S.10 火付けの思い出
S.10 火付けの思い出
「ふうん。それが、マオリとかいうやり方なの? 時間がかかるのね」
横で足を崩して座っていたケイトが、今、俺がなんとかして、両手で枝を回しながら、火をおこそうとしているのを眺めながらそう言ってきた。
「これがマオリの火の起こし方なんだ。昔からのやり方だって、近くに住んでいたマオリ族の友人から前に教えてもらったことがあったんだ。」
枝を回し続けてからもう10分は過ぎただろうか。
もうだいぶ回りは暗くなってきていた。それにしても周囲には全く人工的な明かりが見えなかった。マジでこんなところで明かりがなかったら、化け物どころか、コウモリや野良犬がきてもわからないぞ。ケイトにいった手前、何とかして火をおこさないと…。
「で、そのときはどうだったの?」
「え!?」
「だから火はちゃんと点いたの?」
「ああ、点いたよ。―-友達のはね…」
あれは今からもう10年以上も前のことになる。
俺の隣では、今、俺よりも1つ年下のこのあたりのマオリの族長の娘のナルアがいかにも簡単そうに木の枝を使って火をおこしている。なのに俺のほうときたら全く煙すら出てこない。なんでだ!? なんで、ナルアのほうには簡単に火が点いて、俺のには点かないんだ。そう思って躍起になって木の枝をがんばって回しているとなんとか煙が出はじめた。けれども俺の両手の平はマメもでき始めそろそろ限界になってきた、そのときだった。
「お兄ちゃん。いつまで私を待たせるの。早く行かないとスーパー閉まっちゃうでしょ」
ちっ!と俺は舌打ちしたが、俺の体はとりわけ両の手は妹の声をありがたく感じていた。
「ごめん、ナルア。残念だけれど、今日はもう行かなくちゃならない」
するとナルアは微笑んでこう言った。
「いいよ、ハセ。火っていうのはね、マウイの勇敢な行いで火の女神マフイカから奪い、人間にあたえられたものなの。だから決して火は私たちのもとから去ることはないわ。いつかハセが火を必要になったときに願えば、火はきっと現れてくれるはず。妹を待たせるのは、感心しないことよ。だから、早く行ってあげて」
「ありがとう、ナルア。次こそ火をおこしてみせるから。じゃあ、また今度な」
「ええ…。さようなら、ハセ」
けれど、その後、俺はナルアの前で二度と火をつけることはできなかった。それはその数日後の夜に、ナルアは道端で車に跳ねられて死んでしまったからだった。ナルアはその日の夜、仲間たちと一緒に魚を獲った帰り道、月明かり越しに、道端を見るとポッサム(有袋哺乳類で日本ではフクロギツネとも呼ばれる)の子供を見つけたらしい。するとそこにトラックがもうスピードでやってきて、そのポッサムの子供を引こうとしていたのに気づき、ナルアはとっさにそのポッサムをかばおうとしてトラックとポッサムの間に入り、なんとか間一髪で助けたらしい。だが、その直後にさっきのトラックが急に、バックで突進してきて、ナルアを撥ねたという。後になってから俺はナルアの仲間たちからそれを聞いた。
「じゃあ、ハセ君、キミの火はつかなかったってわけ?」
「あ、いや、その…つまり、あともう少しだったんだよ。煙までは出てきたんだけれど……」
「そうなの。キミは私を騙したのね」
「それは違う! 騙してなんかいない。このまま頑張ればちゃんと火は点くはずだ」
「あなたの専売特許だけれど『もし』火が点かなかったらどうなるかわかってるんでしょうね」
「絶対点けて見せるさ」
「そう。で、あとどのぐらいで、火は点くのかしら?」
「そ、それは…」
「あたりが暗くなる前に点けなさい。これは命令です。いい?」
「ちっくしょ~! わかったよ。ぜって~に点けてやる。つけりゃいいんだろ!」
「そうよ。男なら、自分の言ったことに責任を持つことね」
「ああ、わかった。ナルアに誓って今度こそ火を点けてやるから、そこで黙って見てろよ」
それからしばらくして、煙が出てきた。
「ケイト、乾燥した小さな葉や茎をこの煙の周りに寄せてくれないか?」
「ええ、これでいいかしら。頑張って頂戴。もう少しみたいね」
やがて、その勢いを増した煙の中から明るいオレンジ色の光がポツポツと見え始めた。俺はナルアがしていたように、大きく空気を吸うとその煙の中へ空気を何回か送った。するとついに火が点いた。ナルア、だいぶ遅くなったけれど俺はついに火を点けることに成功したぞ!
「よく頑張ったわね。ハセくん、それでこそ男っていうものよ」
「ハハ、な~にこれくらい晩飯まえさ」
でも、今俺はとっても感動していた。自分で自分をほめてあげたいっ!
「ハセくん、手を出しなさい」
「え!?」
「両手ともよ」
「火が点いたからもう俺は用済みってことでまた俺を縛るのか?」
「いいから早く両手を私に差し出しなさい」
「……」
俺はしぶしぶ両手をケイトの前にさしだした。
「ほ~ら、やっぱり血が出てる」
ケイトは彼女の首もとの高そうなシルクのスカーフをとると、真ん中あたりを口にくわえて二つに引き裂きはじめた。
「なに、やってるんだよ」
「あなたの手のひらをこれで巻くのよ」
ケイトは俺のマメのつぶれた両手のひらを覆うようにスカーフで縛ってくれた。
――10分後。
「どう、血はとまったかしら?」
「ああ、ありがとう…」
「ところで、さっき、ナルアって言ってたけれど、ナルアって誰なの?」
ケイトが尋ねてきたので、俺は薪をくべながら、ナルアとのことをケイトに話した。
「そうだったの…お気の毒に。でもなんで、そのトラックはわざわざバックまでしてそのポッサムっていう動物をひこうとしたの?」
「それは、あの国では『ポッサム』はひいて殺してもいい動物だからなんだよ」
「つまり、害獣ってこと?」
「ああ。けれどお隣の国ではそのポッサムは『絶滅保護動物』として大切にされているんだ」
「だったら、その国に送ってあげたらいいのに」
「もともとポッサムはその国からやってきたんだよ」
「どういうこと? もっと詳しく聞かせてくれない?」
そこで俺は、時間もたっぷりあることだし、ケイトに詳しく説明を始めた。
その隣の国ではポッサムは人が入る前までは、それなりに繁殖していた。そこにヨーロッパから人々が住み始め、最初は流刑地になり、やがて、英国の貴族たちの狩場としてウサギや小動物を放ったらしい。また、ポッサムの毛は柔らかく中が空洞になっていて、空気が入ることにより、とても保温性があった。だから、この土地では、古くは原住民のアボリジニたちに、やがて、ヨーロッパの貴族たちにまで毛皮をとる目的で狩猟されるようになっていった。
またウサギはウサギで運よく狩られることなく逃げ延びたものから、その新しい大地で数を増やしはじめ、大事な木の芽を食い荒らし始めた。畑の作物などの被害も少なくなかった。そこで、人間たちは次に、ヨーロッパからウサギの天敵であるアカギツネを持込んだ。しかし、アカギツネはウサギだけでなく、その国の固有種の小動物までも狙い始めた。それと、体内に毒をもつオオヒキガエルも放った。そのカエルを食べたらまず食べた動物は助からない。ポッサムという有袋哺乳類はもともとその国ではディンゴやオオトカゲに狙われていた上にそこに新たにアカギツネが現れ彼らからも狙われ、雑食のため、オオヒキガエルなども食べてしまい、みるみるとその数を減らしていった。そしてこのままでは全滅してしまい、毛を売ることができなくなると恐れたその国の商人たちは、ポッサムを隣の国、つまり俺の住んでいた国へもって行き、放ったところ、天敵が全くいなかったため、あっという間に今度は繁殖していった。そして、その雑食という性質上、今度はポッサムがこの国の固有植物の芽や木の葉や飛べない鳥の卵などを襲って食べるようになっていったんだ。
「――だから、もとの国に戻し放したところで天敵に襲われるだけなんだよ」
「でも、ハセの国では人間に殺されていく運命なわけよね」
「ああ」
「かわいそうな生き物ね。人間の都合によって、殺され、少なくなったからって、元の場所から運ばれ、今度は増えすぎたからって、殺されてもかまわないなんて…」
「それこそが人間のエゴってもんだろ。でもそんな動物はまだまだ他にもいる。鹿にしてもオオカミにしても、そうじゃないか」
「そうね。そう考えると人間はまだまだこの地球上では責任感のない生き物なのかもしれないわね。そしてずいぶんと我がもの顔でこの地球で暮らし続けてきたのね」
「けれど人間の時代もいづれは栄枯盛衰になるさ」
「エイコセイスイって?」
「永遠なんてない。いつかは滅びるという、日本語の四字熟語さ。おそらくヒロシならこんなときにこういうんだろうなって思ってね」
「ヒロシって、キミのお友達?」
「ああ、このポッサムの話も実を言うと彼から聞いた話なんだ。ヒロシは俺なんかよりもよっぽど俺の国のことを知っていた。それに今いるこの国のこと…現実のね、それや他の国にしても…。とにかくなんだって彼はよく知ってるんだ。ヒロシは、俺にとってのハックルベリーでもあり、兄のような存在さ」
「そう。そのヒロシ君にも一度会ってみたいわね」
「きっと今に彼のほうから現れるさ」
「まさか、ここはドリームランドの中よ」
「ああ、わかっている。でも、なんだか俺にはヒロシもすでにこの世界に来ているんじゃないかって、俺はこの世界に来てからずっとそんな気がしてる。なぜだかはわからないけれど。ここからそう遠くないどこかにいるようなそんな気がしてるんだ」
俺はケイトに自分が思っていることを正直に話した。それにケイトに対して初めのころ抱いていた警戒感も今ではなくなっていた。
「そう。そうかもしれないわね。ここはドリ-ムランド。夢がかなう世界なんだから。私もそう言われればそんな気がしてきたわ。ハセ、そろそろ交代で寝ましょう。明日明るくなったら、さっそく街まで向かうから。まず、ハセ君あなた先に寝なさい」
「いや俺はまだ眠くないから、それよりもケイトこそ眠たそうな顔してるから先に休みなよ。俺ならずっとここにいるから」
それにはケイトは答えなかった。
「俺は男だから自分の言ったことには責任を持つ」
「わかったわ。あなたを信用するわ、ハセくん」
「ありがと、ケイト」
「おやすみなさい」
ケイトはそういうと横になった。
あたりは不気味なくらい静まり返っていた。
7話目につづく…