--第26話「策士ユグノア」
夜の帳が降りる。
戦火に包まれた都は、今なお煙を吐き続けていた。
崩れた尖塔、黒く焼け焦げた石畳。
そこに吹く風は冷たく、鉄の匂いと血の気配を運んでくる。
「……やっと静かになったな」
ガルドの低い声が響く。獣人の彼は背中の大斧を地面に突き立て、肩で息をしていた。
「今夜はもう戦えねえ。誰もな」
「同感だね」
ユグノアが答える。その手にはいつもの黒い懐中時計。
盤面の歯車が微かに音を立て、夜の静寂を刻んでいた。
ハルヒは崩れた街壁に背を預け、息を整える。
クロノ・ゴーレムとの戦いで受けた衝撃の余韻が、まだ体の奥に残っていた。
だがそれ以上に、気になっていたのは――ユグノアの表情だった。
彼女の瞳には、冷たい光と共に、どこか悲しげな影が宿っていた。
「ユグノア。あの“逆流装置”、一体どこで……?」
「古代遺跡からの遺物さ」
ユグノアは懐中時計を弄びながら、淡々と答えた。
「時間操作の理論を持つ唯一の文明だった。
今ではもう、存在自体が歴史の亡霊だがね」
「……それを、使いこなせるお前は一体何者なんだ?」
問いに、ユグノアは軽く笑う。
「策士――それ以上でも以下でもない。
俺にできるのは、“勝てる盤面を作る”ことだけさ」
「勝てる盤面、ね……」
その言葉の裏に潜む重みを、ハルヒは感じ取った。
勝つためなら、何を捨てても構わない――
そんな冷徹な覚悟が、彼女の中にはあった。
「次の敵、魔王軍の智将だ」
ユグノアの声が低く響く。
「奴は軍全体を“時間予測”で動かしている。
未来を読むのではなく、“確率”を制御して戦うタイプだ」
「……未来を読む敵、か」
レオンが苦い顔で呟いた。
「正面からやり合えば、こっちが先に潰される」
「だからこそ、こちらも“時間”を使う」
ユグノアは黒板のような地面に指で線を描き、戦略を示す。
「まず、敵の“思考ループ”を断ち切る。
グラーデンの予測は、自分の見た未来を前提にしている。
なら、その未来自体を“少しだけ”変えてやればいい」
「そんなこと、できるのか?」
ミリアが驚きの声を上げる。
ユグノアは静かに頷いた。
「ハルヒの“時間共鳴”と私の“逆流装置”を合わせれば可能だ。
わずか一秒でも、未来がズレれば、奴の予測は崩れる」
ハルヒは拳を握る。
「つまり……俺が時間を揺らして、敵の思考を狂わせる、か」
「そう。君が鍵になる」
ユグノアの声には迷いがなかった。
「君の“存在”自体が、時の軸を乱す要因だ。
千年という異物が、この時代に介入している――
それを、利用しない手はない」
沈黙が落ちる。
皆がハルヒを見た。
その瞳には、恐れでも疑念でもなく――信頼があった。
「……任せてくれ。俺の時間を使う」
ハルヒは静かに頷く。
「ただし、誰も失わせないために、だ」
ユグノアは短く笑い、懐中時計を閉じた。
「……いい目をしてる。
君なら、時間の檻を超えられるかもしれないな」
その瞬間、遠くの夜空に閃光が走った。
炎ではない。
――光だった。
「ッ、なんだ……?」
リィナが風を纏い、空を見上げる。
アルグレアの西方、廃都を照らすように、一条の光が天へと伸びていた。
「これは……祈りの光?」
ミリアが目を細める。
その光は、まるで“矢”のように大地を貫いている。
ユグノアがその光を見据え、呟いた。
「……来たな。あの光は、“光射す王女”のものだ」
「セリア……!」
リィナの顔がぱっと明るくなる。
「魔将ベルダイン、かつてセリアが師と仰いだ
男が王国を裏切った。それ以降、やつを倒す為
に技を磨いてきた!」
「この戦争が始まる前の王国の、最後の王女だ。
武器に光を纏わせる《光装のアビリティ》を持つ、
真の“射手”――セリア=ノアール」
夜風が揺れる。
その向こうで、光の矢が天を裂き、闇を払った。
まるで希望そのものが形を取ったかのように。
「彼女が光を放ったということは、確実に
葬り去る為に」
「王都を滅ぼした将軍か……」
ガルドが肩を鳴らす。
ユグノアは懐中時計を再び開く。
針が、静かに一秒を刻んだ。
「次の盤面は――“光”と“闇”の交差点だ。
俺たちが、時を繋ぐ」
ハルヒは空を見上げた。
その視線の先、雲間を抜けるように光が瞬いていた。
それはまるで、千年の時を越えて導く“灯”のように――。




