--第47話《凍光の誓約》
夜明け前――氷原に、白い霧が流れていた。
朝陽はまだ昇らず、世界は薄明の青に包まれている。
その中心に、小さな野営陣があった。
凍てつく風が吹き抜けるたび、旗がわずかに震え、焚き火の火が静かに踊る。
ハルヒは、深く息を吸い込んだ。
肺の奥まで冷気が染み込み、痛みのような清涼が胸を貫く。
彼の手の甲――“時の刻印”は、微かに淡く光り続けていた。
「まだ……止まらないか」
低く呟いた声が、白い息となって溶けた。
そのとき、雪の向こうから足音が近づく。
フードをかぶった影――ミリアだ。
薄衣の上に淡い青の外套を纏い、指先に光の粒を灯していた。
「……もう、夜明けね」
彼女の声は、凍る空気の中でもやさしく響いた。
「休んでくださいって言ったのに、あなた……やっぱり起きてたのね」
ハルヒは肩をすくめ、苦笑する。
「眠れそうになくて。――光が、うるさいんです」
冗談めかした言葉に、ミリアは小さく微笑んだ。
「なら、光を鎮めてあげる儀式をしましょう」
そう言って、彼女はハルヒの前に膝をつき、両手を合わせた。
「“凍光の誓約”――時の揺らぎを抑える古い祈りよ。
氷と光、そして生命の三つが重なったときにのみ、刻印は安定する」
ミリアの周囲に、淡い輪がいくつも浮かぶ。
それは雪の結晶のようにきらめきながら、ゆっくりと回転していた。
「……あとは、仲間たちの力を借りるだけ」
その声に呼ばれるように、他の者たちもテントから姿を現した。
レオンが剣を、ガルドが戦斧を、セリアが聖弓を掲げ、リィナが歌の旋律を紡ぐ。
ユグノアは巻物を開き、祈りの言葉を古代文字で記す。
七人の間に、光が糸のように繋がった。
――それは戦場を越えて築かれた“信頼”そのもの。
ミリアが静かに言葉を重ねる。
「凍光に願う――この魂、時間に刻まれぬよう」
その瞬間、ハルヒの刻印が強く輝いた。
雪原全体が一瞬だけ青白く光り、風が凪ぐ。
彼の身体から溢れ出した時間の奔流が、七人の力に包まれて収束していく。
レオンが剣を地に突き立てた。
「これで、“お前の時”が戻るか?」
ハルヒは目を閉じ、静かに頷いた。
「ええ。……少しだけ、世界が静かに感じます」
「ふん、なら成功だな」
ガルドが豪快に笑い、セリアがほっと息を漏らす。
「危険な力も、共に在れば制御できる。――それが“英雄”の在り方よ」
リィナが笑みを浮かべて頷いた。
「あなたはもう、一人じゃないもの」
ミリアの掌から、ひとつの光が生まれた。
それは雪の上に咲く花のような輝きで、ゆっくりと舞い上がり――七人の頭上で弾けた。
淡い光が雪を照らし、空が白み始める。
北方の長い夜が、ようやく明けた。
儀式を終えた後、皆が少しずつ野営の支度に戻っていく。
ハルヒは最後まで残り、静かに雪の地面を見下ろした。
そこには、自分たちの足跡が並んでいた。
吹雪がいくら覆っても、確かに残る七つの影。
その隣に立つセリアが言った。
「――それが、あなたの証。
英雄は記録に残らなくても、人々の時間に残るの」
「……なら、俺はもう十分ですね」
ハルヒは微笑みながら、空を見上げた。
朝陽が昇る。
光が雪を貫き、遠くの地平線を黄金色に染める。
新たな時が、また動き出していた。
そのとき、北の空に――黒い霧のような影が走った。
ユグノアが遠眼鏡を覗き、声を上げる。
「……“黒塔”の方角からだ! 魔族の残党が動いている!」
「休む暇もねぇな」
ガルドが戦斧を肩に担ぎ、笑みを浮かべる。
レオンが剣を抜き、ミリアが杖を掲げた。
リィナは歌を風に乗せ、セリアが聖弓を掲げる。
そしてハルヒが、前へと歩み出た。
「行こう。――俺たちの時間を、止めさせはしない」
その声に、全員が頷いた。
七つの光が、再び一つに重なり、北風の中へと駆け出していく。




