--第16話「スキルの限界」
夜は深く、風は冷たい。
焚き火の火が静かに揺らぎ、兵たちの影を不規則に踊らせていた。
戦場の喧噪が遠ざかり、今はただ、疲労と痛みだけが現実を物語っていた。
ハルヒは包帯に覆われた腕を見つめていた。
ミリアの治癒魔法によって命こそ救われたが、筋肉と神経は限界を越えている。
スキルの“過剰使用”――人の体が耐えられる限界を、とうに越えていた。
「……これが、俺の限界か」
呟いた声はかすれていた。
スキルは魔法とは違う。
それは、己の肉体と精神を極限まで引き出す行為。
魔力という外部エネルギーを借りない代わりに、代償はすべて“自分”に返ってくる。
無魔であるハルヒが生き残るために選んだ道――
だが、それは確実に彼の命を削っていた。
「……痛むか?」
声をかけてきたのは、レオンだった。
鎧を外し、剣を背負ったまま、焚き火の向かいに座る。
淡い炎の光が、彼の金の瞳を照らしていた。
「少しだけ。慣れてるから」
「そういう強がりは、若い頃の俺に似てるな」
レオンは笑うでもなく、ただ静かに言った。
「お前の戦い方を見ていて思った。
スキルをあそこまで緻密に扱える奴は、この時代にも滅多にいない。
だが――そのままじゃ、長くは保たん」
「分かってます。俺の力は……“無理矢理”なものですから」
「違う。お前の力は、“繋ぐ”力だ」
レオンは剣の柄を軽く叩いた。
「戦場では、己を削る覚悟も必要だが、削るだけでは終わる。
真の力ってのは、仲間や未来に“繋ぐ”ためにある」
その言葉に、ハルヒは顔を上げた。
レオンの瞳は、ただまっすぐに燃えている。
炎のように、けれど決して揺らがない。
「……俺には魔力も、アビリティもない。ただの“無”ですよ」
「無だからこそ、見えるものもある。
お前は戦場の“時”を感じている。剣を振るうたびに、流れを読むような感覚があるはずだ」
ハルヒは無言で頷いた。
あの瞬間、確かに“時間”が止まり、逆流し、また進んでいく感覚があった。
それは幻ではない。
スキルの延長にある、“未知の領域”。
「それが、お前の真の資質かもしれん」
レオンは立ち上がり、背中の大剣を抜いた。
「……レオンさん?」
「教えてやる。
戦場の規律を越えるための、“剣の理”を」
刃が月光を受け、鈍く光る。
レオンの立ち姿は、まるでこの時代の“剣そのもの”の象徴のようだった。
「お前のスキルは、確かに限界に近い。
だが――限界は“終わり”じゃない。
その先に進めるかどうかは、自分次第だ」
彼が剣を構える。
その瞬間、焚き火の炎が風に揺れ、影が走った。
ハルヒもまた、剣を取る。
痛む腕を押さえながら、立ち上がった。
「いい顔をするようになったな」
「……まだ負けません」
「当然だ」
刃と刃が触れた瞬間、火花が散った。
訓練の音が、夜の静寂を破る。
リィナが遠くからその光景を見つめていた。
「また無理してる……ほんとに、あの二人は」
ミリアが苦笑しながら呟く。
「けれど、あの稽古が彼を変えるの。
“無”が、形を持ち始めている――」
ハルヒの剣筋が次第に鋭くなる。
レオンの一撃を受け止め、半歩退き、軸をずらして切り返す。
時間の流れが、再びゆっくりと感じられた。
(……動きが、見える……)
(レオンさんの剣筋が……読める――)
呼吸を合わせ、刃を交えるたび、世界が静止する。
その中でハルヒは確信した。
自分が戦っているのは、“剣”だけじゃない。
これは、“時間”との戦いでもあるのだと。
「いいぞ、その感覚を忘れるな!」
レオンの声が雷のように響く。
「剣は技じゃない、心と時間の調律だ!」
最後の一撃――レオンの斬撃が、空を裂いた。
ハルヒは辛うじて受け止めたが、膝をつく。
剣が地に落ち、息が荒くなる。
「……はぁ……まだまだ、届かないな……」
「届かなくていい。届こうとする、その意志が剣を研ぐ」
レオンは静かに剣を鞘に戻した。
「明日、北の戦線に向かう。次の敵は“知恵”を持つ魔族だ。
剣だけでは勝てん。――準備を怠るな」
ハルヒは息を整えながら、頷いた。
焚き火の火が小さく爆ぜ、夜空に火の粉が舞う。
空を見上げると、満天の星が瞬いていた。
その輝きの中に、彼は小さな希望を見た。
(まだ終わらない。俺は、まだ……進める)
その胸の奥で、時計の針が――また、ひとつ音を立てた。
カチリ。
それは、限界の先に生まれた“時の響き”だった。




