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解明

「おはようございます」




朝倉マキが今日も素敵な笑顔で声をかけてくれた。




「あ、おはようございます」




あたしも気持ちよくあいさつを返す事が出来る。




「あれ?朝倉先生、指どうしたんですか?」




たまたま近くにいた徳沢アラタが割って入ってきた。




マキの右手を見ると、指にバンソウコウが貼ってある。




「あぁ。今朝包丁で切っちゃって」




マキは少し照れながら苦笑した。




こんなに美しいのだから、何事も万能にこなせるものだと勝手に思い込んでいたので、マキの小さな失敗に驚いた。



「朝倉先生でも苦手な事あるんですね」




アラタもあたしと同じ様な思い込みをしていたらしい。




そういえば、こいつと同じ事を考えている事が異常に多い。




なんかやだ。




「いっぱいありますよ。料理も裁縫も苦手です。携帯電話だってろくに使えないんですよ」




「へぇ、意外だ」




あたしとアラタは声をそろえて言った。




あたしたちのそんな様子を見て、マキは声を出して笑った。




「本当に仲いいですよね」




笑いすぎて目尻にたまっている涙を指でふきながらマキは言った。




「そんな事ないですから」




またハモってしまった。




マキはさらに笑った。



今日は一時間目に音楽の授業が入っているクラスはない。




よって、あたしの自由時間である。




職員室には教頭がいてウザいので、授業のない時あたしは音楽室にこもる。




まぁ、自分の部屋みたいなものだからね。




音楽室の開きにくいドアはすでに修理済みなので、最近は朝一でイラつく事はなかった。




すーっと開いたドアの先、つまり音楽室の正面に目をやると、信じられないものが目に入ってきた。




ただ、ありがたいことに人間には学習能力というものが備わっており、もちろんあたしにもそれがある。




だから、精神的に苦痛になるような光景が眼前に広がっていても、動物の死体を自分の引き出しに入れられていたという過去の経験があるため、悲鳴はあげなかった。




あたしに対してのいやがらせに対応する自分の心がだんだんとクールになっていっているというだけの事なのかもしれないが。



音楽室の正面には黒板があり、そのそばにはグランドピアノが置いてある。




だが、今そのグランドピアノはほぼない状態だった。




ほとんど原型をとどめていないのだ。




白い鍵盤には赤い何かで雑に塗装されている。




血ではなく、ただのペンキか絵の具であることが唯一の救いである。




でも、その鍵盤は本体から遠く離れた場所に無残に散らばっている。




ピアノに全く興味がない人が見れば、それがかつて鍵盤だった物だとは思わないだろう。




本体の方も弦はすべて切られているし、脚も2本折れている。



これはもういやがらせがどうとかいう次元ではない。




器物破損。




完全に犯罪じゃないか。




かわいそうなグランドピアノに手を触れてみると、『痛いよ』という声が聞こえてきそうだった。




ぬるっという感触があったので、手のひらを見てみると、赤いものがべっとりとついていた。



まだ乾いていないという事は今朝早くにやられたということなのかな。




もう一度、ピアノの内部を見てみると、切れた弦の一本にほんの少しだけ赤黒いなにかがついていた。




それは間違いなく血だった。




見逃さなかった事が奇跡のように思うほど少量。




どうしてここにだけ本物の血がついているのだろうか…



「カヅキー、俺も1限ないんだ。ここに置いてくれよ。教頭がうぜぇよ」




アラタが音楽室に入ってきた。




コーヒーカップを2つ持っている。




アラタがコーヒーカップを持って音楽室に来る事はよくあるが、それを落としたのは初めてだった。




「何だよ、これ…」



「わかんねぇよ」




アラタは少しの間、唖然としていたが、すぐに我に返り、コーヒーカップをそのままにあたしの元へ駆け寄ってきた。




「ケガは?」



「ない」



「そうか」




あたしは怒りを感じなくなった。




そのうち、あたしもこのグランドピアノのようにされるんじゃないかと思ったが、それでも恐怖は感じなかった。




「教頭に報告しないと」




アラタが冷静な意見を言った。




「そうだね」



あたしたちの表情を見た教頭は驚いていた。




そんなに暗い顔をしていただろうか。




「2人共、一体どうしたんですか?!」




教頭はしどろもどろになりながら言った。




まだ何も知らないのに、あたしたちよりもあたふたしている教頭に少し怒りを感じる。




何であんたが焦ってんだよ。




「音楽室のグランドピアノが激しく壊されました」




あたしは低い声で言った。




「え?」




教頭がバカみたいな声で聞き返してきた。




もう一度同じ事を言うのが億劫だったので、アラタの顔を見つめた。




あんたが代わりに言ってよ。




「ピアノが誰かに壊されたんです。とにかく、音楽室に行ってみてください」




アラタは、あたしと違って感情が表情に出ないタイプらしい。



一応警察には連絡をしたみたいだが、まともに捜査してくれる気はないようだ。




教頭は、犯人が外部からの侵入者だと決めつけている。




学校内の人間がやったとなれば、いろいろ問題が生じて面倒だから。




でもきっと、教頭だって校内の誰かがやったとわかっているに違いない。




「教頭」




あたしがさっきよりも更に低い声で言うと、教頭は肩をビクつかせた。




あたしがそんなに怖いか。




「何ですか?」



「ピアノ、新しいの買ってもらえるんですか?」



「それは大丈夫だと思いますよ。

あと、今日の音楽の授業は全て各教室で自習という事にしてください。生徒には事情を悟られないようにお願いします」



「わかりました」




あたしがそう言って、自分の席に座ると、教頭のため息が聞こえてきた。




あたしへの恐怖から解放されたからだろう。





ちっ。



一時間目終了のチャイムが鳴って少しすると、教師たちがぞろぞろと職員室に戻ってきた。




その中には朝倉マキの姿もある。




ふいに目が合うと、彼女は微笑みかけてきた。




本当に、女のあたしでも落ちそうになる。




マキがあたしから目をそらしてからも、あたしは何となくマキの姿を目で追った。




すると、ある事に気がついた。




すぐにマキに知らせなければいけない。




「朝倉先生。あの…スカートに…」




言いかけて違うと思った。




マキの黒のタイトスカートには赤いものがついていた。




最初は、女性特有の血だと思ったので知らせようと思った。




でも、本物の血なら黒のスカートについたところでそれほど目立たない。




だが…




血ではなく、赤いペンキなら…



もう一つ気がついた事がある。




マキの右手のバンソウコウ―




右利きのマキが包丁で右手を切ったりするだろうか。




どう考えても無理がある。




でも、ピアノの弦を切った時に、弾けた弦でハサミを持っている方の手を切っても不思議ではないのではないだろうか。




ありえなくもない。




あたしに嫌がらせをしていたのはマキだった。




でも、マキが犯人なら動機はなんだ?




あー、そうか。




あたしはバカだな…




自分の鈍感さにあきれる。




マキはたぶんアラタが好きなのだろう。




こんな簡単な事であんなヒドいいやがらせを受けていたなんて……




その上、あたしはアラタの恋人なんかじゃない。



「なんですか?」




マキはにこにこしながら言った。




この笑顔の裏にはあたしに対する嫌悪感がどれだけあるのだろうか。




「スカートに赤いのついてますよ」




あたしは、全てわかったよ、という意味を込めてそう言った。




あたしのその思惑に気づいたらしく、マキの白く透き通ったような顔の色が、どんどんと青くなっていった。




「あ、あの…藤嶺先生…」




何か言いたいようだが、その先の言葉がみつからないらしい。




「大丈夫。アラタには言わないから。でも、ウサギとカラスには謝ったほうがいいね」




マキに殺された動物たちには悪いけれど、あたしはマキを許そうと思った。



「言い訳に聞こえると思うんですけど…



ウサギは病気で死んだんです…



私がたまたま一番最初に見つけて…



カラスも…



あまりにもゴミを散らかすんで近所のおじさんが殺しちゃって…



それで…」




マキは必死だった。




でもウソをついている人間の目ではない。




警察官と極道の娘なので、その辺には自信がある。




「そうですか。それにしても、あのピアノはやりすぎです」




あたしは苦笑を交える事が出来るくらいに、油断していた。




「やりすぎ…ですよね」



「ホントに。あんなの、もうピアノじゃなくてただの木材じゃないですか」




マキは少し表情を曇らせた。




「木材…?」




なんとなく話がかみ合っていないような気がする。




「あたしにはそう見えましたよ。鍵盤は飛び散ってたし、脚も何本か折れてました」




あたしが見た光景とマキの記憶には違いがあるようで、マキは驚いた表情を浮かべた。




「私…そんな事までしてません。私がやったのは、鍵盤を赤く塗ったのと弦を切った事だけです」



家に帰ると、すぐに冷蔵庫に向かった。




中からビールを取り出し、プルトップを引っ張りながらソファに腰を下ろすと、一気に疲れが出てきた。




―私…そんな事までしてません―




マキの言葉が蘇る。




そう言っている時のマキの目もウソをついている目ではなかった。




それに、マキが犯人ならあの時ユウリはどうしてうちの近くにいたのだろう。




偶然?




それはないだろう。




考えが行き詰まった時に、パソコンからメール受信の音が鳴った。




パソコンにメールが届く事はめったにない。




体から溢れ出てしまいそうなくらいの嫌な予感を抱えたまま、パソコンを開いた。




文書ファイルが添付されているようだ。




そのファイルを開いた時、あたしは絶句した。




メールアドレスの持ち主の見当はつかないが、このメールの発信者は天才なんじゃないかと思う。




あたしを痛めつける天才……



あたしは、すぐにある人に電話をかけた。




時間的に出ないかとも思ったが、相手は意外にも早く出てくれた。




「おたくのパソコンのセキュリティーは一体どうなってんの?!



個人情報守る気ないんじゃないの?!



ハッキングされたら一番マズいパソコンでしょうが!



しっかりしろよ、ポリ公!!!」




相手には何も言わさずに、一方的に文句を言って切ってやった。




電話の相手は警視総監である我が父である。




折り返し父から電話がかかってきたが、ことごとく無視した。




今頃、キョウカに泣きついているに違いない。




あたしのパソコンに届いた文書ファイルの中身は、あたしやあたしの昔の仲間の過去の補導歴や前科をまとめたものだった。




警察のパソコンから個々のデータを拝借して、それを編集して1つのファイルに仕上げたのだろう。



そのファイルの中にはアラタの名前もあった。




あたしだけならまだいいが、アラタや他の仲間の名前もあるのは厄介だ。




もしこれがばらまかれたら、アラタまで巻き込む事になってしまう。




でもこれでわかった。




あたしに嫌がらせをしているのはマキだけではないのだ。




マキならアラタの名前は出さないんじゃないかと思うから。




犯人はもう1人いる。




いろいろ考えた結果、動物の死体とピアノの色付けと弦切りはマキの仕業、盗撮と自宅の鍵穴破壊とピアノ破壊はもう1人の仕業という事になった。




携帯電話を使えないというマキの言葉を信じる事にしたからだ。




携帯電話を使えないマキがハッキングしたり、サイトを作ったり出来るはずがない。




だとすると…




再びユウリの顔が頭に浮かんできた。




最近の若者ならパソコンくらい使えるだろうという勝手な思い込みのせいだ。




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