--第29話「英雄たちの夜 」
――夜の帳が、戦場を覆っていた。
アルグレア東方、崩れた城塞跡。
瓦礫と焦げた鉄の匂いが風に混じり、遠くで炎の残滓がゆらめいている。
その光の下、七人の影のうち、いまは五人しか立っていなかった。
レオンが剣を地に突き立て、荒く息を吐く。
「……全員、ここまで来たか」
「ハルヒも……無事です」
ミリアが小さく頷き、疲れ切った顔で微笑んだ。
風の中、リィナが魔法の幕を展開し、周囲を警戒している。
「ガルドは……?」
ハルヒの声に、全員の視線が一斉に暗がりへ向いた。
そこには――血まみれの大剣が突き刺さり、その傍らに巨体が横たわっていた。
ガルド・ベルム。
あの“戦場の盾”が、今は地に伏している。
その毛並みは焦げ、呼吸は浅く、胸の傷からは黒い蒸気が上がっていた。
「……まだ、生きてる」
レオンの呟きに、ミリアが駆け寄る。
「下がってください、すぐに治療します」
彼女の掌が光を帯びる。
聖女の魔法。
それは“命を繋ぐ”と謳われる奇跡の術だった。
だが――光が届くより先に、
ガルドの口が、微かに動いた。
「……やめろ、ミリア……お前の魔力を……無駄に……すんな……」
「無駄じゃありませんっ!」
ミリアの声が震えた。
「あなたはまだ――みんなの盾でしょう!」
その言葉に、ガルドはわずかに目を開く。
血走った眼の奥で、獣の光がまだ燃えていた。
「……へっ、そんな顔すんなよ。
俺は……戦士だ。死ぬときゃ、笑って……死ぬもんだ」
「黙ってください!」
ミリアの声が震える。
「私は、死なせないって決めたんです……! “みんなで帰る”って!」
掌の光が強くなり、焼け焦げた傷口を覆う。
光の粒子が血を吸い、肉が再生していく。
「……すげぇな……相変わらず、聖女さまは強ぇや」
「黙っててください! 今、集中してるんです!」
そのやり取りに、レオンが小さく笑った。
「やれやれ、戦場の夜とは思えんな……」
「ふふ、こうしてると、少しだけ……“騎士学校の寮”みたいですね」
ハルヒが呟く。
その瞳は、遠い現代の光景を思い出していた。
リィナが静かに空を見上げる。
満月が、煙の合間から覗いていた。
「……でも、これは“ほんの一夜”の休息よ。
グラーデンは生きている。明日にはまた攻めてくる」
レオンの顔が引き締まる。
「そうだ。やつの戦略眼は本物だ。
だが、今回は奴に学んだ――“勝つためには、守る理由が要る”と」
ハルヒが静かに頷く。
「守る理由……」
その言葉を繰り返しながら、
ハルヒの視線はガルドの方へ向く。
――“仲間を守るために戦った”その背中。
それが、何よりも強いものに見えた。
「……ハルヒ」
ミリアが光を弱め、そっと告げる。
「もう大丈夫。命は、繋がりました」
「助かったのか……!」
レオンが息をつく。
ミリアは頷きながらも、目を伏せる。
「けれど……一歩間違えば、今夜が最後でした」
その瞬間、
誰もが口を閉ざした。
夜の風が吹く。
遠くで、まだ戦火の光が揺れている。
アルグレアの空に、焦げた星が瞬く。
――その夜、誰も眠らなかった。
ハルヒは焚き火のそばで、時計を見つめていた。
古びた文字盤の針は、まるで何かを待つように、ゆっくりと震えている。
「……また、時が……動こうとしてる」
その呟きは、誰の耳にも届かない。
だが、その“時の震え”は、確かに世界を揺らしていた。
アルグレアの夜は静かに――けれど確実に、次の戦いの幕を上げようとしていた。




