--第102話 時砂の揺り籠 ― ユグノアの残響
地鳴りのような沈黙が、地下墓域の奥で脈を打っていた。
ユグノア=オルディスの石棺が崩れ、白砂となって舞い上がってから、どれほど時間が経ったのか。
ハルヒは掌に残る“時のひずみ”の感触を、なぞるように見下ろした。
石棺の奥――かつてユグノアの魂が眠っていた場所には、ぽっかりと虚が穿たれている。
まるで、この墓域そのものが「過去を失った」かのように。
「……完全に、跡形もないわね」
セリナが白砂をすくい上げ、眉を寄せた。
「砂になったんじゃなくて、“時間ごと削られた”って感じだ」
ハルヒは答える。
言葉にした瞬間、背筋が冷たくなる。
その質感は、クロノ=シーアの干渉を受けた封印とまったく同じだった。
六英雄の封印――
その三つがすでに軋み、ひずみ、崩壊しつつある。
そして今、ユグノアの墓域でも、また一つ。
何かが、確実に進行している。
ハルヒは壁面に刻まれた古代式の魔刻図を調べた。
そこには、六英雄が生前に使った“結界”に似た構造が残っている。
――策士ユグノアは、生前より死後を準備していた。
そんな予感がするほどに、緻密で、歪みなく、冷たい構造。
セリナが小さく息を呑む。
「この魔刻……封印というより、“観測の遺術”じゃない?
墓域内部の時間流を正確に記録するための式だわ」
「記録……?」
「ええ。遺された者が、彼女の死後に起こる出来事を“読む”ための」
ユグノアらしい、とハルヒは思った。
彼女は生前、戦術家であり、同時に異常なほど未来を警戒していた。
六英雄の中でも、とりわけ“情報”を重んじた者。
その彼女が残した記録――
まだどこかにある。
「……これ、だ」
ハルヒは石棺があった床の接合部に、不自然な亀裂を見つけた。
クロノ=シーアの干渉と違い、これは“意図的に隠された”破線。
小さく力を込めると、床石が音もなく横へスライドした。
そこに現れたのは――
風化しない白鋼の筒。
中央に六芒の鍵刻があり、ユグノアの紋が浮かび上がる。
「遺録筒……? でも、開かない。魔封がかかってる」
セリナが魔力を通しても反応がない。
ハルヒが触れようとした、その瞬間――
カン……
乾いた金属音とともに、白鋼の筒が“勝手に”開いた。
光が咲くように散り――
声が、空間に流れ込んでくる。
『――よく来たわね、時の子』
ユグノア=オルディスの声だった。
しかし、石棺に残されていた冷徹な残影とは違い、
この声には温度があった。
成熟した静けさと、どこかに柔らかい笑みを含んだ声音。
『もし、この遺録にあなたが触れたのなら……
“約束の未来”は、もう動き出している。』
「約束……?」
ハルヒが呟くと、声は続く。
『六英雄の封印は、完全ではない。
私たちは“封じられた”のではなく――
“自ら封じに行った”。』
ハルヒとセリナは凍りつく。
それはこれまでの認識を根底から覆す言葉だった。
『私たちは、六つの領域を守るためではなく……
六つの“歪み”を監視するために封印された。
それも、クロノ=シーアが動く“その時”まで』
光の粒が、筒からさらに溢れ出す。
墓域の壁に、淡い映像として映し出される。
――六英雄が、それぞれ封印に入る直前の姿。
そこには、まだ顔が残っていた。
歪んでいない表情。
確かな意志。
『時の子。
この墓域に来たということは――
あなたは“時の刻印”を持つ者なのね』
ハルヒの胸の刻印が、淡く脈動する。
『あなたに託すわ。
私たち六人が最後まで守りきれなかった未来。
そして――』
声が一瞬、言葉を探すように間を置いた。
『“彼女”を見つけてあげて。
時を壊す者に抗う唯一の鍵。
私たちの仲間であり、
六英雄でありながら――
記録そのものから消された存在。』
六英雄は六人ではなかったというのか。
七人目――?
声が次第に細くなる。
光も弱まり、筒がゆっくり閉じていく。
『あなたが“選ぶ未来”を、私は信じてる。
どうか……間に合って』
そこまで言って、ユグノアの声は途切れた。
墓域に残されたのは、白鋼の筒の微かな温もりだけ。
セリナが振り返る。
「……七人目の英雄が、いた……?
でも、記録にそんな人――」
「いない。
誰かが、意図的に消したんだ」
ハルヒは静かに答えた。
胸の刻印が脈打つ。
まるで“知っている”とでも言うように。
遠く、墓域の上層から風が吹き込んだ。
ありえないはずの風――
この地底には、風の通路など存在しない。
「ハルヒ……これ、“封印がまた一つ動いた”合図よ」
「ああ……行こう。次の場所へ」
白鋼の筒を抱え、二人は墓域の暗闇を後にした。
――六英雄の真実は、まだその入口にすぎない。
そして、七人目の存在が揺らめく影として
ハルヒの思考に深く刻まれる。




