--第2話「暴走の記憶」
――三年前のあの日。
薄暗い練習場の隅で、ハルヒは膝を抱えて座っていた。
静寂の中、微かに残る焦げた香りと、かすかな魔力の残滓。
それが、全てを思い出させる。
「……セリナ……」
幼馴染の名を呼ぶ。
あの時、彼女の魔力は制御を失い、暴走した。
目の前の壁がひび割れ、炎が螺旋を描いて天井まで達する。
そして、その渦の中心に立つセリナの瞳は、恐怖と混乱に揺れていた。
「止めなきゃ……!」
ハルヒは駆け出した。
魔法を使えば魔力の暴走を助長するかもしれない。
自分にできるのは、ただ一つ――スキルの全力運用だ。
《反動制御》《瞬動》《加速展開》――身体能力を極限まで引き上げ、魔力暴走の中心へと飛び込む。
火炎が渦巻く。周囲の石材は破壊され、床は割れ、天井の梁が落下する。
しかし、ハルヒは計算通りに回避し、セリナの元へ届いた。
「離れて! 俺に任せろ!」
手のひらを伸ばす。
《時間加速》スキルを連鎖させ、炎の動きをわずかに遅らせる――
世界の流れを微かに操作し、彼女の暴走魔力の直撃を避けさせた。
「……ハルヒ……?」
セリナの声は震え、涙で濡れていた。
魔力が漏れ出し、空気は灼熱に変わる。
しかし、彼女の体は揺れたまま、制御不能のままだった。
《瞬動》《反射拡張》《思考加速》――全てを同時発動。
時間を微妙に“巻き戻す”感覚で動き、彼女を抱え上げた。
その衝撃で、床はさらに崩壊し、火炎の渦が天井を打つ。
「……もう少し……! もう少しで抑えられる!」
声を振り絞る。
スキルの反動が、彼の身体を痛めつける。
心臓が高鳴り、呼吸は荒く、筋肉は悲鳴を上げる。
だが、それでも手を放すわけにはいかなかった。
瞬間――
セリナの魔力の渦が頂点に達した。
青白い光が爆発し、全てを包む。
気がつくと、ハルヒは地面に倒れていた。
周囲は焦げ跡だけが残り、空気は静かに震えている。
そして、彼は知った。
――自分の魔力は、全て奪われたのだ、と。
炎の中心で、セリナは無事だった。
だが、代償としてハルヒは魔力を失い、魔法を一切使えなくなった。
魔法社会ではそれは、即ち「戦力外通告」と同義だった。
「……俺は……魔法を……」
呟く。
その声に応える者は、誰もいなかった。
ただ、焦げた木材と、崩れた壁、微かに漂う硝煙の匂いだけが残る。
その日から、ハルヒは決めた。
――魔力がなくても、戦える騎士になる。
スキルだけで、誰よりも速く、誰よりも強く。
そして、幼馴染を守るために、己の意志を極限まで鍛えることを。
*
現在の試験場に戻る。
白銀の校舎、朝の光、訓練生の歓声。
あの忌まわしい記憶を胸に、ハルヒは立ち上がる。
「……今日の試験も、全力でな」
手には、古びた懐中時計。
文字盤は壊れているが、微かに振動する。
心臓の鼓動と同期するように、チチ……チチ……と、音がする。
「……この時計、何か、俺を呼んでいる」
その感覚を押さえつけながら、彼は試験場へ向かう。
スキルを駆使した戦闘の準備。
魔法を失った体でも、今日の戦いに勝つ――
それが、彼の唯一の答えだった。
そして――
彼の運命は、まだ動き出したばかりだった。




