予感
『ギルティー』のトイレ内は静まり返っていた。
少女がこの場にいるという事はテツには絶対にバレてはいけなかったのに、少女の油断でバレてしまった。
いろんな事がもう遅い。
少女はテツに、ここにいる理由を問われたが、一向に答えることが出来なかった。
「どうしてここにいるんだって聞いてるんだよ」
テツは少女に詰め寄る。
「そんな事お前に言う必要があんのか?」
南條がすごんだ。
テツよりも背が高い南條は、テツを見下ろしながらプレッシャーをかけている。
それでもテツは引き下がらなかった。
「どう見てもお前らグルだよな。どういう関係なわけ?」
南條に怯えていたテツの姿はもうなく、探るような目つきで少女と南條を見ている。
少女はそんなテツの目を見ることが出来なかった。
自分のしていることは、明らかにテツに対しての裏切り行為なのだから。
「お前にそれを教えるわけねぇだろうが」
またしても、少女の代わりに南條が答えた。
少女を庇う為に南條がテツの質問に答えているのだが、南條自身も動揺している。
「てめぇに聞いてんじゃねぇよ。コイツに聞いてんだよ。なぁ、カヅキ」
『カヅキ』と呼ばれた少女は、一度勢いよく息を吐くと、真っ直ぐにテツの目をみた。
「あたしはあんたを売ったんだよ」
少女の思いがけない言葉に、テツも南條もしばらく声を発する事が出来なかった。
「売った…?」
テツは少女の顔と南條の顔を交互にゆっくりと見比べた。
そこではっとする。
ようやく状況が早く出来たらしい。
「じゃぁ、コイツ警察かよ!!」
ただし、間違った状況把握。
少女はテツにそういう連想をさせるためにあえて売ったという表現をしたのだ。
南條が教師だとバレると、ナメられるおそれがあったから。
ここでナメられたら全て終わりだ。
だからこのまま、南條を警察だと思わせておく必要があった。
南條は瞬時に少女の企てに気づき、一切余計な事を言わなかった。
今この状況でバカなのはテツだけだった。
少女と南條が黙っている事によって余計に真実味が増し、テツは南條を警察の人間だと完全に思い込んだ。
「だめだ!今パクられるわけにはいかねぇんだ!見逃してくれよ!頼む!!」
先ほどまでの勝ち誇ったような口調とはまるで違っている。
テツは、ただの高校教師に半泣きで懇願した。
人間の思い込みとは素晴らしいものだ。
一度間違った解釈をしてしまうとそのまま突っ走る傾向があるらしい。
便利な様で迷惑な様で、人間とは困った生き物だ。
ただ、この場合は人間の傾向とテツの頭の悪さがどれほど役にたったかは計り知れない。
「どうして今パクられるわけにはいかないんだ?」
頭を抱え込んでいるテツに、南條がたずねた。
「殺られる…」
テツは異常なくらいに何かに怯えている。
恐怖のせいか、呂律がうまくまわっていない。
もちろん、テツは南條に怯えているわけではない。
ある人物に対し、限りない恐怖感を抱いているのだ。
「誰に?」
「…」
テツは南條の問いに答えられないでいた。
まるで、名前を言うとその人物がここに現れると思っているようだった。
「岩佐木か?」
テツはブルブルと震えながら言った。
このテツをこれだけ怯えさせるなんて、岩佐木という男はよほど恐ろしいのだろう。
「お前がもし檻に入ったら殺せねぇだろ?」
南條がもっともな質問をした。
すると、テツは首を横にブンブン振った。
「岩佐木は…
あそこの連中は普通の人間とは違う…
一度殺ると決めた以上、そいつが外国にいようが檻にいようがどんな手段使っても必ず仕留める…
逃げ切るなんて事は不可能なんだよ…」
テツはその場に崩れ落ちた。
震えも止まらないようだ。
南條はテツの話を聞いて、何かを考えている。
数秒間沈黙が続くと、それまでほとんど動かなかった南條が口を開いた。
「そういう事なら今回は見逃してやる。ただし、俺が出す条件をのんでもらうぞ」
テツは南條の発言に呆気にとられた。
当然だ。
目の前にプッシャーがいるのに、それを見逃すポリ公なんているわけがない。
「本当か…?なんでも言うこと聞くよ!!」
呆然としたのは一瞬の事で、テツの目はすぐに輝きだした。
大きな希望が目の前にちらついているのだから仕方のないことだ。
「岩佐木、今どこにいる?」
少女から岩佐木組の本拠地の場所を聞いたにも関わらず、南條は同じ事をテツにも聞いた。
南條の目は真っ直ぐにテツに向いている。
テツは少し迷っている様子を見せたが、やがて唇を震わせながらゆっくりとその場所を答えた。
「はぁ?なんで?」
南條は眉間にシワをよせ、テツに疑いの目を向けた。
テツの言った場所が少女が言った場所とは違っていたからだ。
「てめぇ、ウソついたら俺が殺すからな」
南條は険しい顔でテツの頭を鷲掴みにした。
テツは泣きそうになりながら、首が取れてしまうんじゃないかと思うほど横に振った。
「ウソじゃねぇよ。前の事務所はサツに目つけられてもうダメだから、岩佐木組系の兄貴の事務所に移ったんだ」
「はっ。岩佐木組の頭が聞いてあきれるな。情けない」
テツも南條と同じ事を思っているのか、何も言わなかった。
「今から俺をそこに連れていけ。それがお前を解放する条件だ」
南條は低い声でそう言った。
テツは迷いながらも小さくうなずいた。
南條とテツは、店の外の駐車場に停めてあった黒のセダンに乗り込んだ。
テツが組から借りているものらしい。
「お前は家に帰れ」
南條は少女にそう言って、少女が自分たちと共に車に乗ることを許さなかった。
「なんで?あたしも一緒に行くよ」
少女はそう言って、後部座席のドアに手を伸ばした。
「だめだ」
南條は険しい表情で少女に言った。
口答えを許さない顔だった。
「わかった…でも、戻ってきたらちゃんと連絡してよね」
少女は心配そうにいった。
「必ず連絡するから」
南條はそう言ってニッコリ笑った。
この笑顔を見た少女は無性に寂しくなった。
この男がもう二度と自分の元には帰ってこないような気がしてならなかったから。
大丈夫…
あいつはあたしを置いてどこかに行ったりしない…
必ず無事に帰ってくる…
少女はそう信じて帰路についた。