぽを向き、フォークの先端で空中に『の』の字を書く。

「……そうか」

 ディードは口の端に笑みを貼りつけた。血管の浮かび上がった拳に、野菜とチーズの挟まれたパンを握りながら。

「だからってフォークはないだろっ!」

 ディードの拳が繰り出された。スティは回避しざまにパンを食い千切る。

「ディードなら避けると思っていたからよ!」

 スティもバターの塗られたパンを投げてきた。ディードは避けずに一口でパンを頬張り、しかし欲張りすぎて気まずい顔のまま咀嚼を続ける。

「お行儀悪い!」

 そこに飛んできたのはスープの入った皿。ディードは円盤投げの要領で受け取り、水分の力を借りて口の中のパンを一気に嚥下し、大きく深呼吸。

「熱湯も危険球すぎるだろーが! お前時々本気で殺しにきてるだろ!」

 ディードはパイ包みを投げる。スティの口が受け止めて、喉を反らして貪っていく。

 その後も次々と、朝食が槍となり砲弾となり応酬されていく。気がつくと食卓に並べられていた朝食は綺麗に平らげられていた。

 この現象を通常の光景に還元するなら、「あ~ん」に「おいちぃ」といったところか。

 食事が落ち着いたところで、スティは自分を見つめるディードに気付いた。

「何よ? そんなに見つめられると……その、恥ずかしいじゃない」

「いや、スティは素敵な彼女だなぁと思ってさ。料理は美味いし、ついでに可愛い」

「……性格は?」

「? 何を言っている?」

「性格は褒めないの?」

「いや、それは、褒められたもんじゃないから」

 ディードは冗談を言っている表情ではなかった。膨れっ面になったスティはぷいっとそっぽを向いて、壁の時計が目に入る。

「そろそろ時間かしら?」

「そうだな。それじゃ出勤の準備でも始めるか」

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