--第100話 深層墓路 ― 影を継ぐ静謀
冷たい石の息が、足元から立ち上がってくる。
旧戦線跡地下墓域――そこは、戦乱期の地脈を縫うように広がる、古代の地下迷宮だった。
だが、ただの墓所ではない。
戦線そのものが地底に“格納されている”──
それが、学院の古文書に残された説明だった。
ハルヒとセリナは、階段を降りるほどに増していく圧に思わず息を呑む。
壁は黒灰色の岩盤で構成され、
古い魔導刻印が、血管のように縦横へ伸びている。
ところどころ欠損し、魔力が漏れ出すたびに、
空気はひりついた“ざらつき”を帯びた。
「……ここ、普通の墓域じゃないわね」
「うん。あの感じ……まるで“前線の残像”が染み付いてるみたいだ」
セリナは息を整えながら、壁の刻印に指を触れた。
すると、石肌の奥で“影”が瞬き、人の形を成す。
兵士たちの残滓。戦う姿のまま止まった影法師。
そして、崩れた陣形の痕跡。
ここに眠るのは、六英雄ユグノア=オルディスだけではなく、
彼女と共に戦った“黒鋼戦線部隊”の記憶そのものだった。
──と、その時。
奥の闇が、低く震えた。
地鳴りではない。
“何かが目覚めた”時によく似た、静かな脈動。
「……聞こえた? 今の」
「うん。たぶん、封印核の反応。
でも……普通じゃない。どこか、歪んでる」
ハルヒは歩を進めながら、眉を寄せた。
風の封印でも、黒鋼の封印でも見られなかった、
いやな感覚が背筋を撫でていた。
“時の刻印”が、微かに疼く。
――ユグノア封印は、他の封印よりも“先に損耗した”。
学院の報告書で見た一文が、ふと脳裏をよぎる。
(……壊れかけてるってこと?
だから、こんなに残滓や影が強く出てる?)
階段を降り切ると、視界が一気に開けた。
巨大な円形の地下空洞。
天井は見えないほど高く、闇の上層に霞むように消えている。
中央には、白鋼の石棺が静かに横たわっていた。
棺の側面には、無数の“傷”が刻まれている。
明らかに何者かに攻撃を受けた痕だ。
「……ユグノア、守りきれなかったのね」
セリナが小さく呟いた。
「いや……これは“外側”からじゃない」
ハルヒは棺の縁に手を当て、確信する。
「中から……出ようとした“痕”だ」
セリナは息を呑んだ。
六英雄の封印。
本来、内部から破られることはあり得ない。
それは、英雄たち本人の“意思”が封印を閉じているためだ。
それなのに、棺は内側から……。
「ハルヒ。……何か、いるわ」
セリナの声は震えていた。
棺の周囲、半透明の影が立ち上がる。
それは“兵士たちの残滓”とは異なる輪郭だった。
策謀の印を胸に刻む影。
ユグノア=オルディス直属の精鋭――
《黒鋼戦線策謀隊》の残魂。
彼らは一糸乱れぬ隊列で立ち上がり、
ハルヒを認識した瞬間、すべての影が膝をついた。
セリナが慌ててハルヒに振り返る。
「ちょ、ちょっと待って!? どういうこと!? なんで膝をつくの!?」
ハルヒも首を振る。
「わからない。けど……たぶん、“時の刻印”に反応してる」
影たちの声が、重なるように響く。
『来訪者……
時の継承を帯びし……時の“観測者”……
我らはユグノア様の遺命に従う……』
墓域の空気が、凍りつく。
ハルヒの胸がざわついた。
“観測者”──どこかで聞いた言葉だ。
ガルド=ベルムの残影が告げた言葉が蘇る。
――『時が……裂レル前ニ……“彼女”ヲ探セ……』
(彼女……ユグノアのことじゃない。
でも、ユグノアは確実に“時”と関わってる。
やっぱり、この封印……他より先に壊れたのは──)
「セリナ……この墓域、やっぱり危険だ。
封印そのものが、不安定になってる」
「ええ……。私の魔力感知でも分かる。
これ、普通の残滓じゃない。
“割れた記録”が濃度を増して溢れてる感じ」
影たちはゆっくりと立ち上がり、棺の奥へ道を作るように身を引いた。
その奥へ続く墓路は、他よりも暗く、
白鋼の床石はひび割れ、魔力の欠片が血のように滲んでいた。
『彼ノ地──
ユグノア様ガ眠ル“最深部”へ……』
『彼女ハ……未ダ眠リ……
時界ト繋ガレ……タ……ママ……』
風が吹くはずのない地底で、
冷たい流れがふたりの肌を撫でた。
ハルヒは無意識に拳を握る。
(ユグノアはまだ眠ったまま……
でも、その眠りが“正しいもの”じゃない。
むしろ……閉じ込められてる?)
セリナが隣で短く頷いた。
「行きましょう、ハルヒ。
……ユグノアに会わないと、本当の状況は分からない」
「うん。たぶん……この封印が、一番根深い」
墓域最深へ続く道は、
白鋼の火を灯したように微かに青白く輝き、
ふたりを静かに誘っていた。
そして、最深部で待つものこそ――
“策士ユグノア=オルディスの真なる封印”
そして、
**時界の崩壊へ繋がる、最初の“鍵”**であった。




