--第88話 ①湖畔に眠る光の殿堂
湖畔の森へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
森独特の湿り気はあるのに、肌を撫でるのは澄んだ冷たさ。
まるで季節が一段階だけ巻き戻ったような、そんな感覚だ。
「……ここだけ、時間がずれてるみたいだね」
ハルヒが呟くと、隣のセリナが頷きながら周囲を見回す。
「地脈の流れが不自然です。特に……湖の方から強い光反応が。」
後ろでは騎士候補生たちが緊張した面持ちで武器を整えていた。
彼らは三年前――ハルヒが千年前に飛ばされていた間に入学した世代で、
まだ未熟ながらも、異変続く現代を支えようと奮闘している。
「お、落ち着けよ……湖なんて普通だろ?」
「普通の湖が“魔力を反射してくる”わけないだろ……!」
若い二人の震える声。
しかしそれも無理はない。
森の向こうから見える湖は、まるで巨大な鏡だった。
風に揺れることもなく、光を吸うこともなく、
湖面に触れた世界の色を“そのまま返している”。
――異様すぎた。
ハルヒも息を飲む。
湖の中央に浮かぶ白金の神殿が、
水面に反射した光を背負い、限界まで輪郭を輝かせているからだ。
「……あれが、光殿か」
「古文書の記述と一致しています。」
セリナは分厚い記録書を抱え、ページを押さえながら言う。
「“六英雄の一人が、光の加護とともに眠る場所”。
ただし……本来なら、入口は閉ざされているはずなのですが」
そう――入口が“開いている”。
湖面に橋などはないはずだが、神殿へ向かって光の道がのびていた。
誰かが招いているとしか思えない。
「……先に行こうとしてる“何か”がいるのか?」
「誘われている可能性もありますが……」
セリナの声がわずかに震える。
「その誘い主が善性である保証は、どこにもありません」
「だよなぁ……」
ハルヒは喉の奥で息を整えた。
この神殿には、
六英雄の一人――
かつて世界を導いた伝説の存在の“封印”が眠っている可能性が高い。
そして時詠みのクロノ=シーアが残した謎の一文。
『最初の光は、欠けた羽音の先にある』
(……間違いなく、何かが待ってる)
光の道に一歩踏み出すと、足裏を伝う感覚が変わった。
柔らかいはずの光は、石よりも確かな硬さを持っている。
それは同時に、どこか懐かしい気配でもあった。
「なんか……この光、前にも……」
ハルヒが言いかけた時、
セリナが目を見開いて彼を見る。
「ハルヒ、その反応……まさか、時の刻印と同調して……?」
「うん。たぶん、この光、俺を知ってる」
自分でも言っていて意味がわからない。
だが確信だけはあった。
――光殿の“主”は、ハルヒを覚えている。
ハルヒが三年間いたあの千年前で、
誰かと出会い、何かを約束した記憶が――
ただ、それを思い出せない。
「記憶欠損……時空帰還の副作用だと判断します。」
セリナが悔しそうに唇を噛む。
湖面上の道を歩くたびに、
ハルヒの胸の奥で“何か”が脈打つ。
それは懐かしさ。
そして――警告。
光殿の入口前に立つと、ひとりでに門が光を散らして開いた。
騎士候補生の一人が息を呑む。
「い、今……中から……誰かの影が……!」
ハルヒは反射的に神殿内を見つめる。
――ほんの一瞬。
そこに“人影”が立っていた気がした。
背中に広がるはずの翼が欠け、
顔はまるで霧のように掴めない。
(……六英雄の一人……?)
その瞬間、神殿内から声が落ちてくる。
『来たか……時を越えし刻印の子よ』
ハルヒは動けなかった。
声は優しかった。
しかし確かに――記憶の中の“誰か”の声だった。
「……覚えてる気がする。でも、思い出せない……!」
セリナがハルヒの腕を掴む。
「ハルヒ、気をしっかり! この声は――試練の開始の合図です!」
光殿の内部が、白金の光で満ちていく。
そして、天井の奥から巨大な紋章が浮かび上がった。
六つの紋章のうちの一つ――“光翼”の紋章。
ハルヒは息を呑む。
「……最初の封印だ」
「はい。ここが“六英雄の封印”の第一地点……!」
光殿が震え、壁の奥から光の影が現れる。
六英雄の残滓――
最初の封印が“目覚めようとしている”。
そして声がもう一度、ハルヒを呼んだ。
『約束の時は、まだ先だ。だが――お前は来ねばならぬ』
記憶の薄幕の奥で、
ハルヒは誰かが微笑んだ気がした。
しかしその正体を掴む前に――
光殿の試練は、彼らを飲み込むように襲いかかってきた。




