--第34話 終焉の時 ― 北方前線⑤
――夜明けは、まだ遠い。
白銀の大地を裂くように、氷嵐が唸りを上げていた。
北方戦線、最後の決戦。
氷雪の覇者が咆哮を上げるたび、氷塊が降り注ぎ、空が凍り付く。
「ここまで来て退くか、ハルヒ!」
ガルドの怒号が轟く。肩に走る傷は深いが、瞳はまだ闘志を燃やしていた。
「退かない!――この時を超えるために、俺たちはここまで来たんだ!」
ハルヒの声が氷の世界に響く。
握る時計の針が、微かに光を帯びた。
《時加速領域》――戦場全域に淡い金の霧が広がる。
時間が歪む。
雪片が空中で遅れ、敵の動きが重くなる。
だが、その異変の中心で、ヴァルザードは笑った。
「人の子が……時を弄ぶか。ならば、凍てつかせてやろう。永遠にな!」
両翼を広げ、巨体が天を覆う。
氷の結晶が空を支配し、光さえ凍らせた。
――《氷帝絶界》
全ての時が、凍り付く。
「ぐっ……! 動きが……!」
レオンが膝をつく。剣の刃が凍りつき、砕けそうな音を立てた。
ミリアは治癒の光で仲間を守りながら、震える唇で祈りを紡ぐ。
「まだ……終わらせない……!」
彼女の祈りが淡い光を帯び、凍結した空気を柔らかく溶かしていく。
その瞬間、セリアの矢が風を裂き、リィナの魔力が爆ぜた。
「風よ、燃え上がれ――《炎風衝》!」
爆炎が吹雪を巻き上げ、白い世界が赤く染まる。
ヴァルザードが巨腕で吹き飛ばすが、その一撃をガルドが正面から受け止めた。
「うおおおおッッ!!」
氷が砕け、地面が震えた。
剛腕と氷爪がぶつかり合い、雷鳴のような衝突音が轟く。
「貴様……なぜ立ち上がる、人間風情が……!」
「決まってんだろ……仲間がいるからだッ!」
ガルドの拳が、ヴァルザードの胸甲を打ち砕いた。
しかし――その反動で彼の身体も吹き飛ばされる。
「ガルド!」
ミリアが駆け寄る。光の魔法が彼を包み込み、命の炎を繋ぎ止めた。
「……あたたけぇ……まったく、聖女さまってやつは反則だぜ」
「まだ喋れるなら、平気ね」
微笑みが交わる。絶望の最中に、確かな光があった。
ハルヒはその光景を見て、静かに剣を構え直す。
「――行くよ。これが最後の一秒」
懐中時計の針が、再び刻み始める。
音が、響く。
チチ、チチ、チチ――。
時が跳ねた。
ハルヒの身体が、光の粒子となって加速する。
「《クロノ・ブレイク》!」
蒼光が戦場を貫いた。
ヴァルザードの氷翼が砕け、裂けた光が天を照らす。
氷の王が呻き声を上げる。
「これが……人の“時”の力か……」
その巨体が、静かに崩れ始める。
氷の鱗が剥がれ、吹雪が止んでいく。
最後に残った氷の瞳が、穏やかに閉じられた。
「……敗れたか。我が“終焉”も、悪くはない……」
ヴァルザードの身体が粉雪となり、風に溶けて消えた。
残されたのは、青白く輝く氷晶の核――かつて彼が護っていた“王の記憶”だけだった。
「終わった……のか」
レオンが剣を下ろす。
白い空に朝の光が差し始めていた。
凍りついていた大地がゆっくりと溶け、遠くの山々に霞がかかる。
氷の牢獄は、ようやく息を吹き返したのだ。
ユグノアが地図を開く。
「……この北の更に奥、“失われた城塞都市”がある。ヴァルザードの背後にいた勢力――本当の敵は、そこに潜んでいる」
「なら、行こう」ハルヒは短く言った。
彼の懐中時計は、中央の歯車が欠けている。それでも――微かに動いている。
ミリアがその針を見つめ、そっと微笑む。
「あなたの時も、まだ終わっていないのね」
「……うん。まだ“続き”があるから」
風が吹く。
凍土の上に七人の影が並ぶ。
雪の向こうに、黒い塔のような影が見えた。
それが次なる地――“失われた城塞都市”。
ハルヒたちは、誰一人欠けることなくその地を見据える。
白銀の世界に、彼らの足跡が刻まれていった。




