三者三様①
「そっち詰めろよ」
「アナタこそ詰めなさいよ」
ディードとスティは一人用の椅子に二人で腰かけ、互いの領土を拡大するべく諍いを起こしていた。それぞれの顔に掌を押しつけ、力の限り押し退けようとする。
「お前の顔は至近距離で見ると失明するおそれがあるだろうが!」
「根も葉もない妄言を吹聴するな。私が目潰しを繰り出すのは、アナタが私の気に障ったことを言ったときだけよ。つまり今だけど!」
突き出されたスティの指先は、ディードのこめかみを掠めて観葉植物に命中した。太い幹が二本の指によってあっさりとへし折られる。
「……次はないからね?」
「今のは失明を飛びこえて頭蓋が砕けるところだったじゃねえか!」
ディードとスティは額を突き合わせて睨み合った。ディードは眉間に皺を寄せ、スティは柳眉を逆立てて、それぞれに威嚇の唸り声を発する。どことなく猫の縄張り争いを連想させた。
「貴方が賞金首の横取り如きで会談を設けるはずがない。どういう用向きだ?」
シェラは不遜な態度で脚を組み、クラーブの対面に陣取っていた。腕を組んで背を反らし、とても女性とは思えない貧相な胸部を強調する。
シェラが三人がけの椅子を一人で占領しているので、ディードとスティは椅子を奪い合う羽目に陥っているというわけだ。
「同僚の前だからといって、照れ隠しする必要はないだろう。シェラは可愛いなぁ」
クラーブの物言いが勘に障ったのか、はたまた万に一つも図星だったのか、シェラは即座に顔を背けた。クラーブは微笑を浮かべる。
スティは頬肉を限界まで引っ張られながら、(照れてるの?)の視線をディードに向けた。ディードは自前の三つ編みで首を絞められつつ、(俺に冷血眼鏡の表情が読めるわけないだろう)の視線で応える。
ディードとシェラ、それにスティが案内されたのは軍の施設だ。《白銀の影特別対策室》と銘打たれた一室には、クラーブの他に二人の人物が姿を見せていた。
一人は科捜研のロナ・カークケイト、もう一人は軍人らしき青年。
「カークケイト嬢とシェラは軍時代からの友人だったな。では、彼を紹介しておこう」
クラーブは傍らの青年に目配せした。応じて青年は一礼する。
長身の肉体に、クラーブと同じ黒基調の軍服。律儀そうな見た目はよく言えば誠実、悪く言えば馬鹿正直な印象を受ける。精悍な顔付きをさらに顎鬚が補強していた。
背中に携えている槍は、軍の試作型兵錬武《KC‐ZE》。
「彼の名はカスツァー・ワイゼル。私の副官だ」
「お前は、」「アナタは、」「貴様は、」
三人は戦慄すらまとって驚愕していた。まさか、そんな、いや、間違いない!
「「「苛められっ子だな!」」」
「なぜ分かった!」
身にまとう独特の雰囲気から、昔は苛められっ子だったのだろうと連想、というか直結完結させられる。動揺を丸出ししているのも小物感に拍車をかけていた。
スティが何の脈絡もなくカスツァーの頬をモロに殴った。カスツァーは熟練の匠が醸し出す独特の味わい深い情緒を伴って真横にかっ飛び、慣れきった動作で壁に激突。勢い余って開け放たれていた窓に乗り出し、予定調和のような自然さで落下していく。
カスツァーは窓の真下に位置するゴミ置き場に墜落した。衝撃で舞い上がった樹脂バケツが時間差で頭部に落ちて間抜けな音を奏でるという、達人の芸当まで披露する。
「……なぜ……殴った……?」
「苛められっ子と聞いたら殴らずにはいられない」
ディードの疑問に、スティはしれっとした態度で暴力の必然性を主張する。
「あの、ワイゼルさんは無事でしょうか?」というロナの心配は、全員から無視された。
「四階からの落下程度で、私の心を折れるものか!」
しかしてカスツァーは、何事もない様子で階段を駆け上がってきた。
「長年の苛めに耐え抜いた、私の耐久力と辛抱強さと泣き寝入りを甘く見るなよ!」
カスツァーは人として何か負の方向に開き直っていた。
「デリット隊長も、仮にもここは特別対策室です。窓を開けておかないで下さい」
「いや、しかし、カスツァーが落ちるだろうと思って……」
クラーブの狼狽は副官の剣幕にではなく、理不尽な逆切れを返されたことに対してだ。カスツァーの視線は疑わしげに細められる。
「……どうして私が落ちるだろうと予測しつつ窓を開けておいたのです?」
「私が部下の存在意義を取り上げるような悪徳上司に見えるのか?」
クラーブの瞳は純真無垢な子供のように円らだった。
「苛められる存在意義などいりませんよ……」
カスツァーは早くも諦めた。立ったまま泣き寝入りするみたく、深く深く項垂れる。
「では本題に移ろうか。君たちは《白銀の影》を知っているかね?」
「確か、最近ソニス市で政府要人連続殺害事件を起こしている犯人一派の名称だったな」
シェラの返答にクラーブはやんわりと首を振る。否定の意だった。
「その認識には弱冠の齟齬がある。正確には政府の要人ではなく、革命軍の幹部だ」
「そうか、それであの場に《白銀の影》が現れたのか」
シェラは即座に理解した。おそらく銀色の炎の人物も、軍の無線を傍受してジェスドの居場所を突き止めたのだ。そして運悪く自分たちと鉢合わせしてしまい、変身前の姿を目撃されたかもしれない杞憂から口封じに攻撃してきた、そんなところだろう。
「彼らが《白銀の影》による被害者だ」
クラーブに促されて、ロナは無数の写真が貼られた白板を押してくる。銀血に塗れて絶命した老人、同じく銀血の飛び散る手洗い場で圧殺された中年女性と、写真の半数には銀血が写されている。もう半数の写真に写るのは、首の切断面を炭化させた軍人に、全身を焼きつくされて黒炭の塊になった人物と、おそらく炎による殺害。
「《白銀の影》による犯行は、大きく二つの手口に別けられます。銀血による殺害と、おそらくシェラたちが遭遇した人物による炎を使った殺害です」
「我々はこの二人を、〈聖銀〉に〈銀炎〉と呼んでいる」
ロナの解説をクラーブが引き継ぐ。ディードの口元には失笑が浮かんでいた。
「不死の秘薬とされた水銀にちなんで〈聖銀〉に、炎で〈銀炎〉か。えらく直球だな」
「安易な名称のほうが、歴史的に見ても人々の記憶に残りやすいのだよ。革命軍の幹部、現在は政府要人の連続殺人だ。これはもう、建国以来の一大事だ」
そこでクラーブは肩を竦め、「まだ建国から十年も経っていないがね」と、皮肉と苦々しさを等分した笑みを浮かべる。
「君たちを呼んだのは他でもない。この事件に関して、君たちに協力を仰ぎたいのだ」
「? 何で軍がACCに頼みごとをしてくるの?」
「……ベルゲルシア……お前、それは……本気で言ってるのか?」
如何にも脳みそが足りていない発言をするスティに、ディードは「ああ、そういえばお前、中卒だったな」と自己解決の納得を呟いた。
「いいか? ACCと軍は同じ兵錬武犯罪を扱っているが、そこにも厳密な境界線がある。軍は複数の都市を跨ぐ大犯罪や組織的な犯罪を、ACCは都市内での日常犯罪って風にな。
軍とACCは、ACCの前身であるPMC時代から協力関係にあった。今も軍だけじゃ解決の難しい事件や賞金首の捕縛は、ACCに協力を申しこんでいる、ってわけだ」
スティは「なるほどー」と相槌を打って理解の意をしめした。しかし視線は明後日の方向目がけて泳いでおり、誰の目からも理解しちゃいないのは明らかだ。
ディードは頭の悪すぎる商売敵に、懇切丁寧に説明してやる大らかさはない。
「いや、やはりおかしいな」
そこにシェラが口を挟む。
「銀炎の兵錬武はとても複製だとは思えない。つまり、真製兵錬武の可能性が高い」
シェラは緊張に喉を鳴らしながら言葉を発した。
真製兵錬武。その名がしめす通り、現在販売されている民間企業によって複製された兵錬武ではなく、《新生の轍》によって製造された原型の兵錬武を意味する俗称だ。
複製兵錬武を戦車とするなら、真製兵錬武の戦闘力と危険性は核兵器に等しい。市場流通している兵錬武など、真製兵錬武の劣化複製でしかないのだ。
「だとすれば我々のような中堅ではなく大手、それこそ《ミリオンAC》や《ジェラウッド》社と組むのが自然なはずだ」
「え? それは、凶暴眼鏡のペルテキアも真せ……」
皆まで言わせず、ディードは観葉植物の鉢をスティの頭に振り下ろしていた。鉢が真っ二つに割れ、スティの髪が土塗れとなる。先ほどまでの小動物の小競り合いではない、残像すら発生させる音速攻撃だった。
ディードは頭を押さえて悶絶するスティの足首を引っ摑み、ミニスカが裏返って下着丸出しになるのも構わず、廊下に引きずっていき、扉を閉じる。
「紐パンだったな」「ええ、紐パンだったわ」「初めて見ました」「紐パンは正義だ」
女性二人の痛い視線が突き刺さり、クラーブは慌ててカスツァーを盾にした。