第6話 街へ進出!「メンチカツ」で行列を作る
ヴォルグ辺境伯領の城下町は、想像していたよりもずっと活気があった。
北の最果てということで、荒くれ者や冒険者が多いけれど、みんなエネルギーに満ち溢れている。
そんな街の中央広場の一角に、私は小さな屋台を出していた。
今日の私は『辺境伯の専属料理人』ではなく、ただの『屋台の看板娘』だ。
「さあ、いらっしゃい! 揚げたて熱々、肉汁たっぷりの『メンチカツ』だよ!」
私が声を張り上げると、道行く人々が怪訝そうに足を止めた。
無理もない。この世界では、硬い肉は煮込みにするのが常識で、細かく刻んで揚げようなんて発想はないからだ。
今回の主役は、厨房で余ってしまった『ワイルドボア(荒野猪)』の端肉だ。
筋張っていて硬く、貴族の食卓には出せない部位。
でも、ミンチにしてしまえば関係ない。
むしろ、筋肉質な肉ほど旨味が強く、噛みごたえのある極上の挽き肉になるのだ。
私は鉄板の上で、大量の『甲羅玉ねぎ』のみじん切りを飴色になるまで炒めた。
甘みを引き出した玉ねぎと、粗挽きのワイルドボア肉を混ぜ合わせる。
つなぎの卵とパン粉、そしてナツメグ代わりの香辛料『木の実パウダー』を少々。
これを小判型に整え、衣を纏わせて油へ投入する。
――ジュワアアアアア……ッ!
広場に、食欲を直撃する重低音が響き渡った。
たちまち、ラードの甘い香りと、肉と玉ねぎが混ざり合った芳醇な匂いが風に乗って拡散していく。
「なんだ、この匂いは……?」
「肉か? 焼いているのか?」
鼻をひくつかせた冒険者風の男たちが、ふらふらと屋台に引き寄せられてくる。
しめしめ、魚が釣れたわね。
「そこのお兄さん! これ食べてみて。パンに挟んだ特製『メンチカツサンド』、今なら銅貨三枚だよ!」
私は揚げたてのきつね色をしたメンチカツを、切れ込みを入れた丸パンに挟み、特製ソースをたっぷりとかけて差し出した。
「銅貨三枚? 安いな。……どれ、毒見してやるか」
男は疑わしげにサンドを受け取り、大きな口を開けてかぶりついた。
サクッ。
軽快な衣の音。
次の瞬間、男の動きが止まった。
「……んぐっ!? 熱っ! ハフッ、ハフハフ!」
男は口を押さえて悶絶した。
メンチカツの恐ろしさは、中に閉じ込められた熱々の肉汁にある。
衣という壁を破った瞬間、行き場を失っていた旨味のスープが鉄砲水のように溢れ出すのだ。
「大丈夫? 火傷しなかった?」
「……う、美味えぇぇぇぇ!!」
男は私の心配をよそに、広場中に響く大声で絶叫した。
「なんだこれ! 硬い猪肉のはずなのに、口の中でホロホロに崩れやがる! 噛むたびに肉のジュースが湧いてきやがるぞ!」
「ソースの酸味がまた合うな! パンに染みた脂だけで酒が飲める!」
隣で一口もらった仲間も目を剥いている。
そのリアクションが最高の宣伝になった。
「おい、俺にもくれ!」
「私にも一つ!」
「五個だ! 五個包んでくれ!」
あっという間に屋台の前には長蛇の列が出来上がった。
私は嬉しい悲鳴を上げながら、次々とカツを揚げていく。
揚げる、挟む、渡す。
その繰り返し。
お客さんたちの「美味い!」という笑顔を見るのが、料理人として何よりの幸せだ。
「はい、お待たせしました! 熱いから気をつけてね!」
私が若い冒険者の青年にサンドを渡し、ニッコリと微笑んだ、その時だった。
ゾクッ。
背筋に冷たいものが走った。
北風ではない。もっと重く、鋭い、殺気に似たプレッシャー。
並んでいたお客さんたちが、蜘蛛の子を散らすようにサーッと左右に道を開けた。
その道の向こうから、漆黒の軍服を纏った大男が、能面のような顔で歩いてくる。
「……セシリア」
地の底から響くような低音。
ギルバート・フォン・ヴォルグ辺境伯、その人だった。
背後には、青ざめた顔の執事セバスチャンと、完全武装の騎士たちが控えている。
「あ、閣下! 奇遇ですね、視察ですか?」
「……城の厨房にお前がいないと思ったら。こんなところで何を・し・て・い・る」
一言一言に怒気が混じっている。
怒っている? いや、その赤い瞳の奥にあるのは、怒りというより……拗ねた子供のような不満?
「食材庫の整理ですよ。端肉がもったいなかったので、街の皆さんに振る舞おうかと」
「ほう。俺には『カロリーが高いから』と昨日の夜食を制限しておいて、どこの馬の骨とも知れぬ男たちには、その笑顔と共に極上の揚げ物を振る舞う、と」
ギルバート様は、先ほど私がサンドを渡した冒険者の青年をギロリと睨んだ。
青年は「ひぃっ!」と悲鳴を上げ、食べかけのサンドを持ったまま脱兎のごとく逃げ出した。
営業妨害ですよ、閣下。
「街の活性化も領主の務めでしょう? ほら、閣下も一つどうですか」
私は機嫌を直してもらおうと、揚げたて一番のメンチカツサンドを差し出した。
ギルバート様は私とサンドを交互に見つめ、大きなため息をついた。
「……よこせ」
彼はサンドを引ったくり、私の目の前で大きくかぶりついた。
ザクゥッ……!
厚みのあるカツが豪快に食いちぎられる。
その断面から、肉汁がじゅわりと溢れ出し、彼の手袋を濡らした。
「……ッ」
ギルバート様の眉間の皺が一瞬で消え去った。
「……なんだ、この暴力的な旨味は。粗く挽いた肉の野性味を、甘い玉ねぎが優しく包み込んでいる。噛み締めるほどに、肉汁の洪水が口内を蹂躙する……!」
彼は咀嚼しながら、恍惚とした表情で天を仰いだ。
「端肉? 嘘だろう。高級なステーキ肉よりも遥かにジューシーだ。衣の中に、肉の旨味が一切の逃げ場なく閉じ込められている!」
「メンチカツは『食べる肉ジュース』ですからね」
「食べる肉ジュース……まさにその通りだ」
彼はあっという間にサンドを平らげ、指についたソースまで名残惜しそうに舐め取った。
そして、まだ行列を作っている人々を、氷の視線で一瞥した。
「……セシリア。この屋台の在庫はあとどれくらいだ」
「えっと、あと五十個分くらいはタネがありますけど」
「全部だ」
「はい?」
「ここにある全て、私が買い取る。金貨十枚でどうだ」
周囲がざわめいた。
メンチカツ五十個に金貨十枚なんて、破格どころか国家予算レベルの無駄遣いだ。
「か、閣下! それはさすがに横暴です!」
「横暴で構わん! お前が他の男に笑顔を振りまきながら、俺の知らない料理を食べさせるのが気に入らんのだ!」
あ、言っちゃった。
ギルバート様はハッとして口元を覆ったが、もう遅い。
耳まで真っ赤になっている。
周囲の町人たちが「なんだ、痴話喧嘩かよ」「領主様、意外と独占欲強いな」とニヤニヤし始めた。
「……分かりました。売り切れにしますから、そんなに怒らないでください」
私は苦笑しながら、『完売御礼』の札を掲げた。
並んでいたお客さんからはブーイングが上がったけれど、ギルバート様が「後で城から酒を振る舞ってやる!」と宣言すると、一転して歓声に変わった。
現金な人たちだ。
「さあ、帰るぞ。残りのタネは城で揚げろ。俺が全部食う」
ギルバート様は私の手首を掴み、ぐいぐいと馬車の方へ引っ張っていく。
その手は熱く、そして力強い。
「……そんなに食べたら、太りますよ?」
「構わん。お前の料理で太るなら本望だ」
彼は振り返りもせずに言った。
その横顔は少し拗ねていて、でもやっぱり甘えているようにも見えた。
馬車に乗り込む直前、彼はボソリと付け加えた。
「……あとで、あのソースの作り方も教えろ。あれは反則だ」
「ふふ、企業秘密です」
辺境伯と専属料理人。
私たちの関係は、美味しい匂いと共に、少しずつ、でも確実に変化してきている気がする。
でも、とりあえず今は。
城に帰ったら、この嫉妬深いご主人様のために、最高に美味しいメンチカツを山ほど揚げてあげなくちゃ。
私は握られた手の温かさを感じながら、馬車に揺られた。
次の新作メニューは、もっと彼を驚かせるものにしよう。
そう心に誓いながら。




