S.15 『白鹿亭』の客人たち~S.16 バーの帰り道
S.15 『白鹿亭』の客人たち
最初の門の村のメイン・ストリートにある『白鹿亭』は入り口こそ狭かったが、奥行きはかなりあった。その一番奥の部屋は、赤い絨毯が敷き詰めてあり、重圧な長テーブルに純白なテーブルクロスが13人分の席に用意されていた。扉は1つだけあり、窓は全く無かった。その代わりに窓のような額縁で、遠近法を使った花や海などの景色が鮮やかな色で描かれた絵が壁にかけられていた。また、ドアノブはいかにも鹿の角のようなデザインが施されていた。そのノブが今、カチャっと音をたてて動き静かにドアが開いた。
「どうぞ、こちらへ。ケイン様。お食事はすぐにお出ししましょうか?」
このドアを開けた店の主人らしきものが、ダブルのスーツを着たオールバックの金髪の黒いサングラスをかけた男にやや小声で声をかけた。
「いや、まずは、ワインと水と食前酒を用意してくれ」
「はい、かしこまりました」
その店の男は一瞬、やれやれという表情をしたかと思うとすぐにきびすを返しそいのドアから出て行った。彼もまたこの仕事に憧れを抱いてここで働いているのだろうか? ヒロシならそういう疑問を感じたかもしれない。
間もなくすると、ワインとビンに入れた水がテーブルの中央の3箇所にそれぞれ1本ずつ用意された。
「マスター、今日、このレストランは貸切でしたな」
「ええ、そうです」
「では、すまないが、表に誰か立たせて客人が一人でも来たら、教えていただきたい」
「わかりました。すぐに手配させましょう」
一礼をするとすぐにこの部屋から先ほどの男は出ていった。
間もなくすると、ケインに呼ばれた者たちが、二人ずつ、一人の案内係らしき女性たちを先頭にして入ってきた。
「はるばるよくおこしになられました。さぁこちらへ、お座りください。まずは食前酒をお受け取りください…」
「さて、今回皆さんに集まっていただいたのは、なかなか現実の世界では信用してもらえない、例のサプリメントとこの世界についての紹介と、現実世界では 、 これ以上便利で安心な対談ができる場所はないということをわかっていただきたかったからです」
ケインは淡々と話し始めた。現実世界では、盗聴やスパイ、また、対談するにも費用もかかれば、場所もセキュリティを確保できる場所を探さなければならないが、この世界には現実世界から何も持ち込むことができないこと。また、サプリメントを飲めば、わずか、数十分で、現実では遠い距離にいる二人が会うことができることを説明した。
「このサプリメントをぜひ、公的に認可していただきたい。また認可していただけるのであれば、皆様方には無料で毎月このサプリメントをお届けしましょう。これはまさに夢のサプリメントなのです。いかがでしょう」
すると招待された中の一人が、
「しかし、まだ、私には理解できん。これが夢の世界だということや、そこに何度も来ることができ、ここにいる者たちが皆同じ夢の中にいるなんて…」
「正確に言いますと、ここは夢の世界ではないのです。別の次元の世界と言ったほうがいいでしょう。だから、実際に存在する我々の世界の近くにあるアナザーワールドと言ったほうがいいでしょう」
「それを信じろと、我々にキミは…」
「では、こうしましょう。今から行うことが、目が覚めてもあったのなら信じていただきたい」
「なんだね、一体我々に何をしようって言うんだね」
「ちょっと照明を暗くさせてもらいますよ。なに、大したことではありませんから…」
そういうと、ケインは何かを言葉にしたがその言葉はそこにいる誰にも理解できない不思議な言葉だった。
すると、低いおぞましい声がドアの向こうから徐々に近づいて聞こえてきた。
「この鳴き声は、一体なんなんだ…」
「何が始まるんだ…」
そこに訪れた者たちのなかで、最後に言ったものの言葉が最後まで言い終わらないうちにその言葉は、ある生き物の鳴き声によって消されてしまった。そしてその窓の無い部屋の扉のノブが今ゆっくりと下に下がっていった。その後はそこにいた人々の凶器に満ちた悲鳴がしばらく続いた、ただ一人ケインを除いて…。
S.16 バーの帰り道
フィッシャーマンズ・ワーフのバーを出ると、
「あー、もう今夜は最高ね。私なんだかちょっと酔っ払っちゃったわ。ねぇ、ヒロシ、あのブルー・ムーンっていうビールいいわね。また今度あったら頼もうかな」
首筋から頬にかけてほんのりとピンクに染まったクルミが話しかけてきた。その時、今のセリフを俺はずっと前にも聴いたことがあるような気がした。もちろん、それはクルミと出会うずっと前のはずだ。一体誰の言葉だったのだろう? それは懐かしくて、なんだかせつない言葉だった。しかし、そのときは、誰の言葉だったのか思い出すことはできなかった。けれどもその言葉を口にした人物が誰なのか、その答えは、翌日の夜に、思い出すことになった。そう、次の町 フォッグストンで…。
「リョウ、しっかりしなさいよ」
そういうとクルミはリョウの両肩を揺らした。
「おいらもう眠いよ…」
リョウが眠りかけながら言った。
「クルミ、いつものようにリョウを頼む」
そして、俺はリョウを担いで、クルミと一緒に彼女の部屋に入った。ハセはドアの前で待っていた。俺はリョウをベッドに横に寝かせた。
「後は私に任せて」
「ああ、リョウをよろしく頼むよ。クルミ」
「わかったわ。おやすみなさい、ヒロシ、ハセ」
「おやすみ」とハセと二人で言った。
「さあ、ハセ、俺たちもそろそろ寝るとしよう」
「ああ、そうだな。―っと、思い出した! 水と地図を買わないといけなかったんだっけ」
「地図なんてなくても、問題ないだろ」
「ああ、ヒロシがいればね。けれど俺も覚えておきたいんだよ。どこら辺を走っているのかをさ。だから、ちょっと通りの向こうのドラッグ・ストアに買いに行ってくる。ヒロシは先に寝てて、かまわないぜ」
「了解」
すると、ハセはモーテルを背に通りのほうへ歩き始めた。
「ハセ、これ受け取れ」
俺は部屋のカードキーをハセに投げ渡した。
「サンキュー」
「ハセ、足元よろけてるぞ。大丈夫か?」
「なに、これくらいへっちゃらさ。この通りの向こうのドラッグ・ストアまでだし」
「そうか…けれど気をつけろよ」
俺はそう言ってから、クルミの部屋の2つ隣の自分たちの部屋のドアの前まで行った。そこで、なぜか無意識にもう一度ハセの姿を目で追った。
その時、ハセは、道の反対側にあるその大きなドラッグ・ストアに向かって通りを渡り始めていた。そこに今、左側からすごい勢いで、1台の車がハセに向かって走ってきているのが見えた。いつもなら、彼はそれに気づいただろうが、酔っ払っていて反応が鈍いようだった。
「ハセ! 車だ! よけろ!!」
俺は精一杯叫んだ。しかし、今晩のハセはいつもよりも酔っていて車にも俺の声にも気づかないようだった。俺はハセに向かって全速でかけだした。
でもなぜか次の瞬間。俺はハセの真後ろにいた。そして、彼を背中から突き倒した。それが、精一杯だった。そして俺はよけきれなかった。バン! と鈍い音がして俺の体は宙に舞った。そして地面に額を強く叩きつけられた。
その車は前方30mほど先で止まった。中から若い男女が出てきた。そして俺のほうに向かってきた。
「だから、運転中にキスなんてするのは嫌だったんだよ! 見ろ、人を轢いちまった。どうすんだよ!」
ドライバーらしい男が言った。
「死んじゃったのかしら?」
その連れの女が言った。
「ああ…真正面でぶつかったんだぜ。これで生きてたら奇跡だ」
「どうするの、あんた」
「そうだな、とりあえず、死体をトランクに詰め込もう。それから後のことはまた車の中で考えようぜ。お前も運ぶの手伝えよ」
「え? あたしも運ぶの?」
「誰のせいでコイツをひき殺すことになったんだよ」
「わかったわよ。うわぁ…それにしてもすごい血の流れようだわ…」
そういうと彼らが死体となった俺の体を運ぼうと持ち上げた。
11話目につづく…