--第35話「失われた城塞都市 ― レヴナ・フォート 」
氷雪の戦いから三日後。
北の空は、いまだ曇天に閉ざされていた。
風は冷たく、凍てつく息を吐くたびに視界が白くかすむ。
ハルヒたちは、荒れ果てた北の大地を進んでいた。
氷牙王ヴァルザードを討ち果たし、北方前線の脅威を退けたはずだった。
だが勝利の影には、ひとつの報せが落ちていた。
――リィナが、消息を絶った。
探索に出ていた風の歌姫が、雪嵐の夜を境に姿を消した。
最後に残された痕跡は、北の古城跡――かつて「レヴナ・フォート」と呼ばれた都市跡だった。
それは千年前の戦乱で滅びた要塞都市。
今では、魔族軍の一部が再占拠し、暗黒の砦と化しているという。
「……俺が行く。」
夜営地の幕を閉じたまま、ハルヒはそう言った。
止めようとするレオンやガルド、ユグノアの声を背に、彼は冷えた風の中へ歩き出す。
仲間を危険に晒すわけにはいかなかった。
そして、リィナを囮にするような敵の策略に乗るわけにも――。
雪に沈む大地を、ひとり歩く。
氷の結晶が鎧を打つたび、かすかな音が夜に溶けた。
彼の胸の奥では、焦燥と決意が交錯していた。
「リィナ……必ず、助ける。」
その言葉だけが、凍てつく夜を貫く炎のように彼の中で燃えていた。
やがて、視界の先に見えた――黒い影。
崩れかけた外壁。
凍結した吊橋。
風に軋む音が、まるで何かが彼を呼んでいるように響く。
レヴナ・フォート。
かつて人間が築き、魔族に奪われ、そしていまは沈黙の砦。
その内部には、無数の魔物と、ひとりの将――〈血刃のバルデン〉が潜んでいると噂されていた。
ハルヒは手を伸ばし、腰の短剣に触れる。
空気が張り詰める。
次の瞬間、彼は影の中へと身を沈めた。
氷の城壁をよじ登り、崩れた塔の影に身を隠しながら、冷たい視線で奥を探る。
魔族たちの巡回。
罠の光。
そして――リィナの微かな魔力の痕跡。
「……いた。」
ハルヒの瞳が鋭く光る。
その先にあるのは、閉ざされた礼拝堂。
氷の鎖に囚われ、静かに倒れている少女の影。
彼は息を整えた。
闇と雪に覆われた城塞を、一歩ずつ、音もなく進む。
救出まで、あと少し。
だがその瞬間――。
「来たか、人間。」
礼拝堂の扉の前。
黒い鎧の巨影が立ちはだかった。
漆黒の魔力が吹き荒れ、氷の床が軋む。
〈血刃のバルデン〉――魔族将軍。
リィナを囚え、ハルヒを誘い出すために仕組まれた罠の主。
その双眸が紅く燃え上がる。
「一人で来るとは、実に愚かだ。だが――勇敢だな。」
ハルヒは言葉を返さず、ただ剣を抜いた。
刃に映る炎のような光が、夜の闇を裂く。
雪が舞い、風が唸る。
そして――静寂が切り裂かれる。
「……俺は、誰も失わない。」
次の瞬間、二つの影が衝突した。
刃と刃が火花を散らし、砦の奥へと響き渡る。
その戦いが、長き城塞の沈黙を破る――始まりの音となった。




