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第21話 少しだけ遠くへ出かける予定は、恋愛を面倒にする

 四月の終わりが見えてくると、学校の空気は少しだけゆるむ。


 新学期の緊張が完全に抜けたわけではない。

 でも、一週間ごとに増えていく提出物やら、先生の顔やら、教室の席の位置やらに、みんな少しずつ慣れてくる。そうなると今度は、視線が先の休みへ向く。


 ゴールデンウィークだ。


 高校生というのは、連休そのものよりも、“連休に何をするか”の話をし始めた瞬間が一番うるさい生き物なのかもしれない。


 朝のホームルーム前、教室のあちこちでその話が飛んでいた。


「お前、GWどっか行く?」

「行かねえよ、部活だよ」

「終わってんな」

「お前もバイトじゃん」

「それはそう」


 そんな声を聞き流しながら、俺は教科書を机へ入れた。

 隣では依子がノートを取り出している。静かな所作は相変わらずだが、最近はその静けさにもだいぶ慣れてきた。


「恒一くん」

「何」

「GW、予定ある?」

「……いきなりだな」

「みんな話してるから」

「それは聞こえてる」

「じゃあ、あるの?」

「今のところは特に」

「特に、か」


 依子はそこでもう一歩聞いてくるかと思ったが、すぐには続けなかった。

 代わりに、シャーペンを机に置きながら、少しだけこっちを見る。


「“何もない”じゃなくて“特にない”なんだね」

「何が違うんだよ」

「言い方の余白」

「お前そういう拾い方するよな」

「だって気になるし」

「それ便利ワードみたいに使うなって」

「でも本当だから」


 またそれだ。


 この人は、引くところでは引くくせに、必要なときだけ妙に鋭く踏み込んでくる。

 しかも本人に悪気がない顔をしているから、こっちも完全には突っぱねにくい。


「お前は?」

 俺が聞き返す。

「何か予定あんの」

「まだ」

「まだ?」

「でも、空いてるなら、どこか行けたらいいなとは思ってる」

「……」

「何その顔」

「いや」

 俺は少しだけ視線を逸らした。

「最近ほんと、そういうこと普通に言うな」

「普通に言ってるよ」

「普通じゃないんだよなあ」

「でも、遠回しにしても恒一くん分からなそうだし」

「ひどくない?」

「少しだけ」

「少しだけ、で済ませるな」


 依子は笑った。

 小さく、でもちゃんと楽しそうに。


 そのタイミングで、大友が後ろから椅子を引く音がした。


「はいはい、聞こえてますよー」

「お前、盗み聞きみたいに言うな」

「盗みじゃないだろ、隣だし」

「お前までそのワード使うなよ」

「便利だから」

「このアパート由来の悪癖が学校まで来てる」


 大友は机に肘をついたまま、にやにやしながら言う。


「で、GW」

「うん」

「お前どうせ暇だろ」

「どうせって何だ」

「いや、文化部系一人暮らし男子が大型連休に急にリア充イベント詰めるわけないじゃん」

「偏見」

「事実」

「事実でも言い方が腹立つ」


 大友はそこで、わざとらしく依子の方を見た。


「白沢さんは?」

「まだ何も」

「でも、“どこか行けたらいいな”らしいぞ」

「お前ほんと雑に拾うな」

「いやでも今の情報大事だろ」

「何に」

「恋愛進行に」

「本人の前で言うな」


 依子は困ったように笑いながらも、否定しなかった。

 そこもまた強い。


「大友くんは?」

 依子が逆に聞く。

「俺?」

「うん」

「俺はまあ、だらだらしたい」

「雑だな」

「でもそういう休みって大事だろ」

「分かる」

 と、俺も思わずうなずいた。

「何も決まってないのに、何となく休みだけ来る感じ」

「そうそれ」

 大友は机を指で叩く。

「だからこそ、一個くらい“お、連休だな”って予定ほしくない?」

「……」

 その言い方が、少しだけ引っかかった。


 一個くらい。

 たしかにそうかもしれない。


 特別遠くへ旅行するわけじゃなくていい。

 でも、何か一つくらい、いつもより違う日があってもいい気はする。


 そこへ、依子が静かに言った。


「それなら」

「何」

「みんなで少し出かけるとか?」

「みんな?」

 と、俺。

「一階組とか」

「うわ」

 大友が顔をしかめる。

「それ、地味に楽しそうじゃん」

「地味に、って何だよ」

「いや、派手ではないだろ。でも絶対騒がしい」

「それはそう」

 俺は思わず笑った。

「ハイツの一階が外に出ると、それだけでだいぶ濃い」

「ですねえ」

 と、どこからか声がした。


 振り向くと、教室の後ろのドアからひなたが顔を出していた。


「お前、何でいるんだよ」

「先輩のクラスの前、通っただけです」

「その割に会話に入るの早いな」

「一階組のお出かけの話が聞こえたので」

「聞こえる距離だったか?」

「聞こえたんです」

「便利だな」


 ひなたは本当に楽しそうだった。


「いいですね、それ」

「何が」

 大友が聞くと、

「少し遠くにみんなで行くの」

「お前、そういうの好きそうだもんな」

「好きです」

 ひなたはにっこり笑う。

「鬼塚さんはどうですか?」


 その名前が出た瞬間、教室の空気が俺の中で少し変わった。


 そうだ。

 朱音だ。


 一階組で出かける。

 その中には当然、朱音も含まれる。

 けれど、そういう“みんなで”の予定って、こいつにはたぶん少し難しいところもある。


 新しい学校。

 慣れない人間関係。

 しかもGW前という、妙に浮ついた時期。


 そんなことをぼんやり考えていると、ひなたが首を傾げた。


「先輩?」

「何」

「今、ちょっと考えましたよね」

「お前たちほんと顔ばっか見てるな」

「分かりやすいんですよ」


 大友が笑う。


「いやでも、鬼塚さん入れるとだいぶ面白そう」

「面白そう、で巻き込むな」

「ひどいなあ。ちゃんとみんなで仲良くしたいって」

「その言い方、お前がすると信用ならない」

「まあ半分は面白そうだから」

「正直か」


 そのとき、チャイムが鳴って会話はそこで途切れた。


 授業中も、頭のどこかに“GWどうする”が残っていた。


 特に何もない。

 でも、何もないと言い切るには少し惜しい。

 そういう連休の前の空気。


 昼休み、弁当を開けたときにも、結局その話はまた出た。


「鬼塚さん、こういうの嫌いじゃないと思うんですけどね」

 ひなたが言う。

「嫌いではない、けど、最初は“我は別にどうでもいい”って顔しますよね」

「分かる」

 大友が頷く。

「で、実際行くってなると妙に準備だけはちゃんとする」

「……」

 思い当たりがありすぎて、俺は何も言えなかった。


「お前ら、最近だいぶ朱音のこと理解してるな」

「そりゃ一階の住人ですし」

 ひなたが言う。

「日常的に見てると分かってきます」

「でも」

 と依子。

「鬼塚さんがどう思うかは、ちゃんと聞かないと分からないよね」

「まあ、それはそう」

 俺はうなずいた。

「勝手に決めるのもよくないし」

「恒一くん、そういうところちゃんとしてるよね」

「何だよ急に」

「ちゃんとするところ」

「褒めてる?」

「うん」

「最近、褒め方が直球なんだよな」

「だめ?」

「いや、だめじゃないけど」

「じゃあ、いいでしょ」

「その押し切り方が怖いんだって」


 依子はまた小さく笑った。


 放課後、一階組はなんとなく同じタイミングで帰る流れになった。


 ひなたは先に校舎を出ていて、途中で合流。

 大友は当然のように一緒。

 俺と依子が歩いているところへ、「わあ、ちょうどいい」と言いながら入ってきた。


「何がちょうどいいんだよ」

 俺が言うと、

「GW会議」

 と大友。

「今決めるの?」

「今決めるんじゃなくて、今から騒ぐ」

「一番面倒なやつだな」

「でも、先延ばしすると流れるだろ」

「まあ、それはそう」


 ハイツ水戸黄門の前に着く頃には、話はすでに“どこへ行くか”より“誰が来るか”へ移っていた。


「ひなたは確定として」

「え、もう確定なんですか?」

「参加したそうな顔してる」

「それは否定できません」

「大友は当然いるだろ」

「当然みたいに言うなよ」

「いないの?」

「いるけど」

「じゃあ当然だな」

「くそ」


 そこで問題は、やっぱり朱音だった。


 101号室の前で靴音がして、ちょうど引き戸が開く。

 朱音が出てきたところだった。制服の上に薄手のカーディガン、手にはゴミ袋。たぶんちょうどゴミをまとめていたのだろう。


「……何だ、その集団は」

「集団ってほどじゃ」

「一階メンバー勢ぞろいですね」

 ひなたが笑う。

「何の相談だ」

 朱音が聞く。

 その声に、大友が嬉々として答えた。


「GW、どっか行かね?」

「……」

「何その顔」

「急すぎる」

「でもせっかくの連休だぞ?」

「連休だから何だ」

「いや、何かこう、“休みっぽいこと”したくない?」

「……」


 朱音はすぐには返さなかった。

 ゴミ袋を持ったまま、少しだけ考える顔になる。


「鬼塚さん」

 依子が静かに言う。

「嫌なら、無理にじゃなくていいと思う」

「……」

「でも、もし少しでも興味あるなら、早めに決めた方がいいかも」

「なぜだ」

「大型連休って、予定って気づいたら埋まっちゃうから」

「お前、妙に現実的だな」

 俺が言うと、

「だって本当だし」

 と依子。

「それに」

「それに?」

「みんなで行くなら、ちょっと楽しそうだなって」

「お前が言うと、静かに外堀埋めてる感じするな」

「そう見える?」

「見える」

「じゃあ、少しそうかも」


 認めるのかよ。


 朱音はそれを聞きながら、微妙な顔をしていた。

 嫌そう、ではない。

 でも素直に乗る顔でもない。


「どうする?」

 俺が聞く。


 すると朱音は、いかにも不本意そうに口を開いた。


「……場所による」

「お」

 大友がすぐ反応する。

「その時点でだいぶ前向き」

「違う」

「違わないだろ」

「違う」

「はいはい」


 ひなたが嬉しそうに手を打つ。


「じゃあ、どこがいいですか?」

「知らぬ」

「知らないんかい」

「お前たちが勝手に候補を出せ」

「それ、わりと乗り気のやつだな」

 俺が言うと、

「違う」

 と朱音。

「判断材料を要求しているだけだ」

「便利ワード」

「お前も使うだろうが」


 依子はそのやり取りを見て、少しだけ目を細めた。


「鬼塚さん」

「何だ」

「一つ聞いていい?」

「何だ」

「みんなで行くのと、恒一くんと二人で行くの、どっちがいい?」

「お前」

 俺が思わず言った。

「それをここで聞くのか」

「聞いちゃだめだった?」

「だめっていうか」

「気になるから」


 朱音は数秒、完全に止まった。


 夕方の住宅街。

 ハイツ水戸黄門の前。

 一階住人ほぼ勢ぞろい。

 その場でそんなことを聞かれて、こいつが平然と返せるわけがない。


「……」

「……」

「……」

 沈黙が三つくらい重なったあと、


「き、貴様」

 と、朱音がようやく言葉を出した。

「質問の角度が雑だ」

「そう?」

「そうだ!」

「でも、知りたいし」

「知りたいことを全部口に出すな!」

「それはちょっと思う」

 と、俺も思わず言ってしまう。

「恒一」

「何」

「お前は黙っていろ」

「はい」


 でも、その慌て方でだいたい分かるんだよな。


 大友が口元を押さえて震えている。

 ひなたは明らかに面白がっている。

 依子は相変わらず静かな顔だが、目だけ少し楽しそうだ。


「……みんなで、でよい」

 朱音がようやく絞り出す。

「何その返事」

 と大友。

「いや、でもだいぶ譲歩しただろ」

 俺が言うと、

「譲歩ではない!」

「はいはい」

「ただし」

 朱音が続ける。

「人数が増えすぎるのは好まぬ」

「え、上限あるんですか?」

 ひなたが聞く。

「ある」

「何人?」

「……五」

「今ここでほぼ埋まってるな」

 俺が言うと、

 朱音は少しだけ気まずそうに視線を逸らした。


「それくらいなら、まだ制御可能だ」

「制御って何だよ」

「騒がしさの」

「大友を人数勘定から外せば、だいぶ快適になるかもしれない」

「ひどくない?」

 大友が言う。

「でもまあ、俺も五人くらいがちょうどいい気はする」

「お前は何でそこで納得する」

「いや、だって多すぎるとまとまんないし」

「たしかに」

 依子もうなずく。

「そのくらいなら、ちゃんと話せるし」

「……」


 その“ちゃんと話せるし”に、また少し意味が乗ってる気がして、俺は微妙に落ち着かなかった。


 けれど、結局その場では行き先までは決まらなかった。


 ただ、一つだけはっきりしたことがある。


 ゴールデンウィークに、何かがある。

 たぶん、一階組で。

 たぶん、少しだけ遠くへ。


 その“少しだけ先の予定”ができた瞬間、連休はただの空白ではなくなった。


「じゃあ、また後で候補考えよう」

 と、俺が言うと、

「うん」

 依子が頷き、

「楽しみですね」

 とひなたが言い、

「めんどくせーけど、まあ楽しみ」

 と大友が笑う。


 朱音だけは、いかにも冷静な顔で言った。


「期待などしていない」

「お前、その顔で言うと逆なんだよなあ」

 俺が呟くと、

「うるさい」

 と、いつもより少しだけ軽い声で返ってきた。


 少しだけ遠くへ出かける予定は、恋愛を面倒にする。


 まだ何も始まっていない。

 なのに、もう少しだけ面倒で、少しだけ楽しみだった。

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