変わる世界②
「あー、こちらは地獄の一丁目のACC《ブラック・プライド》……」
『私よ、私私』
「え? 何? 逆に詐欺?」
「誰だ?」
「アイゼリカさんだよ」
どうも会話が噛み合っている気がしない。思わず尋ねてしまったシェラに、ディードは携帯の通話口を手で押さえ、小声で答えた。
「ああ、あの《ゾルキス》社のか。日常的に連絡を取っているのか?」
「向こうから一方的にな。俺からは携帯番号を教えるときに一回だけだ」
シェラは「そうか」とだけ短く応えた。やはり多分に漏れず、ディードの顔と凶暴性を目当てに近付いてきた変態だったようだ。
「それで、どういう用向きですか?」
『友達と話しするのに、特別な用事が必要なの?』
ディードは途端に眉根を寄せた。アイゼリカの言うことは間違っていないが、そこそこ面倒臭がっていることくらい察してくれと。
『どうせ今も暇してたんでしょ? だからお姉さんが相手でもしてあげようと思って』
アイゼリカなりに気遣った末の結論らしい。さすがにディードも無下にはできない。
『私も休憩時間を有効活用してるだけだしね』
つまりどちらかと言うとアイゼリカの暇潰しらしかった。年上のお姉さんの手管に、ディードはぐうの音も出ない。
ディードは退屈していない自分に気付いた。(やっぱり振り回され体質なのかなー?)という、若干の諦めとともに。
『人間関係と言えば、シェラさんとは上手におつき合いしてるの?』
「ええと、今、隣にいますけど……」
『ディード君は、好意の対義語は嫌悪じゃなくて無興味だって知ってる?』
「ええ、まあ……」
『その理論でいくと、ディード君はシェラさんに無興味じゃないし、避けようとしている私にも興味がある、ってことよ? 携帯には出るし着信拒否もしてないから、本気で嫌がってはいないでしょ』
「! いや……それは……」
ディードの呼吸が途絶する。ディードは本気で追い詰められていた。年上の女性に勝てた例がない、百戦全敗の経験が悪い意味で発揮されていた。
「貴様は年上の女に滅法弱いな」と茶化すシェラに、ディードは「嫌味かよ」と苦々しげに表情を歪める。
「《大戦》で両親が死んで、姉ちゃんに女手一つで育てられりゃ、嫌でもそうなる」
『本気で嫌がってないなら、昼休みに食事をするくらい大丈夫でしょ?』
もはやディードは、貞操の危機を感じる段階に陥っていた。過去に要求された変態行為による初体験未遂事件を思い返すと本気で怖くなってくる。失禁しそうだ。
自分でも女性恐怖症を発症しないのが不思議と思える、陰惨な出来事の数々だった。
『聞こえるか眼鏡ども?』
だから電動車の通信機から声が聞こえた途端、ディードは有無を言わせずに「すみません、仕事です」と携帯を切った。絶好の助け舟の出現に、抱きつくような勢いで電動車の窓に上半身を突っこませる。
「髑髏眼鏡か。聞こえてるぞ」
『軍の無線を傍受した。数分前に賞金首の居所が判明し、すでに軍の部隊が出立している。眼鏡どもの現在地からなら、軍より早く到着するはずだ』
言い終わる前に、ディードは下半身までも電動車の内部に滑りこませていた。シェラが助手席に飛び乗ったのを確認して、電動車の動力を入れる。
『馬車馬のように働け! 骨は拾って再利用してやるから、遠慮せずに亡くなってこい!』
一方的にそれだけ言って、破裂音のような音を響かせて通話は打ち切られた。
ディードは何か言い返すべく返信しようとして、止めた。口は悪いが人並み以上に仕事ができる奴なので、新入社員の身としては文句を言うのが憚られたのだ。
そこでディードは、先ほど思いついた画期的な嫌がらせを実行することにした。携帯電話を取り出し、短縮番号を押すと、すぐにシェラの携帯が鳴り出す。
シェラは意味不明といった無表情で、ディードとディードから通信の入った携帯を交互に眺める。ディードがシェラに見向きもしないので、仕方なく携帯に出る。
「死ね!」『死ね!』
本人と携帯から、重奏で嫌味が唱和された。自分に対する嫌がらせを客観的に眺める嫌さと、携帯から聞こえてくる嫌味で、二倍どころか二乗の不愉快さだ。
いや、今の論点はそこではない。
「なぜ、私に嫌がらせをする?」
「そりゃお前、どう考えても髑髏眼鏡よりお前のほうが嫌いだからだよ」
不快感をしめして黙るシェラを横目に、ディードは意気揚々と電動車を発進させた。