--第18話「覚醒の兆し」
夜が訪れる。
戦場の焔が消え、焦げた大地の上に静寂が降りた。
昼間の激戦が嘘のように、砦の中はひとときの安堵に包まれていた。
ハルヒは焚き火の前で、ひとり剣を磨いていた。
砦の壁を叩く風が冷たい。
時折、焚き火がぱちりと音を立てるたびに、彼の胸の奥の“音”も共鳴した。
――カチリ。
心臓の奥で、何かがまたひとつ、動く。
昼間、レオンの剣を見たときの衝撃がまだ抜けない。
「時間を断つ」――あの一閃。
それは剣技の域を超え、存在そのものを“ずらす”ような異質の感覚だった。
「俺にも……あんな力が……」
呟いた瞬間、背後から声がした。
「焦るな。時を追う者ほど、時に置き去りにされる」
振り向けば、レオンがそこに立っていた。
焚き火の光を受け、金の髪が揺れる。
彼の手には湯気の立つカップ。中身はどうやらハーブ茶らしい。
「飲め。冷えた心じゃ、剣は鈍る」
差し出されたカップを受け取り、ハルヒは小さく息を吐く。
「……今日の戦い、見えていたんです。
剣を振るうたび、時間が……ずれるような感覚。
あれは、なんなんですか?」
レオンは静かに火を見つめた。
「“理”だ」
「理……?」
「時を断つ剣は、力ではなく“理解”で動く。
この世界の理――時間の流れ、命の鼓動、世界の呼吸を“読む”こと。
それができた者だけが、時間を越える剣を扱える」
ハルヒは目を閉じる。
世界の“呼吸”を読む。
自分には、魔法の感覚も、魔力の奔流もない。
けれど――“音”なら、聞こえる。
焚き火の音。
風が砦の壁を叩く音。
遠くで仲間たちが笑う声。
そして、自分の心の奥の――“カチリ”という音。
「……これが、“俺の世界の呼吸”か」
その瞬間、空気が微かに変わった。
焚き火の火の粉が、風に逆らうように宙を舞う。
「……っ!」
ハルヒの視界がわずかに歪んだ。
周囲の動きが、ほんの一瞬だけ、遅れて見える。
(また、あの感覚だ――)
レオンは剣を軽く抜き、火の光を映した。
「感じ始めたようだな。
“時間の揺らぎ”に、己の意志を重ねる。
お前の“無”は、まだ眠っているだけだ」
「眠っている……?」
「人は皆、何かを失ったときに“空白”を抱える。
だがな、その“空白”は、時に“器”にもなる。
お前が失った魔力は――“時”を受け止める器だったのかもしれん」
レオンの言葉が、焚き火の熱よりも深く胸に染みた。
(俺の“無”は、失敗じゃない。可能性なんだ)
その夜、ハルヒは眠らなかった。
剣を地に立て、何度も呼吸を整え、ただ“世界の音”に耳を澄ませた。
時間の流れを感じる。
一秒、一呼吸、一鼓動。
全てが“音”として繋がっている。
――カチ、カチ、カチ。
世界が、時計の歯車のように回転しているのが見える。
空気の粒子が流れ、焔がゆっくりと形を変えていく。
(聞こえる……時間の音が)
次の瞬間、彼の視界が完全に変わった。
風の動きが止まり、焚き火の火の粉が宙で凍りつく。
まるで世界のすべてが“静止”したかのように。
「――これは……」
その中で、自分だけが動けていた。
剣を振るうと、空気が裂ける。
遅れて火の粉が爆ぜ、再び世界が動き出す。
その光景を見たミリアが、目を見開いた。
「今……時間が、止まって……」
リィナも息を呑む。
「まさか、あれは“時操作”……?」
レオンは微かに笑った。
「いや、まだ片足を踏み入れただけだ。
だが、確かに“目覚め”始めている」
ハルヒはゆっくりと息を吐いた。
額の汗が地面に落ち、波紋のように広がる。
「……これが、俺の“スキルの先”」
焚き火の炎が再び揺らめき、砦の夜を照らした。
ハルヒの背に、静かに風が流れる。
彼の内に芽生えた“時の感覚”が、確かに呼吸していた。
そのとき、遠くから警鐘が鳴り響いた。
「敵襲――! 南方より魔族軍接近!」
砦の空気が一変する。
レオンが剣を抜き、ミリアとリィナが即座に陣形を取った。
「……来たか」
「時間の猶予はないな」
ハルヒも剣を構える。
その目に宿るのは、恐怖ではなく――確信だった。
(今度こそ、この力で……“未来”を斬る)
朝露を含んだ風が吹き抜ける。
その風の中で、彼の瞳はかすかに光を帯びていた。
まるで、夜明けよりも早く目を覚ました“時の瞳”のように。




