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千年時計  作者: ちゃぴ
第1章  第1幕 時を紡ぐ時計 

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44/51

--第44話《刻まれた傷 》


 白。

 ただ、それだけの世界だった。


 風も、音も、存在もしない。

 どこまでも無音の白の中に、ハルヒは立っていた。


 何もない。

 足元に影も、息の白さすらもない。

 それでも、彼は確かにそこに“在る”と感じていた。


 ――カチ、カチ。


 聞こえる。時計の音だ。

 懐から取り出した古びた懐中時計が、ゆっくりと針を刻んでいた。

 しかしその針は、十二の数字ではなく、幾重もの“傷”の上をなぞっていた。

 まるで時間そのものが、裂かれているようだった。


 「ここは……どこだ?」

 声は響かない。ただ、空気が震えるだけ。

 だが、その問いに応える声があった。


 ――《そこは“まだ過去にも未来にも属さぬ場所”だ。》


 低く、重く、どこかで聞いたような声。

 その響きは懐中時計の奥から漏れていた。

 そして、光の残滓の中から“もう一人の自分”が歩み出た。


 同じ顔、同じ声、同じ瞳。

 だが、その瞳の奥には深い闇が宿っていた。


 「……お前は?」

 「お前の“残響”。時を戻した代償として、世界が刻んだ傷だ。」


 残響――?

 その言葉の意味を掴む前に、

 白い世界にひびが走った。


 ピシリ、と音を立てて空間が割れる。

 次の瞬間、目の前に広がったのは――“戦場”だった。


 血と炎。崩れた砦。

 倒れた仲間たち。

 そして――リィナが、ハルヒの腕の中で息をしていない。


 「……やめろ、それは……違う!」

 叫んでも、声は届かない。

 それは“記憶の断片”ではなかった。

 “存在しなかった未来”――時を戻す前の結果、世界が一度“通過した”過去の残像。


 「見ろ。これが、お前が救った代わりに失われた現実だ」

 もう一人のハルヒが、血に染まった雪を踏みしめる。

 「お前は彼女を救うために時間を戻した。だが、その瞬間――

  この世界は“別の流れ”を捨てた。

  捨てられた時間には、捨てられた命が残る。」


 ハルヒは拳を握りしめた。

 血が滲むほど強く。

 「……そんなもの、分かってる。でも、だからって見捨てられるわけがないだろ!」


 「見捨てられない……か。

  ならば問おう、“何度でも救う”と言えるか?」

 残響の声が、冷たく響いた。


 「お前が時を戻すたびに、世界はひとつ“別の軌道”を捨てる。

  救われなかった命、消えた記録、存在しなかった現実。

  そのすべてが“傷”となって、この世界を蝕んでいく。」


 ――カチリ。

 懐中時計の針が逆回転を始める。

 世界が再び歪み、炎が凍りつく。

 倒れた兵士が立ち上がり、崩れた砦が元に戻っていく。

 “時間の逆流”だ。


 「やめろ……やめてくれ!」

 ハルヒは叫んだ。

 だが、時計の針は止まらない。

 時間はもはや彼の意志を離れ、勝手に世界を巻き戻していた。


 “残響”が微笑む。

 「見ろ、お前が欲した奇跡の果てを――」


 氷の砦、雪の戦場、聖女の祈り、英雄たちの剣。

 すべてが光の粒となって崩れ落ちる。

 まるで、過去が砂のように風へ溶けていく。


 ハルヒの身体が光に包まれた。

 腕に、胸に、首筋に、無数の文字が刻まれていく。

 古代語のような、時間の線のような……

 ――**「刻印」**だった。


 焼けるような痛みが全身を貫く。

 ハルヒは膝をつき、息を呑んだ。

 雪の上に落ちた血が、赤ではなく“銀”に輝く。

 それは魔力ではない、“時間”そのものの流出だった。


 「……これが、代償なのか」

 「いや、始まりに過ぎない」

 残響が言う。

 「この印が完全に刻まれた時――お前は時間そのものと同化する。

  “人”であることを失い、“時を刻む存在”になる。」


 「そんな運命、受け入れる気はない」

 「運命ではない。“結果”だ。お前が選んだ。」


 言葉が途切れた瞬間、残響の姿が溶けた。

 その代わりに、白の世界が再び黒く染まり、

 現実の雪原が戻ってきた。


 ハルヒは冷たい地に倒れ込み、荒く息を吐いた。

 腕には刻印が残り、時計は静かに針を止めていた。


 ミリアが駆け寄る。

 「ハルヒ!? どうしたの、その腕……!」

 レオンも眉を寄せる。

 「まるで……焼き印みたいだな」

 「違う……これは――」


 ハルヒは微笑もうとしたが、声が震えていた。

 「“時間”が、俺の中に入ってきたんだ……」


 リィナが彼の手を握る。

 「怖くても、進もう。ね、ハルヒ」

 「……ああ。進まなきゃ。たとえ時間が壊れようとも。」


 風が吹き抜け、雪が再び舞い上がる。

 遠くで、針の音が一度だけ鳴った。


 ――チリ……ン。


 それは、時の始まりか。

 あるいは、世界の終わりの合図だった。




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