--第99話 旧戦線跡地下墓域 ― 英雄ユグノアの眠る場所
かつて戦線だった場所には、奇妙な静寂がこびりついていた。
王都ルディアから北東へ一日半。
森林を越え、荒涼の丘陵を抜けた先――草木すら根を張れない灰色の土地が広がる。
黒く焼けた大地の裂け目が、まるで大陸そのものが負った古傷のように連なっていた。
「ここが……旧戦線跡。六英雄が最後に集った場所のひとつ」
セリナが呟く声は、自然とひそやかになる。
風一つ吹かない。音が吸い込まれるような空間。
ただ、地表に刻まれた巨大な“斬痕”だけが、ここで起きた戦いの規模を物語っていた。
ハルヒは足元の白い灰をすくい上げた。
触れた瞬間、指先の奥で“何かの記憶”が震える。
――剣戟。
――悲鳴。
――白鋼の閃光。
視界に、一瞬だけ別の景色が重なった。
(また……時の残響だ)
「大丈夫?」
セリナが覗き込む。
「うん……少しだけ、誰かの戦った記憶が視えた。多分、六英雄の誰かの」
そのときだった。
地面が、低く鳴った。
亀裂のあいだから、蒼い紋章が浮かび上がる。
六英雄共通の“封印紋”。
しかしここにあるものは、他の紋章とは明らかに異質だった。
円環の中心に、三角の刃の刻印。
そこから微かに、冷たい光が滴り落ちるように揺れる。
「……ユグノア=オルディスのものね」
セリナが息を詰める。
六英雄――“策士ユグノア”。
剣ではなく、戦況そのものを操った知略の英雄。
ただし、その姿や詳細は、やはり何ひとつ残っていない。
「封印、開きかけてる?」
「……ええ。三つが崩れた影響で、この封印も不安定化してる」
紋章の光が波のように広がる。
土が崩れ、地面が沈む。
断崖下の闇に、階段のようなものが姿を現した。
冷気。
静寂。
そして――声にもならない“呼びかけ”の気配。
ハルヒは喉元に薄い寒気を覚えた。
(……誰かが、待ってる?)
「行こう、セリナ。この下に、ユグノアの封印がある」
「ええ。でも気をつけて。ここ……他より時の乱れが強い」
地割れの中に続く階段へ足を踏み出した瞬間――。
風景が“揺れた”。
灰の大地が、緑の草原へと変わり、
焼け焦げた空が、晴れわたる蒼穹へ反転する。
光の粒が舞い、かつての戦線――
まだ戦争の前の世界へと、一瞬だけ巻き戻る。
そこで――1人の女性が、丘の上に立っていた。
長い外套。
手には折りたたまれた戦術図。
瞳だけが強い意志を宿し、どこか哀しげに微笑む。
(――誰?)
ハルヒが息を呑むと、その女性はゆっくりとこちらを振り返った。
だが――
次の瞬間、景色は黒灰の地へ戻り、女性の姿はかき消えた。
「今の……」
「まだ“記憶の残像”よ。多分、それがユグノア=オルディス」
セリナの声は冷静だったが、ほんのわずか震えていた。
地下への階段はさらに深くへ続く。
神殿のように整った石壁には、古い戦術符が刻まれ、薄く光っていた。
その光の向こうから――
誰かの気配が、確かにハルヒへ届く。
(――来たのね)
声が、した。
それは空気の震えでも、耳鳴りでもない。
ただ胸の奥へ直接届く“言葉”。
(あなたに……託したいことがある)
ハルヒは立ち止まり、胸元を押さえる。
「ハルヒ?」
「……誰かが、呼んだ。はっきりと」
その奥――地下墓域の入口がようやく姿を現す。
半円形の石扉。
中央にはユグノアの紋章と同じ三角の刻印。
そして扉の前には、砂に埋もれた“巨大な影”が横たわっていた。
人影。
いや――巨人の甲冑。
「これ……まさか」
「ユグノアが率いた“戦略部隊”……の残骸?」
沈黙。
風も吹かない墓域の前で、ただ石扉だけが淡く脈動していた。
ハルヒはゆっくりと手を伸ばす。
触れた瞬間――
石扉の刻印が光り、深い闇の底から声があがった。
(――入ってきて)
(“時”の気配を持つ者……あなたなら、届くはず)
ユグノアの封印が呼んでいる。
その奥には、これまでの三つの封印とは違う“何か”が待っている。
ハルヒは深く息を吸い込み、墓域の門を押し開いた。
静かな闇の向こうへ――
二人は足を踏み入れた。




