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脅威

冷蔵庫から500mlペットボトルのミネラルウォーターを取り出し、勢いよく飲み干した。




最近学校へ行くのが辛い。




生徒達とはいい感じなんだけど、やっぱりあのいやがらせはこたえる…




誰があんな事をしているのかも、一体なんの目的でやっているのかもわからないから気味が悪い。




朝から動物の死体なんて見せられたら、誰だってテンションだだ下がりでしょ。




でも、だからと行って学校を休むわけにもいかない。




行くしかない。




いやがらせが始まってから、あたしは毎朝いちいち決意をして学校へ行かなくてはならなくなった。




そうしないと気持ちが折れてしまいそうだったから。




軽く朝ご飯を食べ、歯を磨き、洋服に着替えて髪をセットする。




玄関で靴を履いていると自然とため息が出た。




その時、携帯電話が鳴った。




また父親かと思って画面を見たが、そうではなかった。



徳沢アラタ






いつも助けてくれるあの体育教師の名前が表示されている。




通話ボタンを押すと、通話口から威勢のいい声が聞こえてきた。




「カ〜ヅキ!元気かぁ??」



「あ〜」




あたしはアラタのテンションについていく事が出来ず、適当に返事をした。




「なんだ、その返し。どんだけやる気ねぇんだよ。学校休むなよ。俺、今から迎えに行こうか?」




一人でいるよりいくらか気が楽になるかもしれないと思い、アラタの好意に甘える事にした。



「うん、来て」








10分後。




インターホンが鳴った。




アラタだとわかっていたので、そのまま家を出た。




「おはよ。お前、大丈夫か?」




あたしの顔色はそうとう悪かったらしく、アラタは心配そうに言った。




「大丈夫。迎えにきてくれてありがとね」




珍しく素直に礼を言ってみた。




アラタは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに優しい笑顔を向けた。



学校に到着して、2人で車から降りてみると、案の定生徒達にからかわれた。




「なぁんだ。やっぱ付き合ってたんだぁ〜。仲いいと思ってたんだよねぇ〜」




あ〜めんどくさい。




あたしの心情を察したのか、アラタが代わりに否定してくれた。




「ちげぇよ。友達なの」



「ホントにぃ〜?」



「ホント」



「でもさぁ〜、徳沢は藤嶺の事好きなんでしょ?そういうウワサあったんだけどぉ〜」




アラタの頬が赤くなった。




あら?




そうなの?




アラタはすごい勢いであたしの方を向いた。




「いや!違うから!」




全力で否定しなくてもいいじゃないか。



2人で職員室に入っていくと、ここでもひやかしの目で見られた。




だが、さすがは大人。




誰も何も言わなかった。




ただ、態度や視線の方が口に出して言われるよりもずっと嫌だった。




「朝倉先生、おはようございます」




アラタが、数学担当の朝倉マキにあいさつをしている。




マキは黒髪のロングヘアーで、肌の色は透き通るように白い。




背があたしよりも5センチは高くスタイル抜群。




おまけに瞳の色がやけに明るいので、黒髪でさえなかったら日本人にはみえないだろう。




たいそうな美人。




マキに比べたら、あたしなんてダルマみたいなもんだ。




「おはようございます」




マキはニッコリ笑ってアラタにあいさつを返している。




そのままの笑顔であたしの顔を見た。




「藤嶺先生、おはようございます。お二人は本当に仲がよろしいんですね」




さらに笑顔が広がる。




女のあたしでもこの笑顔で落ちそうになる。




なんてこった。




「まぁ、俺がコイツの面倒見てやってるだけなんですけどね」




アラタが勝手な事を言っているが、いちいち否定するのも面倒なので、あたしはあえて何も言わなかった。



マキとアラタの会話を最後まで聞くことなく、あたしは自分の机に向かった。




一応、確認の為引き出しを開けてみる。




異常なし。




心の底からホッとした。




でも、その安心感は2秒ももたなかった。




机の上に置いてあるあたしのパソコンの端っこに付いている蛍光ピンクの付箋を見つけてしまったからだ。




付箋には、小さな字でインターネットにつながるであろうアドレスが書き込んである。




利き手とは違う手で書いたようなウネウネと気持ち悪い字だった。




強力に嫌な予感がした。




でも、たぶんアクセスしないとだめなんだろうなぁ。



付箋に書いてあるアドレスを入力すると、画面上に《接続中》という文字があらわれた。




「どこにつないでんの?あ〜エロサイトか」




いつの間にかあたしの隣にアラタがいた。




つまらない冗談にのっかってる場合ではない。




「違うとも言い切れないんだよね。こんなのがパソコンにくっついててさ」




あたしは、アドレスが書いてある蛍光ピンクの付箋をアラタの目の前にちらつかせた。




「またいやがらせか?」




アラタは呆れたような困ったような怒ったような表情で言った。




心配してくれているというのが、重々伝わってきた。




ありがとね。




「さぁ」



「お前、誰かに何かしたんじゃねぇの?思い出してみ」



「心当たりありすぎて大変」



「だよな」




教師同士の会話とは思えない。




まぁ、この男も昔はけっこういろんな事やらかしてたからね。




パソコンの画面上にはまだ《接続中》の文字。




さっさとつながれよ、うっとうしい。



「なぁ」




アラタがいつもとは違う声で言った。




冗談を言うつもりはなさそうだ。




「ん?」



「お前にいやがらせしてる奴ってさ、女だと思うんだけど」




それはあたしも考えていた事だった。




あたしがいない間に引き出しに動物の死体をいれるなんて陰湿ないやがらせんされると、どうしても女の仕業だと思ってしまう。




今までの経験から学習したことだ。




「うん、あたしもそう思う。なんか、やり方が汚いよね…」



「どうせやるんだったらお前の愛車ぶっ壊すくらいの勢いでやってもらったほうがいい」



「そんな事されたら、あたし何するかわかんない」



「想像したくねぇ」




そんな会話をしていると、パソコンの画面上から《接続中》という文字は消え、画面全体が真っ黒になった。




その真ん中に《ここをクリック》という文字だけが表示された。




とても危険な感じがする。



《ここをクリック》と書いてある部分をクリックしてみた。




すると、ゆっくりと何かの画像が表れ始めた。




画像というか、動画のようだ。




全部で4種類の動画がパソコンの画面上にあわられた。




真っ赤なソファーと34インチの液晶テレビと大きめのガラステーブルが写っているコマ、黒のダブルベッドが写っているコマ、洗面所と脱衣所が写っているコマ、シルバーの冷蔵庫とシステムキッチンが写っているコマ。




それらはまず間違いなくあたしの部屋だった。




それに気付いた時、背筋が凍りついた。




ひょっとして…




この映像がリアルタイムで公開されているのではないだろうか…




という事は、夜中に腹出して寝てるところとか、朝必死で化粧をしているところとかも全部流れてたって事じゃねぇか!!!




自宅に侵入して何個もカメラを仕掛けたり、こんなホームページ作ったり随分手が込んでいる。




これは何が何でも犯人を探さないといけない。



「これお前の部屋か?」




アラタが恐る恐る聞いた。




「そうだよ」



「これはさすがにヤバいんじゃねえの?」



「わかってる!!」




ついアラタに八つ当たりしてしまった。




それでもアラタは怒ったりしない。




「帰り道とかあぶねぇよ」




正直、一人で帰るのは怖かった。




でもとにかく、家に帰ったらすぐにカメラを探し出して壊滅しなければいけない。




あたし一人で?




いやだ…




「送ってくよ」




アラタは何も言わなくてもあたしの気持ちをわかってくれる。




ふとコウスケの顔が頭に浮かんだ。




あの子も…




あたしの事わかってくれるんだよね…




「助かる。ついでにカメラ探しも手伝ってね」



「もちろん」



一時間目の授業はコウスケのクラス。




あんな事があったばかりなので、授業をするのが辛い。




一刻も早く家に帰ってカメラをなんとかしたいのに。




こんな日に限っていつもは開かないドアがすんなり開いたりするんだ。




腹立つ。




今ガタガタ言っても、どうせ今日1日授業しないといけないんだから、とりあえず授業の間は忘れたい。




あたしは自分の両頬を張って気を引き締めた。




よしっ、かんばろう。




「みんな、おはよ。じゃぁテキトーにバンド練習始めて」




気を引き締めたはずなのに、やたらと気の抜けた指示だったと自分でも思う。




「先生、なんかやる気なくねぇ〜?」




ヤマトが気にかけてくれた。




ん?




気にかけてくれたのか?




もう、それすらわからないくらいに力が入っていない自分がいる。




今日はまともな授業できないかもしれないな。




でもまぁ、授業でバンドをやってる以上どっちにしてもあたしはあんまり何もしなくていいんだよね。



「やる気があってもなくても、どっちにしてもあたし今する事ないんだよね」



「ヒマなの?」



「まぁ」



「じゃぁ、授業すればいいんじゃないの?」




ヤマトは珍しい生徒だと思った。




普通、授業なんていやなもんなんじゃないの?




「あんた授業やりたいの?クラシック鑑賞なんてやっても、どうせ聴いてないんでしょ?だったらバンドの方が全然楽しいじゃん」




まぁ、要するにあたし自身が授業したくないだけの話。




「そりゃそうだ」




ヤマトはニッコリ笑って、自分のパート練習にはげみだした。




ヤマトはコウスケのグループでギター担当だった。




ベースがハルで、キーボードはユウリ、ボーカルはツバキでドラムがコウスケ。




そういえば、コウスケはドラムのテストの時には素晴らしい才能を発揮していたんだっけな。



「おい」




突然、コウスケがあたしの肩をつかんだ。




ものすごい剣幕であたしを見下ろしている。




「何?」



「ちょっと来い」




コウスケはあたしを音楽室から引っ張り出した。




この校舎には一階に職員室と宿直室があるだけで、音楽室がある階には空き教室とトイレしかない。




つまりまぁ、今この廊下にはあたしとコウスケしないない。




「何なの?」




少し怒り気味に言うと、コウスケはさらに怒り気味の口調で返してきた。




「何かあっただろ?」




う〜わ。




バレてるし。




あんた、ホントするどいねぇ。




「別に何でもないけど」




とりあえず、ごまかしてみようと努力はしてみる。




「俺がそんなんでごまかされるわけねぇだろ」




無理だろうなとは思ってたけど、やっぱりね。




っていうか、あたし何で怒られてるわけ?!




意味わかんないんだけど。




「あたしは、あんたに何でも話さないといけないの?」



「何でも話してほしいんだよ」




コウスケはじっとあたしの顔を見ている。




絶対に目をそらさない気だ。




あんたの目、ずるいよ。




全部話してしまいたくなるんだもんな。



「…実はさ、最近ちょっとしたイジメっていうか…いやがらせされてるんだよね」



「は?なんで?」



「そんなん知らない。わかってたら手打ってるしな」



「いやがらせってどんな?」



「職員室のあたしの机の引き出しに動物の死体入れられてたり、あたしの部屋に隠しカメラ仕掛けてその映像ネットで流されてたり…」




コウスケはやっとあたしから目をはなしてくれた。




窓と方を睨みつけ、下唇をぐっと噛んでいる。




怒りが伝わってきた。




あたしが何者かによっていやがらせを受けているという事に怒りを感じているコウスケを見ていたら、なんだか嬉しくなった。




あたしの為に怒ってくれているんだ…




今度はあたしがコウスケの顔をじっと見つめた。



コウスケはキレイだ。




間違いなくあたしよりも。




グリーンがかった瞳の色がキレイ。




スッと整った鼻がキレイ。




キリッとした眉がキレイ。




少し大きめの口がキレイ。




とがったのどぼとけがキレイ。




金色の髪がキレイ。




長い指がキレイ。




スラッとのびた足がキレイ。




低いけれど、優しい声がキレイ。




正直、見とれる。




なんだかコウスケが遠く感じた。




あまりにも美しいから…




「いつから?」




コウスケに見とれていたあたしは、コウスケの声に驚いた。




「へ?」



「いつからそんな事されはじめたの?」



「あたしが保健室で寝てた日…たぶんあの時からだったと思う」



「俺が兄貴の事話した日?」




あたしはうなずいた。




同時にコウスケはとても悲しそうな顔になり、そっとあたしを抱きしめた。



「どうしたの?」




コウスケの胸に口を押し付けられているせいでこもってしまった声で言った。




「俺、何も知らなかったから…カヅキがそんな目に合ってるなんて知らなかったから…自分の事ばっかり話してごめん」




コウスケがあたしを『カヅキ』と呼んだ。




今まで誰に呼ばれてもたいして何も感じなかったが、コウスケにそう呼ばれた瞬間、自分でもビックリするくらいドキリとした。




もっと呼んでほしいと思った…




「なんであんたがあやまんの?」



「気づいてあげられなかったから…カヅキを守ってあげられなかったから…」




コウスケの声で名前を呼ばれる度に、呼吸困難に陥りそうになる…




どうしよう…




ちょっとヤバいかも…




そんな事言われたら、あんたの事好きになるよ…



「そんな事…あやまらなくていいよ。全然コウスケのせいじゃないんだし…」




コウスケはあたしをさらに強く抱き締めた。




ここは学校で、ドアを隔てた向こう側には他の生徒がたくさんいる。




だけど…




そんな事は考えたくない。




どうでもいい。




もっとこうしていたい。




出来ればずっとこうしていたい…




でもやっぱりそれは無理な話だった。




コウスケはあたしを離し、薄く笑った。




「もう教室入らないと、バレるね」




『バレる』という表現がなんとなく嬉しかった。



「そうだね。ドラムの練習しないと」




そう言いながら、あたしは音楽室のドアを開けようとした。




すると、コウスケはあたしの腕をつかんだ。




「ちょっと待って。兄貴の事、もう一度話したい」




あたしはドアから手を話し、コウスケの方へと向き直った。




「うん。具体的に話し合わないとね。じゃぁ、今夜合おうか」




コウスケは驚いた顔をしている。




「どうしたの?」



「いや、なんでもないよ」



「連絡するから」



本日のすべての授業が終わり、あたしはアラタと一緒に職員室で仕事終わりのコーヒーを飲んでいた。




あ〜、うめぇなぁ〜。




「じゃぁ、帰るか」




朝あんな事があり、1人で帰るのは危ないとの事でアラタに送ってもらう約束をしていた。




いい友達もってあたしは幸せだな。




「宜しくお願いします」



「任せろ。飯でも食って帰るか?」



「いや、今日はやめとく。別の約束あるから」




もちろんコウスケとの約束の事だ。




アラタには一応伏せておこう。




いろいろ言われたら面倒だし。



教職員用の駐車場には、アラタの愛車のオデッセイが停まっていた。




アラタが助手席側のドアを開けてくれた。




ジェントルマン。




「どうぞ」



「ありがとう」




ちょっとしたお姫様ごっこをした後に、アラタわドアを閉め、自分も運転席に乗り込んだ。




オデッセイで姫にはなれねぇな。




しばらく走っていると、アラタが話し出した。




「あのいやがらせ、マジで誰がやってんだろうな」



「わかんないから気持ち悪いんだよね。理由もわかんねぇし」



「お前、ホントに心当たりねぇの?」



「ねぇよ。教師になってからはね」



「じゃぁ昔の知り合いがやってるとか」



「それはねぇだろ」




アラタは「んー」とうなり、考え込んでしまった。



2人とも無言で考え込んでいるうちに、あたしの自宅に到着した。




ここではアラタは助手席のドアを開けてくれなかった。




やるんだったら最後までやれよ。




「送ってくれてありがとね」



「どういたしまして。明日も迎えに来ようか?」




あたしはアラタに笑顔を向けた。




「ううん、もう大丈夫だから」



「そっか」



「うん、ありがと。じゃぁ」



「ドアの前まで送っていくよ」



「何?入ろうとかしてんの?絶対やだけど」



「余計な心配してんじゃねぇよ。お前なんかに発情しねぇから」




あ〜そうかい。



鉄の階段をのぼり、自分の部屋のドアの前に立った時、背筋に冷たいものが走った。




鍵穴がズタズタに傷つけられていた。




「何…コレ…」




驚きと恐怖を一気に感じた為か、声がかすれてしまった。




「まぁたぶん、同一犯だろうな」




アラタは冷静に言った。今のあたしにはこの冷静さが、頼もしかった。




「最悪…」




そう言ったのとほとんど同時に誰かの視線を感じた。




もちろん、アラタの視線ではない。




視線の主を探そうとキョロキョロしていると、階段の下で黒い影が走り去っていくのがわかった。




「なんだよ、あいつ。追うか?」




アラタも黒い影が動くのを目撃していたらしい。




「暗くてよく見えなかったね。危ないから追わなくていい」




あたしはアラタにウソをついた。




本当は…




一瞬だけ見えた黒い影の正体が誰だけわかっていた。




間違いなく矢崎ユウリ。




嫌われてるとは思っていたけど、まさかこんなこと…




今までの事、全部あんたの仕業なの…?



「とにかく、中に入って盗られた物がないかどうか調べてみろ。俺、ここで待ってるから」



「いいよ。上がって。カメラも探してもらう約束だったし」




あたし達は家中をくまなく捜した。




盗られた物がないか、カメラは何台あるのか。




結局、盗られた物は何一つなかった。




その代わり、小さなカメラが全部で6台みつかった。




画像が4つなのにカメラが6台だったのは、たぶんあの画像が時間帯によって変わるようなシステムになっているからだろう。




鍵穴がズタズタになっていたのは、泥棒するのが目的だったのではない。




あたしを恐がらせるのが目的だったんだ。




だとすると、やっぱりあの鍵穴もいつものいやがらせの犯人と同一人物と考えて間違いなさそうだ。



じゃぁ、やっぱりユウリが?





いや、ユウリはたまたま今日あの場所にいただけかもしれない…




とにかく、何の確証もないんだからユウリが犯人だと決めつけるにはまだ早い。




だけど…




あんな場所にたまたまいるなんて事はあるのだろうか…?




「盗られた物、なかったよ」



「そうか。よかった」




アラタはホッとしたようにため息をついた。




ホントに心配してくれてんだね。




ありがと。




「うん。あ、ちょっと待ってて」




あたしはアラタをリビングに置いて、キッチンに向かった。




お湯が沸くのを待っていると、やっぱりさっきの事を考えてしまう。




ここはユウリの家から近いのかな?




それとも、このマンションに友達が住んでるとか?




でも、あたしに見られた時、逃げたようにしか見えなかった。




逃げるのは何かやましい事があるからだよな…




やかんのピューというけたたましい音で、今お茶を淹れていたところだという事を思い出した。




食器棚からマグカップを2つ取り出し、紅茶を淹れた。



リビングに戻り、紅茶を差し出すと、アラタはニッコリ笑った。




「何?」




あたしがそう聞くと、アラタはさらに笑った。




真っ白い歯が輝いている。




「だから、何?」



「お前、丸くなったね」



「は?」



「昔のお前ならさ、さっき走っていったやつ絶対追っかけてると思うんだよなぁ。



ガンギレで。



なのに、危ないからって追わせなかっただろ?



だから、変わったなぁって。



女っぽくなったな」




面と向かってそんな事言われたら困るんだけど。




照れるよ。




「そう?」




昔のあたしを知っているのは、今はこの男しかいない。




いつもなら忘れたい過去だけど、この男と過去の話をすると楽しかった思い出ばかり出て来る。




なんでかな…



「そうだよ」




そう言うと、アラタは紅茶を一気に飲み干した。




猫舌ではないようだ。




マグカップをテーブルに置くと、「よいしょ」といいながら立ち上がった。




あんたはおっさんか。




「この後約束あるんだろ?俺、帰るわ」



「あ〜、うん。ごめんね」



「いいよ」




アラタを階段の下まで見送り、オデッセイが見えなくなると、あたしはまたさっきユウリらしき人物を目撃した場所を見た。




あれは…




本当にユウリだっただろうか…




あの鍵穴をユウリがやったなんて信じたくない。




いくら普段罵られっぱなしだといってもユウリの事は嫌いじゃないし、大事な生徒の一人なんだから。




それに、もしあれがユウリだったとしても確かめようがないじゃないか。




しらばっくれられたら終わりだし、もし違ったとしたら自分に疑いがかかる辛さはよく知っている……




さて、どうしたものか。



部屋に戻り、ため息をついた。




いろんなモノを振り払うように髪をくしゃくしゃにしてみたが、なんの効果も得られなかった。




あたしは、カバンから携帯電話を取り出し、コウスケの自宅の番号を入力した。




携帯電話の番号、聞いとけばよかった。




コール音が3回鳴った後、男の人の声が聞こえた。




「もしもし」



「藤嶺と申しますが、コウスケさんはご在宅でしょうか?」



「俺」




電話に出たのはコウスケ本人だった。




機械を通すと、肉声とは違う声なのでわからなかった。




電話の声に、またドキリとした。




「今から迎えに行くから」



「えっと、じゃぁ駅まで出るから」



「わかった」




学校以外の所で会うなんて、ちょっと緊張するな。




なんて思ったすぐ後に、さっきくしゃくしゃにした髪の事を思い出し、慌てて洗面台に向かった。



髪を整え、軽く化粧も直すと、さっそく駐車場に向かった。




エンジンをかけると、陽気な音楽が鳴りだした。




その音楽を聴いていると、返って重い気持ちになりそうだったので、止めた。




今からコウスケに会えるのは嬉しいけど、話が重くて暗い内容だから、気を引き締める為にその後違う音楽もかけなかった。




駅につくと、改札口の近くにコウスケの姿を見つけた。




小さくクラクションを鳴らすと、コウスケはそれに気付き、小走りでやってきた。




「おまたせ」



「待ってないよ」




あたしは自分の部屋に向かって車を発進させた。




「どこいくの?」



「あたしの部屋」



「えっ?!」




教師が自分の部屋に生徒つれこんじゃぁ、マズいよな。




でも、今回は仕方ない。




「誰にも聞かれたくない話でしょ?」




コウスケは慌てた様子を落ち着け、ゆっくりとうなずいた。



「どうぞ、入って」




自分の部屋のドアを開けながら言うと、コウスケは「ありがとう」と言って、遠慮がちに部屋にあがった。




「テキトーに座ってて。コーヒーでも淹れてくるから」




アラタの時と同じように、コウスケをリビングに置いてあたしは台所に向かった。




どういうわけか、コウスケはさっきアラタが座っていた所と全く同じ所に座っている。




なんとなく申し訳ない気持ちになる。




1日のうちの、しかも短時間で部屋に2人の男を連れ込んでるけど、いいのかな?




事情を知らない人が聞いたら、完全に魔性の女だと思われるだろうな。




まぁ、別にいいか。




ガシャガシャと音を立てながらコーヒーを淹れていると、コウスケがリビングから声を掛けてきた。




「もしかして、俺がここにくる前に他に男がいたんじゃねぇ?」




ギクリとした。




動揺するような事は一切していないはずなのに、ものすごく後ろめたい気持ちになった。




アラタと付き合っているわけでもないし、コウスケと付き合っているわけでもないのに、恋人に浮気がバレた時のような感覚にとらわれた。



「誰もいないよ。なんで?」




とっさにウソをついてしまった。




「いや、別になんとなく」




たぶん、コウスケは今あたしがウソをついた事をわかっている。




あたしはウソをつくのがヘタなのかもしれない。




「そう…」




気まずい空気になりそうな感じだったので、淹れたてのコーヒーをコウスケに差し出した。




コウスケは小さく笑って礼を言った。




ウソを追求しないコウスケの優しさに、罪悪感を感じた。



あたしたち2人はなかなか本題に入れなくて、しばらくくだらないテレビを観ながらはしゃいでいた。




コウスケがこの部屋にきてしばらく時間が経った時、コウスケが重い口を開いた。




「俺さ、これからどうすればいいのかな…」




その低い声に少し緊張し、くずしていた足を正座に替えた。




核心的な言葉は口にしなかったが、何のことを言っているかは必然的にわかる。




「今、どんな状態なの?」




コウスケはうつむく。




あたしは何も言わないでコウスケの返事をじっと待った。




「目が…ヤバい」




この反応からして、たぶんそうとう浸ってしまっているんだと思う。




ひょっとしたら、もう手遅れなのかもしれない。




だけど、初めから諦めるわけにはいかない。




コウスケの兄貴を助ける為ではなく、コウスケ自身の為に。



「そっか…。お兄さんがどこに薬しまってるか知ってる?」



「今は一緒に住んでないから…あ、でも兄貴が今住んでる場所なら知ってる」




あたしは小さなメモ用紙とボールペンを差し出し、コウスケの兄貴が今住んでいる場所の住所を書かせた。




見慣れない住所。




「ここにホスト仲間と2人で住んでるらしいんだ」



「その人の名前はわかる?」



「源氏名かもしれないけど、確かレツって名前だったと思う」




なるほど。




同じホストクラブの人間と同居か…




まず間違いなくレツもジャンキーだ。




そんなやつと一緒に住んでるうちは薬なんてやめられるわけない。




まずレツをどうにかしないとだめだな。



「とにかく、そのレツってやつとあんたの兄さんを離さないと話が進められない。兄さんをあんたのうちに連れ帰る事は出来そう?」




コウスケはしばらく考える。




でも、答えはわかっている。




「無理だと思う」




そりゃそうだ。




レツと一緒に最高の生活を送っているのに、わざわざ元の家に戻るなんて事はしないだろう。




でもあたしには考えがある。




とても危険な考えが。




「どうしても兄さん助けたいんだよね?」




コウスケは強い表情でコクリとうなずく。

























「じゃあ、いざって時には兄さん殺せる?」



あたしのその残酷な発言を聞いたコウスケは、今までうつむきかげんだった顔を上げ、真っ直ぐにあたしの目を見た。











「あぁ」











『その覚悟は初めからあった』




と続きそうな返事だった。




このあまりにもはっきりとした返事に、あたしの方が恐怖を感じるほどだった。




でも、これだけの覚悟があるのなら、あたしが考えている事も出来そうだ。




「あたし、あんたの兄さんを助ける方法知ってるんだ。だけど、本当に危険でヘタすりゃあんたか兄さんが死ぬかもしれない」



「うん」



「一応聞いておくけど、あんたの家に兄さんを病院に入れるお金はある?」




コウスケは首を横に振った。




親戚の援助で生活しているコウスケに、そんな金があるわけもなかった。




「だったらやっぱり、あたしの考えを実行しよう。



でもね、あんたたち2人には地獄みたいなもんだよ。



それでも耐えられる?



何があっても途中で投げ出したりしない?」




コウスケの目を見れば、答えはわかった。



あたしが、これからコウスケの兄貴にしようといている事の説明をし終えると、コウスケは深いため息をついた。




「それぐらいしないとダメなんだよ。



もしかしたらそれでもダメかもしれない。



でも、今言った方法で助かった奴を1人だけ知ってるんだ。



だから、それに賭けてみようと思う」



「ホント?誰?あ、俺の知らない人なのかな」




コウスケは目を輝かせている。




希望が見えてきた事が嬉しいのだろう。




「あんたも知ってるよ」




言ってもいいものなのか迷ったが、結局言う事にした。




具体的な名前をあげた方が、コウスケに希望の光をより近いところで見せてあげられるような気がしたからから。




「徳沢アラタ」



「えっ?!」




コウスケは、アラタがあたしの昔の仲間だった事を知らなかったみたいだ。




アラタも高校の時は、手がつけられないほど荒れていた。




当たり前のように薬に手を出し、当たり前のようにハマった。




アイツも、本当にヤバい所までいったけれど、地獄を乗り越え、今は教師をやっている。




こんな奇跡も存在する世の中なのだ。




でもそれは、アラタの驚異的な精神力とこの地獄から抜け出したいという強い想いがあってこその事だ。




コウスケの兄貴におなじ方法が通用するかどうかはやってみなければわからない。




ただ…




ヘタをすれば死に至るこの方法。




最良手段と言えるだろうか…



インターホンの甲高い音が響くマンションの一室のドアの前に、緊張した面持ちで狭間コウスケは立っていた。




「だれ〜?」




張りや生気を感じさせない声が返ってくる。




「オレだよ。コウスケ」




コウスケがそう言ったとほぼ同時くらいの早さで勢いよくドアが開いた。




「コウスケ!久しぶりだなぁ。お前、元気か?」




コウスケの兄はいつもと変わらない笑顔で弟を迎え入れた。




薬が入っている状態の時は、まだ正常と呼べる範疇。




目がヤバくなるのは、薬が切れかかっている時だ。




「俺は元気だよ」



「そりゃよかった」



「ちょっと、兄貴に話したい事あって来たんだけどさ…」



「じゃぁ、上がれよ。連れもいるけど」



「外で話したいんだ」




コウスケの兄貴は、怪訝そうな表情を見せつつも、快くコウスケに従った。




「レツー、ちょっと出てくるわ」




同居人に外出を告げると、さっさと靴を履き、コウスケと共に玄関を出た。



エレベーターに乗り込み、しばらくすると1階に到着した。




マンションを出てから一般道に出るまでの間にはこのマンション備え付けの駐車場がある。




コウスケ兄の車もそこに停まっている。




その駐車場の中で、コウスケは兄にちょっとした注意をした。




「兄貴、靴ひもほどけてる」




もちろん、コウスケの兄は弟の言葉を疑う事なく自分の靴ひもを確認する。




だが、靴ひもにはなんの異常も見当たらない。




兄は弟に文句を言おうと、再び顔を上げた。




その瞬間、兄は弟に力いっぱい殴られた。




何が怒ったのかわからないまま、兄はすぐそばに停めてある車に乗せられた。




朦朧とする意識の中、一つだけ確認する事が出来た。




運転席にいるのは女だ。




その思考を最後に、兄の思考回路は休止した。



目を覚ました兄の意識レベルは、まだ完全には回復していない。




「久しぶりだね」




女の声。




兄はまだ少しぼやけている目を懸命にこすり、どうにか声の主である女の姿を見ようとした。




じっとみつめているうちに、だんだんとハッキリ見えてきた。




完全に女の姿が兄の目に映った時、兄はハッとした。




「お前…」




コウスケ兄のあたしを見て驚いている表情が、忌々しく、なんとも言えない感情が沸き上がってきた。




怒り?




憎しみ?




恨み?




いや…




そんなものじゃない。




もっと深くて、黒くて、人間の中に存在するあらゆる感情の中で最も底にある感情。




それをなんと表現すればいいのかわからない。



「やっぱり…知り合いなの?」




コウスケは、あたしと兄の顔を交互に見て言った。




コウスケにそう聞かれた時には、あたしの顔はもうすでに昔のようになっていたに違いない。




「知り合いどろこじゃねぇよ。あたしとアラタはコイツに殺されそうになったんだから…」




『殺されそうになった』そんなセリフを聞いても、コウスケは全く動じなかった。




表情だって微塵も変わらない。




もしかしたら…




コウスケの精神力はアラタを超えるかもしれない。




ただ、兄を助けるためには兄の精神力が一番重要なのだ。




コイツにそれほど強い意志があるとは思えなかったが、コウスケの為なのだからやるしかない。




自分を落とそうとした男を助けるほど、あたしは出来た人間ではない。




だけど、やっぱりコウスケの為なら仕方がないと思える。



「何言ってんだよ。アラタを殺そうとしたのはお前の方だろ?」



「あたしはアイツを助けたんだよ。だから今一緒に教師やってんだから」




コウスケの兄貴は、一瞬間を置いてからケラケラと笑い始めた。




「お前らが教師?!世の中終わりだな」




あたしも口角を片方だけ上げて笑った。




「お前が生きてる時点で世の中終わってんだよ」




コウスケはあたしたちの会話に口を挟んでこなかった。




挟めなかったのかもしれないが。




コウスケの兄貴は、ある事に気がつき、周りをキョロキョロと見回し始めた。




それまで余裕綽々だった表情は一変し、青ざめ、引きつっている。




やっと思い出したか。



「やっと思い出した?そうだよ。ここは、あたしがアラタを治した場所だよ」










あたしが笑ったままそう言うと、兄の顔から一気に血の気が引いていった。




「お前…俺をアラタと同じ目に合わす気なのか?」




兄は怯え始めた。




アラタと同じようにされるのがよほど嫌みたいだ。




「そうだよ。俺、兄貴の事好きだから、なんとかして助けてやりたいと思うんだ。だからさ…許してくれよ」




あたしが答える前に、コウスケが答えた。




慈悲の目で自分を見つめる弟を、兄はものすごい剣幕で睨みつけた。



「俺はアラタみたいに薬から手を引きたいなんて思ってねぇんだ!!むしろ共存しようとしてるんだぞ!!邪魔すんじゃねぇぇ!!!」




薬が切れかかっているのか、兄は半狂乱になりながら言った。




「目ぇ覚ませ。薬と共存なんてありえない」




コウスケは、自分の兄を冷たい目で見下ろしながら低い声で言った。




心を鬼にすると決め込んだようだ。




あたしが編み出した地獄の治療法─




ジャンキーを監禁し、一切薬を与えない。




禁断症状を引き起こした場合は、ジャンキーを殴り倒し、気絶させる。




ただその繰り返し。




食事や排泄などは、監視役が面倒を見なければならない。




アラタの時の監視役はもちろんあたし。




そして今回はコウスケ。




コウスケにはしばらくの間休学してもらうように手続きも済ませてある。




準備は整った。




こんな事をまたやるなんて、夢にも思ってなかった…



この方法には、もう一つしなければいけない事がある。




殴ってばかりいては、ジャンキーが本当に死んでしまう。




だから…




大きな愛がないといけない。




この人を助けたいという強い想いと、助かりたいという強い想いがあってやっと成功する。




時には一緒に泣き、抱き締めてやらなければならい。




だから、今回の監視役をコウスケにやってもらうことにしたんだ。




あたしには、コイツに対して強い想いなんてないから。




なんであんたが…




「カヅキー!!俺はぜってぇこっから抜け出してやるからなぁー!!!」




兄は気がふれたように叫びだした。




なんであんたが…




「うぉわぁぁぁ!!!」




兄の叫び声が、響き渡る。




どれだけ叫んでも誰の耳にも届かないのに。




「なんであんたがコウスケの兄貴なんだよ…」




コウスケ兄─





源氏名、トウキ。





本名、狭間テツ。




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