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疑惑

「ねぇ、カヅキちゃん。コウスケ、今日休みなの?」




連城ツバキが心配そうにたずねてきた。




「その事なんだけど、気になるだろうし言っておく。コウスケさ、ちょっと事情があってしばらく学校休む事になったんだ。もう休学届も出してある」




クラス中がざわつき始めた。




突然の事に、みんな動揺しているようだ。




「事情って?」




ツバキが追求してきた。




やっぱり理由を知りたがるもんだよな。




どうしよう…。




「家庭の事情だからあんたたちに話す事は出来ないんだ。ごめんね」




もちろん、本当の理由を話すことなど出来ない。




かと言って、テキトーにウソをつく事もあたしには出来なかった。




あたしの表情でなにかを察したのか、生徒たちはそれ以上何も聞こうとはしなかった。




この子達はこんなにいい子たちなのに、他の教師がそれに気がつかない事が不思議でならなかった。



「今日は何すればいい?」




ツバキが笑顔で言った。




ツバキのこの発言で、少し暗くなってしまった空気が元気を取り戻したようだ。




教室のあちこちから生徒達の話し声が聞こえてくるようになった。




「じゃぁ、この前作ったグループごとに集まって演奏する曲決めて」




あたしも笑顔で答える事が出来た。




仕事中にコウスケの事を考えてはいけないと思った。




気になって仕方がないけれど、あたしがここでいくら心配したからといって何が変わるわけでもない。




ならせめて、仕事を全うした方がコウスケも少しは気が楽になるだろう。



あたしがボーっとしている間に、すでに生徒達は各グループに分かれ、意見を出し合い、何を演奏するかを相談していた。




コウスケのいないあのグループはどうするのだろう。




その事が気になり、彼女たちの所に行ってみた。




「あんたたち、コウスケいなくてドラムどうすんの?別になくてもいいんだけど、なかったらしょぼくなるよ」




猫っ毛で背の低い桐生ヤマトにたずねてみた。




するとヤマトは、しっかり整えられた眉毛を垂らし、少し微笑んで言った。




「コウスケほどドラム出来る奴はこの学校にはしないしね。ツバキが歌いながらドラムもやるって」




以前ドラムのテストをした時にツバキのドラムさばきを見たけれど、決して上手いとは言えない出来だったように記憶している。




しかし、他のやつらも似たり寄ったりだ。




授業の一環とは言え、やるからにはキッチリこなしたいはずだし、ツバキも少し不安があるようだった。




そこで、あたしはふと単純な事に気がついた。



「あたしがドラムやろうか?」




ヤマト、ツバキ、ハル、ユウリの4人が一斉にこちらに顔を向けた。




1人を除いた3人の目が輝いている。




「なんであんたがあたしたちのバンドに入るんだよ。これって採点とかあるんじゃねぇの?あんたが入ったら誰が採点するんだよ。バカじゃねぇの」




ユウリが棘のある言い方で言った。




ユウリにキツい事を言われるのはいつも通りなはずなのに……




徳沢アラタが自宅にやってきたあの夜ユウリの姿を見かけてから、あたしはユウリの目をみることが出来なくなってしまった。




やはり、ユウリを疑ってしまっているのだろうか……



違う。




そうじゃない。




ユウリは何もやっていない。




自分に言い聞かせる度にユウリを疑う気持ちが強くなっているような気がしてならない。




だって、あんな所に偶然居合わせるなんてやっぱりおかしい。




いや。




本当にただあそこにいただけなんだ。




だったらどうして逃げ出した?




それはアラタが鋭い目で彼女の姿を追ったから。




でも、実際に追いかけたわけでもないし、あたしたちはユウリの知り合いなんだから逃げる必要なんてないはずではないか。




だけど…




この数日、こんな1人問答を繰り返している。




考えれば考えるほど悩んでしまう。




どんなに忘れようとしても疑ってしまう。




あたしも教師の前にただの大人だって事なのかな。




この子たちを心から信じてやれない他の教師たちと変わらない…




とにかく、どうにかして事実を確かめなければならない。



「何言ってんの。自分が入った方があんたたちの事ちゃんと見れるし、むしろ採点しやすいじゃんよ」




あたしがそう言うと、ユウリ以外の3人は大きく笑った。




「カヅキちゃんが入ってくれたら他のどのグループよりも上手に出来るね」




ツバキが言った。




「コウスケの代わりは先生しか出来ねぇよな」




ヤマトが言った。




「じゃ、決まり」




ハルが言った。




どうやらユウリの意見は完全に無視されたらしい。




あたしにはあらく強気なユウリも仲間達には逆らえない様子だ。




ユウリはそれ以上は何も言わずに、膨れっ面でぷいと窓の方を向いてしまった。



「で、あんたたち何の曲やるかもう決めたの?」




早くもギターをいじり出しているヤマトに聞いた。




元々弾けるらしく、扱い慣れている様子だ。




「まだ。なんかいい曲ない?」




ヤマトとはテキトーなコードを弾きながらあたしを見ずに答えた。




すると、ツバキが少し恥ずかしそうに口を開いた。




「あたし、やりたい曲あるんだけど…」




モジモジしているツバキをユウリが興味深そうに見た。




「どんなのやりたいの?」




ユウリの口調は、あたしに対するものとは全く違っていた。




別人がしゃべったのかと思うほど、声のトーンも違っている。



この子も本当は悪い子ではない。




ただあたしの事が嫌いなだけ。




あたしは、この矢崎ユウリという生徒の事をもっと知りたくなった。




どんな家庭環境で育ったのか、幼い頃はどんな子供だったのか、どんな友達がいるのか、この子は一体何を考えてるのか。




それを知れば今のユウリの事を理解してあげられるし、もしあたしに対するいやがらせが全てこの子のせいだとしても、笑って許してあげる事が出来るかもしれない。




「えっとぉ…」




小さな声で曲名を言ったツバキの声は桃色に染まっていた。




その曲は、テレビなどでもよく聴く流行りのラブバラードだった。




そんなツバキの様子はとてもかわいらしく、しおらしい。




思い入れのある曲なのかもしれない。




「それ、いいじゃん」




ユウリは喜んだ。




協調性のない子だと思っていたが、それもあたしに対してだけなのだろう。




「うん。俺もそれでいい」




ヤマトもハルも申し分はなさそうだったので、どうやらこの曲に決定のようだ。



授業が全て終わると、あたしはある場所に向かった。




到着したのは、廃屋と化した倉庫。




周りには草が生い茂り、どこから来るのか少し生臭さを感じる。




湿っぽく、閑散としていた。




昔から変わらない…




巨大な鉄の扉には真新しい南京錠が、錠が外れた状態でぶらさがっている。




扉を横に引いた。




重そうな金属音のわりには意外に容易に開ける事が出来た。




開いた扉の先は、物のシルエットはわかるが、それがなんなのかはわからないくらいの暗さだった。




「まだ生きてる?」




あたしは奥にいるであろう男に声を掛けながら歩を進めた。




2人の男がいるはずなのに、どちらからも返事をもらえなかった。



何やらよくわからない錆びた機械の間をすり抜けて奥に進むと、出入り口から一番遠い角に2人の男の気配を感じた。




2人ともあたしに気づいている様子はない。




どうやら眠っているようだ。




もしかして、テツは気絶しているのかもしれない。




自分の鞄をまさぐり、携帯電話で2人の顔を照らしてみた。




テツもコウスケもずっぷりと汗をかいている。




あたしがくる少し前に格闘があったのかもしれない。




「カ…ヅキ…?」




先に目を覚ましたのはテツの方だった。




マズいな。




「お前、俺をこんな目に合わせやがって…」




テツの目は血走っていた。




口の周りには泡もたまっている。




人間というよりも獣に近い姿だ。




恐怖よりも同情を感じる。




1人の人間をここまで落としてしまうあの魔法の粉が忌々しくて仕方がない。



「あんた、もう人間じゃないよ。いくらコウスケが頑張ったってもう無駄なのかもね。あんたの心は弱い」




あたしは…




もう、この男をかわいそうとしか思えなかった。




弟にどれだけ想われていても、それに気づけないのだから…




こんなヤツ、助からなければいい―




死ねばいいんだ―




あたしの中に、突如憎悪の感情が芽生えた。




「そんな事ないよ」




いつ目を覚ましたのか、コウスケが落ち着いた優しい声で言った。




あたしは、コウスケのこの言葉がどちらに対してのものなのかわからなかった。




あたしが口に出して言った言葉に対してなのか、心で思った憎悪の感情に対してなのか…




あたしは後者だと思う。




だってコウスケは、人が何を考えてるかを読み取るのが得意みたいだから。



「俺は兄貴を助けたい。心からそう思ってる」




あたしにとっては最低の人間でも、コウスケにとっては最高の兄なのだ。




「あんた、いい弟持ってよかったね」




テツにそう言うと、まんざらでもないような表情を見せた。




ふてくされるかと思ったが、全く違う反応を見せたので驚いてしまった。




コイツにもまだ人間の心が残っている。




そう確信し、兄も弟を強く思っていることに気がついた。




まだ間に合うかもしれない。




あたしはこの2人の兄弟愛を思い知り、先ほどの感情を自分の中で撤回した。




死ねばいい人間なんてこの世にいない―




誰もが誰かに愛されている―




少なくともあたしは、そう信じたい。



突然、テツが激しく震えだした。




震えというよりほとんど痙攣だ。




どう見ても尋常ではない。




禁断症状―




コウスケは臆する事なく、ガダガタ震えているテツを押さえつけた。




テツは何かわけのわからない言葉を叫びながら手足をばたつかせて暴れている。




あたしは、手伝う事も出来たがあえてそれをしなかった。




これはこの2人の問題。他人のあたしは手を出さない方がいい。




「兄貴!しっかりしろ!大丈夫だから!!」




コウスケは暴れるテツを必死に抑えながら、テツの叫び声に負けない大きさの声で叫ぶように言った。



それでもやはり、ジャンキーの力には勝てない。




テツはコウスケを振り払い、出口に近づこうと走り出した。




だが、力の強さの割には走るのは遅かった。




ヨロヨロとしていて、真っ直ぐには走れていない。




すぐにコウスケが追いつき、テツを捕まえた。




コウスケはテツを引きずるようにして元の位置に戻した。




それでもテツは暴れ続けている。




コウスケはついにテツの顔面を殴った。




2、3回骨と骨がぶつかる鈍い音が聞こえた。




暗さに慣れた目で、あたしはその光景をまばたき1つせずに見ていた。




目をそらせてはいけない。




全ての事を見ていなければいけない。




それが、自分にとっての義務であるかのように感じた。



やがて激しい物音は聞こえなくなった。




テツが気を失ったのだろう。




コウスケの荒い息づかいだけが、静かな倉庫内にこだましている。




「がんばってるんだね」




あたしはコウスケの隣に立ち、気絶しているテツを見下ろしながら言った。




「兄貴のこと、本当に…助けてあげたいから」




コウスケの頭をなでてやった。




サラサラの髪の感触が心地いい。




コウスケの全身から力が抜けていくのを感じた。




ずっと張り詰めていたものが、すっと緩んだようだ。




「なぁ」




コウスケがあたしの腕をつかみ、床に座らせた。




湿った床に腰を下ろすと、その隣にコウスケも座った。




「ん?」



「カヅキも…本当に薬やってたの?」




やっぱり、コウスケにはウソはつけないようだ。



「やってないよ」









あたしは、少し口元を緩めて言った。




コウスケにウソを見破られた事が嬉しかったのと、ずっとついてきたウソから解放されるという事にホッとしたから。




あたしのこの表情は、コウスケに見えているのだろうか…





「やっぱりね。じゃあどうして俺にウソついたの?」



「昔…



テツに薬薦められて、飲んだフリしてた。



トんだフリもした。



こんなどうしようもない奴でも大事な仲間だったから…



あと、ちょっとだけ怖かったから。



だから誰にも言わなかったんだ。



自分以外は知ってたらいけないと思って」



「でももう今は兄貴は仲間じゃないし、怖くもないだろ?



だったら俺にウソつく必要はない。



それに、もう何年もたってる」



あたしは一度大きく息を吸い込んだ。




それを勢いよく吐き出すと、息と一緒にいろんなものも吐き出せたような気がした。




「薬のせいで死んだ仲間もいた。だから自分だけイイコではいられなかった」



「仲間が…死んだの?」




コウスケはひどく悲しい声で言った。




優しい子だ。




「でもまぁ、正直言って自業自得だよね。何もしてあげられなかったあたしも悪いけど」



「でも、その人たちの事今でもちゃんと覚えてるじゃん。それで充分だよ」



「ありがとね」




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