S.13 フィッシャーマンズ・ワーフのバー~S.14 カールの話
S.13 フィッシャーマンズ・ワーフのバー
カウンター内のバーテンはさっきから忙しそうに、オーダーされた飲み物を次々と作り続けていた。俺はハセの故郷のビールのスタイン・ラガーと「ブルームーン」というこの国のビールだがベルギータイプのビールとクアーズ、そしてコーラのライム添えをそのバーテンに注文した。忙しそうだったが、快くひきうけてくれた。間もなくして、オーダーした飲み物が俺たちのテーブルに届いた。
さて、バー内のスクリーンを見てみると試合はどうやら地元のチームがやや負けているようだった。そしてついに残り3分になったときにチームのポイントゲッターらしき選手が相手の強烈なタックルで負傷してしまった。
それまでに俺たちは、飲み物をもう1杯追加していた。さて、その代わりに出てきたのは補欠の選手だった。この時点で、その試合はそのチームと店内の応援団たちにとってほぼ絶望的ということが、周りに漂う雰囲気で伝わってきた。俺たちは、自分たちの話をやめ、残りわずかなその試合をそのスクリーンで観戦した。
しかし、試合はその店内の観客の予想に反して見事に優勝してしまった。それは補欠として出てきた選手のみごとな活躍だった。残り時間を1分きってから、彼にボールが渡った。相手チームも補欠選手とたかをくくっていたらしく完全にノーチェックだった。そして彼が全身の力で思いっきりボールを前に投げた。長ロングパスだった。それがとおって、タッチダウン。この時点で逆転。その後も試合は十数秒続いたが、間もなくホイッスルが鳴った。こういう展開というのは、この国の人々にとってはたまらないらしく、そのときの歓声はまるでベルリンの壁を壊したときのドイツ人たちの歓声に匹敵するかと思えるほどの大きさだった。
そのいくさ後のバーに俺たちはまだいつづけた。人々は試合後に、一人、二人と姿を消していった。しかしその前に、そこにいた全員に、マスターから全員にビールが1杯ずつ勝利の杯として配られた。もちろんその恩恵は俺たちのテーブルも例外なく受けられた。ビールはバドワイザーで、客から客の手に渡され運ばれてきた。ちなみにリョウは未成年ということで、またしてもコーラになった。ワンパイントのビールに30分以上はかけて飲むというまるでチェコ人のような飲み方を俺たちはしていたので、結果的には数杯しか飲んではいなかったのだが、この最後の1杯は計算外だった。しかし、この1杯だけは絶対に残したくはないと思ったのは皆同じだった。だから、さらに時間をかけてその1杯をゆっくり時間をかけてついに飲み干した。バーに入る前に東の空にあった満月は、出たときには、真上にあり、夜空を青く照らしていた。そして俺たちは今晩泊まるモーテルへと歩いていった。
S.14 カールの話
ベルナーの奇妙な塔のような仮屋敷の裏手には馬小屋があり、その馬番をしているカールは、日本の大昔の建物やニュージーランドのマオリ族の集落で見かけるような高床の小屋に住んでいた。入り口は、地面から直接、床にはしごを架け、床を開けて入るような造りになっていた。窓は2箇所だけあった。
「誰か、来たようだ」とカールがコロに話す。
「この臭いはヒロシだ。僕の友達だから、安心して」
床のカーペットにあぐらを組んでいたカールはすばやく起き上がると前方の床を不意に開けた。
「ようこそ、ヒロシ。さあ中に入りたまえ」
そういうと、ヒロシの右腕をがっしりと掴んで中へと引っ張りあげた。
「あなたが…」
「カールだ。よろしく」彼は軽くお辞儀をした。
「こちらこそ」
「コロを迎えに来たんだね」
「ええ。それと聞きたいことがあります」
「この私に? 何かね?」
「ビーストについてです」
「それはたんなる興味本位かい?」
「いいえ。明日この村を出発して、ある泉に向かいます。だから、その危険なビーストがどういうものなのか、可能な限り知っておきたいんです」
「そうか…。ま、いいだろう。しかし、これから馬小屋の見回りに行く時間なんだ」
「それなら、一緒について行きます。だからその間に教えてもらえませんか?」
ヒロシはビーストの正体を知るまでは、カールから離れるつもりはないようだった。
「わかった。では一緒について来るがいい」
馬小屋はいたって普通のニュージーランドやイングランドにある、木造の小屋だった。カールは馬の飲み水の残量を確認した。足らないところはその近くの井戸まで行き、井戸の水をバケツに入れ替え、また馬小屋に戻りそこへ、補った。
そのこぼれた水をコロが飲んだ。
「冷たくておいしい水だよ」
「だろう。やや硬水だが、この世界にもうまい水があるもんだろ」
「そういえば、カールさんやベルナーさんはもうどのぐらいこの世界には来てるんですか?」
「俺はかれこれもう2年ぐらいになるよ。ベルナーはもっと以前からこの世界にきているようだ」
「なぜ、ここで馬番なんか…」
「それは、憧れだったんだ。現実世界では、俺はしがない小さな町の中古車のディーラーでね」
「馬番が憧れ?」
「ああ、こういう自然と共に暮らしていくのが夢だったんだ」
するとカールはバケツの水を足元の水桶に流しこんだ。
「でも、不便じゃありませんか? 水を飲むのもわざわざ井戸から汲まなければならないのに…」
するとカールはゆっくりと次のことを語った。
現実の世界は確かに便利で快適かもしれない。しかし、便利すぎると人間っていうのはついつい堕落してしまうものだ。そして、薄情にもなっていく…。それは不幸なことだと、この世界で暮らして気づいたんだ。
しかし、現実の世界ではそう簡単に自分の生活を変えられるもんじゃない。だからまずここで試そうと考えたのさ。ここで、自信がついたら、俺は、現実の世界でもこんな暮らしをしようと考えている。人間は生き物だからね、自然と共に歩んでいかなくちゃいけない。コンクリートの世界で行き続けられる程まだ人間は進化を遂げてはいないんじゃないかと俺は思う。便利すぎる世界に浸かっていると、ついつい人は自然を忘れてしまう。
例えば、水を飲みたいとき、文明社会では蛇口のレバーを上げたり、手を差し出すと水は出てくる。それが常識になってくると、水が出ないと、それは、そこを管理しているものの責任となり、非難をする。しかし、井戸で水が出なかったらどうだろう? 誰を責める? 誰を責めても仕方がない。そこに水がないから出ない。ただそれだけのことだ。水は空から降り、やがて地面に滲みこみ、長い年月をかけて澄んだきれいな地下水となる。その行程は自然が支配している。生き物は皆その恩恵を受けている。
もしも、あまり水がない井戸だったらどうする? そこらじゅうキミは井戸を掘り続けるかい? けれど、地球上にある水は常に同じ量しかないんだ。無理やりに増やそうとすればどこかでそのひずみが反動となり、いつか災いとなって我々に帰ってくる。だから水がなければうまく節約して使わなければだめだ。無くなってからでは、いくら叫んでも、水は増えてはこない。だから普段から無駄をせずに大事に使っていくしかないんだ。
『大事に使う』という気持ちが感謝の気持ちになり、やがて自然への尊敬の念を生む。そして自然や神に感謝をする。大地とじかに触れて生きていれば自然とこうした気持ちが生まれてくる。だから、農耕社会には昔から祭りがあるのだろう。自然を忘れると、生き物は生きてはいけない。そして自然を決して買い被ってはいけない。それはいつか滅びへの道へと続いていく……
「おっと、だいぶ余計なことを話してしまったね。キミはビーストについて知りたがっていたんだったな」
「ええ、教えていただけますか?」
「わかった。キミはどうしてもその化け物について知りたいようだから、俺が知っている全てを話そう。しかし、約束をしてくれ。この話をし終わった後でも、今と同じように、接してくれないか」
「それは、どういうことですか?」
「つまり…俺を変人に思わないで欲しい。約束してもらえるか?」
「ええ」
「本当だな、本当に…俺をきちがいとは思わないでくれよ」
すると、カールは真剣な面持ちで言葉を慎重に選びながら、そのビーストという異形の生き物について、また、その生態について、ゆっくりと思い出しては語ってくれた。その話は時々太古にまで遡り、この世界の創造のときまで戻ったかと思うと、どのように獲物を捕獲して、食すのか、まるで目の前であたかも見ているかのようにリアルに語った。その話をしているときのカールの表情は、まるで何かにとり憑かれたかのような正気を失ったような声で、いや、全くの別の人格が宿ったかのような声と態度で、語り続けた。彼が、前もってヒロシに自分のことをきちがいと思わないで欲しいと頼んでいた理由がこのときになってヒロシには理解ができた。そして最後にこのビーストを操っているものが「この世界」を創造したのだと言い切った。それは、ヒロシたちが知っている神とは全く別の、恐ろしい力と知恵を持った異形の神々だと話した。それは人間なんかが太刀打ちできない非常なまでの冷酷なそして、絶対的な力を持った時間をも超えた存在だという。
ここまで話されれば、普通の人ならやはり彼を奇人として見てしまうかもしれない。しかしその時のヒロシの反応はというと、一言も口をきかずに黙って最後までカールの話を聞いていただけだった…。話を最後まで聞いた後にヒロシたちはベルナーのいる館に戻っていった。
「ヒロシ、あのカールってやっぱり…その、ちょっとおかしいよ」
ヒロシの横を歩いていたコロが言った。
「コロ、俺たち人間はまだ、地球に誕生してから300万年もたっていないらしいんだ。そして、地球は45億年、宇宙は60億年の歴史があるっていう者がいる。人間はこの100年足らずで急激な文明を築き上げてきたけれど、まだまだ、世界には知らないことがたくさんある。それに昔得たことで失った知識もかなりあるようなんだ。カールがさっき話したことだけれど、その話はまんざらうそではないと俺は思う。この『ドリームランド』はおそらくそのビーストを操るある『生き物』によって創られた世界なのだろう…。そして俺はそのある『生き物』について、たぶん、おそらく、知っている…」
ヒロシは表情を変えずにコロに話した。