変化
携帯電話の明るい着信メロディーで目が覚めた。
いやいや、まだ6時だけども。
画面を見ると、父親の名前が表示されている。
親父かよ。
舌打ちをしたくなった。でもまぁ、とりあえず出てみるか。
二つ折りの携帯を開き、通話ボタンを押した。
「もしもし」
「カヅ…か?」
雑音が入って聞き取りにくい。
「あたしの携帯なんだからあたししか出ないよ。で、何?どしたの?」
「別に用事はないんだ。ただちょっとお前の声が聞きたくなってな。元気か?」
耳障りな雑音が消えて、父親の声がクリアになった。
やっぱり、家族の声を聞くとホッとする。
昔はそんな事絶対思わなかったけど。
「うん、元気。父さんは?」
優しい声になっているのが自分でもハッキリとわかる。
「元気だよ。キョウカもな。お前さぁ、たまにはこっち帰ってこいよ。父さん寂しい」
「気持ちわりぃよ。
まぁそのうち帰るから。
近いしね。
それより、キョウカとケンカすんじゃねぇぞ。
どうせ父さんが負けるんだから」
電話越しに父親の笑い声が聞こえた。
「俺はお前にもキョウカにも勝てねぇからな。じゃぁ、また電話するから。気つけて学校行けよ」
「わかってるよ。じゃあ」
あたしはゆっくりと二つ折り携帯を閉じた。
父親との会話に出演していた『キョウカ』とは我が母である。
小さい頃から母は、あたしに『ママ』とか『お母さん』とは呼ばせなかった。
意味はわからないが、なんだか友達みたいでけっこう気に入っている。
朝から父さんの声が聞けて急に元気が出て来た。
親父パワーはいろんな意味ですげぇな。
学校に着くと、すぐにアラタに声をかけられた。
「おい」
完全に怒っている。
「はい?」
アラタは自慢の長身で目一杯あたしを見下ろした。
「お前、結局昨日一つも授業出てねぇじゃねぇか。保健室にもいないし、どこ行ってたんだよ」
あー。
それか。
「もうなんか、ホントやる気なくなったから家に帰ってしまいました。ごめんなさい」
アラタはため息をついた。
そりゃそうか。
教師が勝手に帰っちゃマズいよな。
「とりあえず、俺がお前を連れて帰ったって事にしたから。口裏合わせろよ」
「ありがとうございました。徳沢センセ」
アラタは優しく笑ってくれた。
コイツは昔からこういう奴だった。
あたしがウソをついている事をわかっているのに、あたしから話さない限り絶対に聞き出そうとはしない。
いつも支えてくれる。
「今日の昼飯、お前持ちだから」
ちっ。
あたしはまだカバンを持ったままだったので、自分の机に向かった。
…またか!
昨日と同じように異臭があたしの鼻をついた。
あたしの異変に気付いたアラタが、駆け寄ってくる。
「どうした?」
そう言ったすぐあとに、アラタも臭いに気がついたようだ。
アラタは引き出しの取っ手に手をかけ、一気に引いた。
「またか…」
今度入っていたのは、うさぎではなく真っ黒なカラス。
「今度は平気?」
心配してくれているようだ。
「2度も倒れてらんないよ」
「そうか」
アラタはそう言ったあとすぐに、何かを考え始めた。
アラタが何を考えているのか、あたしにはわかる。
あたしも同じ事を考えていたから。
「あたしたち、教師として最低な事考えてるよね」
「そうだけど、それ以外には思いつかない」
「でも…あたしはヤダな。そんな風に思いたくない」
「俺もだよ」
あたしたちが考えていた事。
それは、あたしに対してのいやがらせ行為をやった犯人が生徒の中にいるんじゃないかって事。
本当は、こんな事考えたくない。
生徒は教師に疑われると、ものすごく傷つくという事をあたしもアラタも知っているから。
だけど、疑わずにはいられないこの状況が悔しくてたまらない。
「今日は自分で片付けるから」
あたしは、自分のハンカチでカラスの死骸をつつみ、職員室を出た。
カラスを校庭の隅っこに埋めていると、胸が苦しくなった。
あたしを困らせる為に、誰かの手によって殺されたなんの罪もない動物達に申し訳ないという気持ちのせいだ。
一体自分は誰に何をしたのだろう…
とにかく、あたしは絶対に犯人を見つけないといけないと思った。
命をなくしたうさぎやカラスの為に。
2つの命を奪ったという事を反省させなければならない。
償わせなければならない。
最近の子供たちや一部の大人は命の重さというものをわかっていない。
平気で子犬を殴ったり蹴ったり…
平気で子猫を殺したり…
平気で我が子を手にかけたり…
あたしは昔身近な人間を何人も失った。
理由は様々だが、とにかく死んだ…
だから、あたしは命の重さを知ってるよ。
誰かが死ねば、誰かが悲しい。
その事をみんなにわかってほしい。
あたしは、胸に深い思いを抱えながら、一限目の授業に向かう為立ち上がった。
すると、あたしの真後ろにコウスケが立っていた。
「何してんの?」
心配そうな眼差しだった。
あたしはコウスケから目をそらした。
「別に…なんでもない。もうすぐホームルーム始まるから、教室行きな」
コウスケは納得していないようだったが、それ以上は何も言わずに教室に向かってくれた。
あたしが教室に着くと、やはりいつものようにざわざわと騒がしかった。
今日はかえってそれがあたしを安心させた。
いつもと変わらないこの光景がありがたい。
朝から重い考え事をしたせいか、体がだるかった。
何度もため息が出る。
にも関わらず、ドアを開けるとすぐに矢崎ユウリがあたしを罵倒した。
「またあんた?ウザい。引っ込め」
今のあたしは、ユウリに対して腹を立てる事はなかった。
「ユウリ、今日はやめとけ。見てわかるだろ?先生、調子悪いんだよ」
コウスケだった。
コウスケはいつもあたしを庇ってくれる…
味方でいてくれる…
気持ちが弱ってる時って自分を守ってくれている人に気がつくよね。
自分を支えてくれてる人を大事に思えるよね。
「コウスケ…あんた、いっつもあいつの味方だね」
ユウリがうなだれた表情で言った。
「くだらねぇ事言ってんじゃねぇよ」
「やめなさい。ホームルーム出来ないでしょ」
2人のケンカを止めると、今日の連絡事項を言い、あたしはさっさと教室を出た。
3時限目。
コウスケのクラスの授業だ。
ユウリにからまれる事を少しめんどくさいとおもいながら、音楽室に向かった。
ドアを開けようとしても、やっぱり素直に開いてくれない。
コウスケに教えてもらった通りに、思い切りドアを蹴った。
すると、ガコッという音がして、ドアが開いた。教室内は一瞬静かになる。
だから、気まずいって。
「またお前かよ」
こっちのセリフだよ。
さっきまでの落ちた気分が治ってきたのか、ユウリの発言を少し不快に思えた。
それもなんだかおかしな話だけど。
ユウリは隣の席の女子生徒と、あたしを見ながら何やらコソコソと話始めた。
感じわりぃな、おい。
「いい加減にしろよ!見てるこっちが気分悪くなんだよ!」
ユウリを止めてくれたのはやっぱりコウスケだった。
でも今回は他の男子生徒や一部の女子生徒も賛同している。
「そういう事は中学で卒業しろよな」
そう言ったのは、コウスケとも仲の良い男子生徒の槙岩ハルだった。
ハルはこのクラスでは比較的大人しい方で、あたしの言うことも素直に聞いてくれる数少ない生徒の1人だ。
あたしの味方をしてくれるのが男ばかりだから、余計にユウリに嫌われるのかもしれないな。
「ハルには言われたくない。いつも見て見ぬフリしてたクセに。ムカつくんだけど」
ユウリは怒りの表情を露わにしていた。
あんたたちはあたしの授業の時は決まってケンカすんだね。
時間通りに始められたためしがないよ。
まったく。
「ムカついてんのは俺らの方だよ。ガキじゃねぇんだからちょっとは落ち着けよ」
ユウリはハルを思い切り睨んだ。
そのあとすぐに、あたしも睨まれた。
あーもう。
「あたしは別に気にしてないから。
矢崎さんがあたしの事嫌いなんだったらそれはもうしょうがない。
あたしだって昔は教師なんか大っ嫌いだったし。
殺してやろうかと思ったくらい」
教室内がスーッと静かになった。
へ?
あたし、なんか変な事言った?
「カヅキちゃん…なんかいつもと違うけど…」
ツバキが不思議そうな顔で言った。
あたし、いつもどんなんだっけ?
キャラ設定が曖昧になってしまった。
さて、どうしたもんか。
ふとコウスケに目を向けると、明らかに笑いをこらえている顔だった。
『バーカ』
口パクでそう言われた。
うるせぇ。
もうめんどくさい。
あたしはこれを機に全面的に『あたし』を出していくことに決めた。
「あんたたちからしたら、あたしは面白くない先生だったよね。あたしもそろそろ疲れたし、素のまんまでいいかな」
開き直った。
もしかしたら、教師だからって自分を作る必要なんて元々なかったのかもしれない。
「いいに決まってんじゃん。なぁ?」
コウスケが言った。
なぁ?と言われたハルも笑顔を向けてくれた。
ツバキも真っ白い歯を見せて笑っている。
クラス中がにこやかな雰囲気になった。
なんだ…
こいつらにウソつく必要なんてなかったんだ。
ちゃんと受け止めてくれるじゃないか。
これからは慣れない言葉遣いもしなくていいんだ。
少しだけ体が軽くなった気がした。
「ありがとう…はい、じゃぁ授業するから」
「え〜」
教室のあちこちからブーイングの嵐。
その中にも好意を感じる。
「え〜じゃねぇよ。一応教師なんだから授業はやるよ」
「今日は何するの?」
ツバキが言った。
積極的に参加してくれてホントありがとう。
「テキトーにグループ作って。4〜5人ずつで」
音楽室はまた騒がしくなった。
何をするのかわからないけれど、とりあえずワクワクしているみたいだ。
「グループ作ってどうすんの?」
今度はハルが言った。
「バンド」
「うおっ!楽しそう!」
ハルは乗り気。
よかった。
「じゃぁ、さっさとグループ作ってね」
5分後。
ほとんどグループが完成したようだ。
ただ、そのグループはそれでいいの?
コウスケ、ユウリ、ツバキ、ハル、あともう1人桐生ヤマトという男子生徒で構成されたグループ。
あんたたち、仲悪いのかいいのかどっちなのよ。
「コウスケ、ちょっと」
あたしがそう言うと、周りにいた生徒達が驚いた顔でこちらを見た。
「君ら、どういう関係?」
ヤマトが言った。
名前で呼んだのがマズかったのかな。
「別にどういう関係でもねぇよ」
コウスケが答えた。
「いや、でもさ…」
ヤマトはまだ何か疑っている。
「そんな細かい事気にすんなよ」
あたしが言うと、ヤマトは納得したようで、ハルとの会話に戻った。
「何?」
コウスケがあたしの隣にやってきた。
「あんたたちのグループはさ、大丈夫なの?毎回ケンカとかされたら困るよ」
「あ〜、大丈夫大丈夫」
えらく軽い返事だったので、大丈夫なんだなと素直に思えた。
「なぁ」
コウスケの目つきが変わった。
鋭い目つき。
真剣な話をする気だ。
「はい」
「この間、俺が兄貴の名前言ったら急に態度変わったよな?」
マズい。
「気のせいじゃない?」
「絶対違う」
困った。
「今度話すから。とりあえず今日はバンドやって」
コウスケはため息をついた。
「わかったよ」
すごく物分かりのいいコウスケに感謝した。